ふと、戦前の軍人さんについて色々調べてみると、破天荒な潜水艦乗りと元皇族で潜水艦の将となった軍人さんがいてご紹介したく失礼致します。
戦前の時代、日本軍で人気があった花形があり、戦闘機のパイロットが人気の前は、海軍では戦艦乗りがメジャーだと聞きました。その中で海軍で、戦艦、航空母艦や巡洋艦と渡り、自ら志願して潜水艦乗りで活躍した破天荒な軍人・板倉光馬氏と、皇族でありながら元皇族だからと贔屓(ひいき)はごめんと言うようなまっすぐな性格で、海軍に実力で入り、当時、海軍の中でマイナーであった潜水艦の将として活躍し、戦後、軍人として裁判所にも立った小松 輝久氏がいました。
板倉光馬氏は福岡県出身で、絵を描くのが好きだったとあり、連合艦隊に魅せられて海軍に入りました。板倉光馬氏は型にはまらない性格だったらしく、遠洋航海時に色々とされ、始末書を8枚も書き、その中には飲酒で失敗したことがあり、酒癖はよろしくなかったのか、酒の勢いもあったのか、様々な艦の艦長をされた、ベテランの鮫島 具重中将をぶん殴ったという、どこか大陸の酒で失敗しがちの虎髭(とらひげ)の将軍と姿を思い浮かばせるようなエピソードがある御仁(ごじん)でした。
はたから観たらとんでもない奴となりますが、殴られた鮫島中将の件は本来クビだけでは済まない事でしたが、温情で彼を海軍で活躍出来るよう取り計らったとか。その中で板倉氏は当時リンチや窃盗が当たり前の風紀が乱れた航空母艦の加賀に赴任したさい、風紀を正そうと奮闘し改めたという逸話があり、また敵に囲まれて窮地にいた、鮫島中将を危険を潜(くぐ)りぬけ救援物資を運び助けた、というエピソードがあります。また彼は危機管理に秀(ひい)でおり、潜水艦の防水対策、ダメージコントロールの案を出し、正式に採用された良いエピソードがあります。潜水艦に志願し責任感が強く、後の特攻回天隊の指揮官として戦後も責任をとり、最期まで指揮官として軍人の務めを果たされたとあります。
それから、板倉氏が潜水艦に強く志願した影響の一つに、元皇族でありながら、軍人の志高く、正々堂々とふるまい、花形の戦艦ではなくマイナーの潜水艦にて尽力する小松氏を観たからだ、ということがあります。
小松 輝久氏はWikipediaによると竹田宮家の縁ある方とあり、令和で元皇族でもなく、旧皇族だったと公言してはばからないかの人とは違い、国のため、当時の皇太子が移動するさいに影武者を務めたという根っからの忠臣でした。この方は元皇族だからと贔屓されるのを厭われたとあり、やはりかの人とは器が雲泥の差がある、と思いました。
以上、日本のために尽力した志高い軍人のお話をご紹介しました。
みなさまの糧になる話になれたら幸いです。
文責 神奈川県 神奈川のY。
4 件のコメント
神奈川のY
2024年9月7日
れいにゃんさま、お疲れ様です。
本当にあの宮様詐欺師は血統だけであとは私欲しか無く、いい加減、恥を知って黙れと思う次第です。言論の酸素魚雷装填したいです。墓売る前に自分がどっかに入っとけです。
れいにゃん
2024年9月7日
あの騒々しい宮さま詐欺師が、潜水艦乗りになろうものなら、魚雷の餌食です。やはり、血統のみで人を見るは、意味をなさないことが、このエピソードでも判るかと。
神奈川のY
2024年9月6日
京都のSさま、コメントありがとうございます。元皇族の軍人魂、しびれますよね。
皇族をしっかり護り、国を護る!
ほんとあの輩とは違いますよね。あの輩は
私欲に生き私欲で散るでしょう。
京都のS(サタンのSでも飼い慣らすし)
2024年9月6日
当時MMK(モテてモテて困る)と言われた戦艦勤務を蹴って潜水艦に乗った板倉光馬もカッコいいですが、その彼に憧れられるほどの存在だった小松輝久(元皇族)も最高ですね。「竹田恒泰とは月とスッポン」などと言えば「スッポン」に失礼すぎますね。