「いつまでたってもキャラ立ちできないモモチー」論破(その6)

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つづき

さて、さっそく瀧音氏の見解を引用します。

※以下は「歴史人2024年10月号」のp40~p41、
「古代・江戸に即位した天皇たちの足跡をひもとく 8人10代の「女性天皇」はどんな存在だったのか?」から引用します。

しかし……

皇位継承における、「女性天皇」に触れるのみ、また女性天皇の在位中の事績や時代背景についての見解に終始している。(しかも側室制度は抜けている)
群臣の関与、時の権力者の関与についてはハッキリと指摘。ただ、大事な「壬申の乱」に触れてないのはかなりの難点。なぜなら、壬申の乱の経験を経て即位したのが持統天皇であり、皇位継承のルール……「皇太子の成立と譲位(生前退位)の先例化」をなした「天皇」ではないですか?

い、いかん、瀧音氏への突っ込みになっているぞ?
トホホ……。
モモチーを置き去りにしてしまった……。

それでも(女性天皇は)「中継ぎ」だとは括れないとの結論ではあるが、「女系」には一切触れない。

出てくる「系」は「直系」のみ。

興味深いのは持統天皇での記述。

「持統天皇は当初草壁皇子の即位を願っていたが、草壁は若くして病死……」
「……その後持統は即位するが、その目的は草壁の直系の皇子だけが、皇位を継承するという原則をつくることにあったといわれている。」

「(天皇)直系の皇子だけが、皇位を継承するという原則をつくること」……。

う~ん……やっぱりまだまだ弱い。

しかし「男系」「女系」でないのは読み取れる。
みて取れるのは「天皇直系」である。

しかしもっと簡潔に、すっきりわかりやすい、尚且つ学問的に最新の研究を踏まえた識者はおらんのかね?

あ!そうだ……武器があったんだ……。

(以下「愛子天皇論 2」P83~P84、p106~p109より引用)

・元明天皇→元正天皇は紛れもなく母から娘への女系継承
 (元明天皇が自ら後継者に最適として娘を選び譲位の詔を発している)
・元正天皇の父・草壁皇子は天皇ではない
 (元正天皇は元明天皇から天皇を継承。草壁皇子から継承したのではない!)

・古代王権の継承は「双系社会と長老原理」で成り立っていた
 (男女を問わず、実績と実力のある指導者が王になっていた)
・推古天皇……即位当時39歳
 (最も適任であるとの群臣の要請で即位)
・持統天皇……即位当時46歳
 (自ら権力を掌握して即位)
→中継ぎではない!
・世襲王権の成立自体、6世紀前半の継体~欽明以降
 (最初の女帝・推古は欽明の娘。つまり、女系登場以前には王権の世襲制が確立していない!)

うぅ……わかりやすい……。

さらに!

「女性天皇は、「10代8方」だけではない!」

おぉ!さらに瀧音氏への……これは指摘だ!

・飯豊天皇……『扶桑略記』などに天皇として書かれている
 (聖徳太子の生母・穴穂部間人皇女も女帝だった可能性があると言われる)
・神功皇后……『日本書紀』で天皇と同格に書かれ『扶桑略記』『常陸国風土記』『神皇正統記』などの史書でも帝とされている
(神功皇后、飯豊天皇が正式に「天皇」から外されたのは1926年。明治以降の男尊女卑の風潮の中、できるだけ女帝の数を減らしたいという意図があったとみられる)

※参考文献
「日本古代女帝論」(桑江明子著)
「皇位継承と戦争 女帝の世紀」(仁藤敦史著)
「元明天皇・元正天皇」(渡辺育子著)
他、「女性天皇」「女帝の古代王権史」「古代史講義(氏族篇)」「六国史」など多数。

さらに!
元明天皇(アベノヒメミコ)は、文武天皇からの遺言での皇位の譲位!……子から母への譲位!
そして、元正天皇への譲位は、母から娘への譲位!

しかも、草壁は天皇ではなく、元正天皇の即位より26年も前になくなっている……。

『そもそも「皇位の継承」であって「血統」の継承ではない!』
『古代の皇位継承は祖母(持統天皇)から年少の孫(文武天皇)へ、息子(文武天皇)から母へ(元明天皇)、母(元明天皇)から娘(元正天皇)へと、何でもアリという感すらある。』
『実際のところ古代の皇位継承は、皇統に属していて、能力的に適任であれば、それ以上の資格は求められていなかった。』

男系……『拘る』必要ないじゃん!

……アイデンティティー崩壊!するのか?モモチー!
しかし、この崩壊を「自ら認めること」は、強い……「本当の強さ」が求められるんだろうなぁ……。

あ……まだつづき(け)ます。

ある意味、もっともっと酷い発言が……。

文責 東京都 サトル

4 件のコメント

    サトル

    2024年9月23日

    追加です。
    扶桑とは「中国」からみた方角にある「木」のことで、「日本」を表すそうです。(詳細はWikipediaで。)
    興味深い「視点の位置」です。
    いや、ガキンチョの頃ちょっとマニアでして。戦艦「扶桑」…ってのがありましてね。名前のつけられ方にあるルールがあり。「扶桑」だけ、違和感あったんですよね。聞いたことないな…って。「昔の日本」なのに。小学3年生には、これ以上調べる手筈はありませんでしたが、とても記憶に残っています。
    今は、「女性天皇」に「扶桑」って、なかなか興味深いな…と。
    しかし、明治…「キャンセル」してんじゃないよ、全く。
    神功天皇も、高野山で肖像画…みた気がする。

    サトル

    2024年9月22日

    >SSKAさん
    コメントありがとうございます。

    コメントのとうり、男系女系には全く触れてはいません。
    ダンケーの方々は、儒教的価値観を以て最大評価される「男系」を声高に賛美誇りにするのは、どうかしてんじゃないの?…と思います。
    …ですね。

    SSKA

    2024年9月22日

    訂正いたします、瀧音氏でした。
    失礼しました。

    SSKA

    2024年9月22日

    瀧谷氏にしてみれば、天武・持統の後継者だった草壁が早世してしまう予期せぬアクシデントで継承の将来計画が崩れた緊迫感の中、権力の空白を防ぐ為に同時代の人々によってどの様な経緯で位が引き継がれたかが最も重要で、男系女系の区別にその意義は見出せず、些末な問題過ぎて取り扱う価値すらないと言う事ではないでしょうか。
    皇位を争う大乱を経て生き残った当事者やその子孫にとって同様の事件を二度と起こさぬ為に継承問題は相当にデリケートな問題として注意深く扱われたはずで、極めて揺らぎ易い不安定な時代であったにも拘わらず自称保守派が望む男系が絶対や必須と言った条件は日本人が危機の際に統治者に求める思考とは全く関係無いと示されています。
    一貫して男系継承だったと言う主張は所詮は思い込みや俗説でしか無く、検証や批判を一切受け入れない点は歴史とは呼べず、まさにカルトに近いと専門誌の姿勢は実に明確だと思います。

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