引き続き戦闘機大好きな航空参謀、源田実氏をご紹介します。(前回のあらすじを含みます。)
源田実氏は海軍大学校を卒業し、航空参謀になるも、海軍の大艦巨砲主義達から源田実は気が狂っているという評価がはびこり、腸を煮えたぎらせていました。しかし、1年同期で以後戦友になる大西瀧治郎氏からは「正しいことを正しいと認めることが大切なのであって何が国のためになるかで考え無節操と罵られようとも意に介すな」という心強い言葉に支えられ、源田実氏は、シナ事変で戦闘機の有効性を実証して周りを巻き込んで行きます。そんな最中、源田実氏はある将校と激論し、かの零戦の開発に関わります。
当時、新しい戦闘機の案を各将校に聞いていた、後の稀代の天才と言われる設計士の堀越二郎氏(*宮崎駿のアニメ映画「風立ちぬ」のモデルとなった人 by基礎医)が源田実氏にどんな戦闘機が良いのか?と尋ねたさい、源田実氏はどの性能も欲しいが、他国に負けないパワーが欲しいと格闘性能を優先して欲しいと話をしたところ、一人の将校が待ったをかけました。当時、海軍航空廠実験部部員の柴田武雄氏が、実地経験から格闘性能より攻撃機機体援護の為の航続力と、敵を逃さない速力が重要、と待ったをかけました。
この柴田武雄氏は軍人の中で異色の経歴がある方で、催眠術をマスターし、数理的の占いを心得、戦中・戦後にはお光教という宗教に昏倒したというアヤシイ軍人パイロットでしたが、戦闘機に関しては源田実氏に譲らない情熱を持ち、空戦は不得手な自身の為に、旋回戦法という不利な体勢から巻き返す格闘戦における技術を発明しています。これは敵に追尾された状態で水平状態を保ち接近された時にロールし速度を落として後ろに回り込む戦法で、トリッキーな戦い方でした。後の源田実氏所属の献納機で活躍した源田サーカス団所属し、米軍75機に対して雷電一機で戦った赤松貞明氏の長官でもあった人です。
そんな2人の正論の平行線で、堀越氏は真剣な両者の期待に答えることにして日本最強の戦闘機、零戦を開発する事に成功しました。日本の名刀に例えられる零戦は、防御面は捨てた攻撃・速さが最大の武器であり、大東亜戦争の最後まで日本の為にパイロットとともに翔けて行きます。
さて、富国強兵に邁進しようと日本が意気込んだ矢先、アメリカや諸外国が日本に対して警戒し、外交に圧をかけ、日本政府はまだアメリカと共に歩もうと模索していましたが、アメリカはその気はなく、キリキリと日本を締め付けて来ます。
その中で、日本がアメリカ開戦と舵を切ったさい、どう戦うか?戦うとしたらどこでやり、短期決戦で講和を結ぶか?を山本五十六長官は考え、真珠湾攻撃に狙いを定めます。
当時の真珠湾はアメリカでも難攻不落の水上要塞とうたわれ、戦艦が沈む砲台を多数配備され、水深は浅瀬の12メートルと魚雷も難しいと言われてました。山本五十六長官は対空、魚雷、艦爆に目をつけ、大西瀧治郎氏、源田実氏を集め雷撃の有効性を研究してほしいと依頼し、これに対して源田実氏は、「この国の搭乗員のレベルなら不可能はない、やれるだけやってみよう。」と航空参謀として駆けまわり、雷撃の専門家であり後の雷爆の神さまと言われる村田重治大佐に鹿児島湾にて水雷の訓練をお願いし、超難関の浅瀬で水平爆撃や水雷爆撃を成功させました(*このあたりは、映画「トラ・トラ・トラ」にも、出てきますね by基礎医)。
村田重治大佐の凄いところは、この浅瀬の水雷爆撃を自分一人ではなく計算によって攻撃の成功を割り出し、隊員全員に覚えさせたところです。また、源田実氏は爆撃機で水平ではなく急降下爆撃で戦艦などを沈ませる為、後の艦爆の神さまと言われる江草隆繁大佐に急降下爆撃を叩きこみました。
源田実氏が飛び回って開戦に向けて頑張ります。
今回はここまでです。続きはその5にていよいよ真珠湾攻撃開始です。
文責 (色々アヤシイ)神奈川県 神奈川のY
2 件のコメント
神奈川のY
2024年10月15日
あしたのジョージさま、いつもコメントありがとうございます。次はあんな将こんな将と源田実氏に負けない異端児達をご紹介し真珠湾攻撃に乗りこみます。引き続きどうぞです。
あしたのジョージ
2024年10月13日
源田実氏が、零戦の開発に関わっていたんですね。
「風立ちぬ」も「トラ・トラ・トラ」も見ていましたが忘れていました。
また見てみたいと思いました。
次回はいよいよ真珠湾攻撃開始ですね!