今回のブログは、さる8月6日の日々是皇室「8月6日 世界の平和を願って」に寄せた私のコメントに、加筆修正したものです。
同ブログにリンクが張ってある愛子様の「広島」作文と、併せて読んで戴ければ嬉しいのですが、その中で殿下は、原爆ドームを見た瞬間、足が動かなくなるくらいの衝撃を受けた事を綴っておられます。
70年以上も昔の事でも、ここまで我が事のように受け止められる感受性って、決して誰もが持ってるわけじゃない事は、30年以上、色々と人間を観察してきて悟りましたよ。
原爆資料館とオバケ屋敷の区別もつかないで、はしゃいでるだけのバカタレも、平和記念式典の日にクマドリメイクで仮装大会やってるようなバカタレも、たまにはいるもんだ。
そーゆーの見てると、原爆の悲惨さの記憶って、世代が下ると共に風化していく宿命なのかなと、諦めてフテ寝したくもなるよ。
いつぞやの「愛子さまトーク」で、しろくまさんも「共感力」という言葉で表現されていたけど、まさに「被害にあった人々の苦しみ、無念さ」を我が事として感じ取れるぐらい共感力が強いからこそ、愛子様は国民に優しいんだろうね。
上皇陛下が、「忘れてはならない4つの日」として上げられたうちの一つが8月6日、広島原爆の日でありますが、勿論愛子様も、ご両親と共に黙祷を捧げておられたそうです。
こんな素敵な君主、2人といないよ。
愛子様が、そして同じように広島を訪問された悠仁様が、俺が見たのと同じ、あの惨劇を伝える資料の数々を目の当たりにして心を痛めてくださっているのかと思うと、人間の行いの残酷さに悩んでるのは自分だけではないのだと、若干救われたような気持ちになるのも確かです。
皇室の存在に本気で有難みを感じるタイミングって、こういう時くらいしか無いのかな? 俺って(苦笑)。
・・・あとさ、ほんなごてどが~んでんよか蛇足ばってん、今年は俺もちゃんと0815に、忘れず黙祷したばい。ここ数年忘れがちやったけど。
8月9日(長崎原爆の日)も、散歩中にも関わらず、ジャスト1102に黙祷捧げたとよ。
横断歩道渡りながらでも案外、イケるもんたい(笑)。
・・・ざーとらしく地元弁使ってみたけど一応は、俺も長崎県内の出身なので、小学校~高校まで、毎年8月9日は必ず登校日 & 平和教育だったから、被爆体験の話ならゲロ吐くぐらい聞いてるし、図書館とかでも読んでる。
『はだしのゲン』も全巻熟読した。
長崎の原爆資料館も、現在の姿にリニューアルされる前から何回も足を運んでるし、永井隆博士の「如己堂」とか「一本柱の鳥居」とかも見たよ(さらうどんさんが地元だそうなので、その辺の詳細は俺より詳しいかと思います)。
長崎市内の山王神社にある、通称「一本柱の鳥居」。
崩落した半分は、近傍に集積されていた。
こんな重量物が爆風で飛ばされてきたら、恐怖を感じる隙もないだろう。
神社の境内には、被爆を経験したクスノキが、今も青々と葉を茂らせている。
広島の方は、まだ一回しか行ってないです。
木蘭先生のブログによると現在はどうやら撤去されたらしい、平和祈念資料館内の蝋人形(?)も見た事あるけど、決して「被爆者を軽視している」という印象までは受けなかった。
現在はレストハウスになってる旧大正屋呉服店も含めた平和公園周辺は一通り見たけど、またいつか行かなきゃね。
原爆ドームから元安川を下った所にある「かなわ」の牡蠣料理もまだ食った事ないし、何より吉田拓郎さんの地元だし(笑)。
・・・言っとくけど、別によしりん先生から「非国民」認定される事を、回避したくてクドクド体験談を語ってるわけじゃないよ(笑)?
まあ、大体こんな教育環境で育った俺でも、安直な「反核平和論者」をなんとか卒業出来たのは、ひとえによしりん先生の『戦争論』に出会えたお陰なのは勿論です。
でも、愛子さまも作文の中で、「『平和』は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくもの」と指摘されたように、本当に国民自らの手で平和を実現するには、ただネトウヨみたいに匿名で勇ましい事ばっかり言ってもいられないよね。
そういう人に限って、悲惨な被爆体験を聞いたり、写真とか見ただけで、ナイーブに思考停止したりするもんだ。
悲惨さを直視し、葛藤を重ねる事でしか、「自主防衛」に対するホンモノの覚悟というのは育たないんじゃないか?
その辺りを、次回ブログで考察してみますね。
文責 北海道 突撃一番
3 件のコメント
突撃一番
2024年10月31日
みなさん、掲載 & コメントありがとうございます!
本文にも書いた大正屋呉服店の地下で、ただ1人生き残った方も含め、特に爆心地近辺の生存者の証言などもyoutubeで視聴出来ますが、本当に目を覆いたくなる話ばかりです。
思想の左右を問わず、また核武装の賛否どちらに立つ人であっても、広島と長崎に何が起きたのかは、絶対に学んでから発言すべきだと思いました。
無論、学んだ末に出てくる結論が、必ずしも「反核平和」である必要はありません。
今回のテーマ、一読すると皇室と関係が薄いようにも思われる方もいらっしゃるかと思いますが、天皇の平和への祈りと、現実における国防上の暴力装置 (特に核武装) の必要性とを、どのように折り合いをつけるかは、「自主防衛を志す尊皇派」にとって、一生悩み続けねばならない事だと思います。
その辺のテーマも次回ブログでは、問題提起になるかと思います。
また、被爆の遺構のみならず、大和ミュージアムとか江田島の海自幹部候補生学校所蔵の資料その他、広島にはとかく戦跡が豊富です。
笹先生も何度かブログで書かれてたと記憶してますが、俺もまた死ぬ前にもういっぺん行きたいなぁ。
『この世界の片隅に』の聖地巡りもまだ行ってないし。
ところで、これまた本文で書いた吉田拓郎さんといえば、原爆をテーマにした楽曲「いつも見ていたヒロシマ」も有名です。
一方、代表曲の一つである「夏休み」も、原爆の事を歌った曲ではないかとファンの間で噂される事もありますが、御本人は否定されているそうです。
(wikipedia)
武田鉄矢主演の刑事ドラマで有名な「唇をかみしめて」も、原爆とは関係ないけど、広島弁の歌ですよ。
意味わからんけど感動するよ。
DOJO参加者のみなさん、広島を満喫出来てうらやましいわ~www
※ このコメント書いてる途中、また北朝鮮が弾道ミサイルを発射したとのニュースあり。
あんな奴等に核なんか持たせたら、それこそ「キチガイに刃物」だろ!!
そのような無法者から、我々は天皇陛下をお守りせねばならんという事です。
yan ryu
2024年10月30日
長崎の一本柱鳥居、30年以上前、修学旅行で長崎に行った際に見たときの衝撃を覚えています。私の叔母は長崎で原爆を経験しました。「『平和』は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくもの」…憲法九条とは違う、主体的に平和を創り上げていく意志を感じるお言葉だと思います。
のーたん
2024年10月30日
核抑止力を信じているのなら、「原爆の悲惨さ」は十分伝わっているということになる。
核保有国が核兵器を手放さないのは、核抑止力を信じているから。
つまり、「原爆の悲惨さを伝えることは、核兵器廃絶に繋がらず、核兵器拡散を促進する」ということだ。