国難のさい、君主と臣下が一致団結して事に当たるということがあります。 例えば、大東亜戦争時、当時の鈴木貫太郎内閣と昭和天皇が一致団結にて国民と国の為に日本を終戦に導き、今の日本を繋ぎました。
三国志のエピソードにも、君主と忠臣が一致団結して国難に当たった話があるので、ご紹介したく思います。
大敵の曹操から窮地を脱した劉備は、小さい江夏というところで腰を据えました。しかし、曹操は劉備と南を侵攻する手を緩めず南下していきます。曹操は劉備をキュッと締める為、呉を治めていた孫権に、共に狩りをし・・・と劉備を獲物に例え、”獲物を獲った後は天下を二つに分けて仲良く支配しようじゃないか!”と手紙を送ります。
孫権は親子3代で呉の郡を治めていましたが、歴戦の曹操に対抗するには戦の経験含め不安があり、この頃呉では劉表と同じく、曹操に対して降伏派と抗戦派に別れていました。主に知識人や文官の大部分は降伏派になり、呉の重鎮であった張昭がボスで、君主より民と都の財政や生活保護を優先とした合理性ある(に見える)弁論を振るっていました。張昭は孫権の前の代である兄の孫策の時代に仕え、張紘と共に「江東の二張」と言われた剛直な賢者として有名です。
一方、抗戦派は降伏派と反対に、君主を護り、独立を優先する考えで、現場を鑑みて現状を把握する姿勢で、主に文武を両方治められ、柔らかい思考を持つ、後に都督を務めた重臣魯粛、孫家3代に仕える忠臣、黄蓋、韓当などベテラン武将が抗戦派でした。魯粛達は、このまま、大軍の曹操に降伏したら君主の孫権が軽んじられ、一時は盟友、しばらくしたら従える立場、最期は小さな田舎の国無し君主になり下がるだろうと察しました。劉表の時も、降伏した場合、民や臣下達は安泰に過ごすことが出来ましたが、君主になった劉表の息子、劉琮は演義では、曹操に”何故大軍持っているのにやすやすと降伏した!?劉備を観ろ!奴は戦って負けても降伏しないぞ、恥知らずめ!(意訳)”と詰め寄られたり、曹操と蔡瑁の企みで遠方へ追放される中、母と共に暗殺され、命運尽きました(史実では不明です)。
話を呉に戻すと、国が曹操との戦力の憂いが抗戦派にもあり、魯粛は難を逃れた劉備の下に赴きます。 魯粛は劉備と孔明に現状の大敵曹操に抗うには、共に迎え撃つしか他無いと説きます。呉の孫権には唯一、足りないところは曹操と劉備に比べて戦争経験が無いところでした。 劉備は戦の経験が多くも、土地や財政無く、お互いを補う形で同盟(仮)を結びました。
ただ、呉ではまだ降伏派が幅を利かせており、 孫権は降伏派の意見と抗戦派の意見の間に揺れ動いていました。 そこへ、魯粛が劉備を訪問し孫権を説得出来る人を求めると、 孔明が”私が参りましょう。”と名乗り出ます。劉備は一人では心配と言うも、孔明は”我が舌先三寸で活路をつくります。我が君、ご安心を。”と 羽扇を仰ぎながら、魯粛と共に単身、劉備達の命運と呉の命運を背負って呉に赴きます。
ちなみにこの時代、外交は命懸けであり、使者の命は相手の機嫌により、羽毛の如しで軽く散る状態です。 降伏派の知識人達が跋扈する中、抗戦派の魯粛達と孔明が弁舌を振るい、君主の為に動きます。
今回はここまで、
(三国志編その6、赤壁編その2)に続きます。
文責 神奈川県 神奈川のY
4 件のコメント
神奈川のY
2025年2月21日
あしたのジョージさま、コメントありがとうございます。少なくとも石破氏に命を預けられませんね。何か負のオーラに引きずられそうです。源田実司令や児玉大将の下でしたら命預けても大丈夫な気がします。人の器は大事です。
あしたのジョージ
2025年2月21日
劉備のように堂々とした素晴らしい君主の為なら命をかけてもいいと思う人達が集まるものですね。
安倍晋三は素晴らしいとは思いませんでしたが、多少そういう人達はいたかもしれません。
今の総理大臣の石破茂には残念ながらいないと思います。🥹
神奈川のY
2025年2月21日
基礎医さま、編集・コメントありがとうございます。魯粛は三国志演義だと、孔明と周瑜の引き立て役の位置ですものね。本当は豪胆な軍事と政治が出来る英雄で、呉の名将筆頭だと私も思います。劉備達も忖度無しに相性で言えば交流しやすい人だったかとも。鈴木貫太郎は海軍の水雷畑出身で日露戦争では魚雷で敵艦を沈めたり、訓練がスパルタで鬼貫太郎とも呼ばれてたとか。2.26事件では銃弾何発も体にもらいながら生還したそうで、そんな方が内政だと昭和天皇の侍従で意思疎通しながら終戦を結んだ姿に魯粛に近いものがあるなと感じました。また、曹操は結構自分は裏切るも、やはり不義理な輩は嫌いだったのか、不義理な奴は最後まで生かさなかったですよね、呂布や許攸(袁紹の元幕僚)しかり。やっぱり義は大事ですよね、何事も。
基礎医学研究者
2025年2月21日
(編集者からの割り込みコメント)いや~ネタとしては、自分にはド・ストライクですね( ´艸`)。自分、三国志演義はどうも人物へのスポットライトの当たり方に偏りがあり、特に魯粛の扱いに、自分としては若干の不満があります。しかし、このときに魯粛は、まさに臣子敬でしたね。神奈川のYさんも書かれていますが、昭和天皇に対する鈴木貫太郎も、利害を超えて主君のためにうごいておりましたよね(2.26のときに生き残ってくれて、本当によかった~!)。
あと、余談ですが、曹操。今回蔡夫人や劉琮は曹操によって処分されましたが、曹操って、結構義理を欠く人間が嫌いなようですね。自分に利益をもたらしてくれるにしてもどんな手段でもOK!というわけではなく、きちんとその行動を見ている。たぶん、曹操の元にそれなりに人が集まってきたのも、強引な面と表裏一体のこういうところなのではないかと、思った次第です。次回に、期待します。