興味深いタイトルの本を見つけたので本屋で買って読み終えました。
タイトルは皇室とメディア「権威」と「消費」をめぐる150年史、河西秀哉著です。
本の帯には、「権威」の代弁者か、「象徴」の伴走役か、「消費」に走る商業主義か。天皇や皇室を権威として扱い私たちとは違う存在と見る価値観。私たちと同じ人間として親近感を持ち、支持する志向。天皇や皇室を消費的に扱い、まるで芸能人を見るかのような空気感。近現代の日本の中で、それぞれの概念が絡み合いながら、時に権威が強くなったり、時に人間性を希求する人々が現れたり、時に消費的にする風潮が強まったり、いずれかのみに振れることなく時期によって様々なバランスの中で3つの概念が作用することになると著者がはじめにの所で言ってます。
昭和51年生まれの私は小学生の頃、昭和天皇の顔を知らないほど無知でした。竹下総理を昭和天皇と間違えていた時期が有り母親から指摘を受けて初めて気付くほど無知でしたが何となく天皇とは偉くて貴い存在なのだろうなと思ってました。そこには「権威」としての天皇像が有ったと思います。そして殆ど知らなかった昭和天皇から上皇陛下に代替わりしてイメージは随分変わりました。
被災地や色んな公務を通じて日本人と膝と膝を突き合わせて会話する上皇・上皇后陛下をテレビを通じて見たり生前退位のビデオメッセージを見たりして天皇も大変なんだなと感じたりしました。人間としての親しみを覚えたのは上皇・上皇后陛下をテレビで見たからだと思います。そして確か小林よしのりは天皇について関心が有ったよなと思い憲法と天皇について考えたくて天皇論と天皇論平成29年を読みました。それが現在の血肉になったのは間違いありません。つまり最初はテレビというメディアを通じて何となく見てきた天皇を書籍でも知りたくなったのです。
現代令和では皇室報道もだいぶ民主化され今上天皇御一家の御料牧場での会話が聴けたりと教育勅語の暗唱や御真影を拝ませた明治天皇の時代とは一線を画してますね。この本に有るように明治において日本が近代化していく過程でマスメディアが果たしてきた役割は大きいです。国民が皇室をメディアを通して知るのは今や常識になってると言っても良いでしよう。
しかしながら、権威と人間性を希求するのと消費のバランスは大切だとこの本を読んで感じました。マスコミの報道が権威というものを重点的に扱った明治とは違って皇室の方々の動きは殆どプライベートがない状態ですから。週刊誌によって美智子上皇后や雅子皇后、小室眞子さんが精神的な病になったのも歴然たる事実です。開かれた皇室もバランスを失えば毒にもなり得ると思います。未来においてSNSを含めたメディアがどうなるか、この本を通じて考えてみてはどうでしょう。
文責 北海道 ひとかけら
3 件のコメント
SSKA
2025年4月6日
権威と人間性のバランスが特に歪だったと現在も考えさせられる事として、昭和天皇崩御前のプライバシー皆無の報道や、その後の大喪の礼の過剰なお悔やみムードの社会への悪影響などに表れていると思います。
ひとかけら
2025年4月6日
掲載ありがとうございます。
天皇に権威を感じたい昭和の人間として後の世代に伝えて行きたいと思いました。しかし、今上天皇がテレビカメラの前でナルトと御自身の名前、徳仁を掛けたダジャレを言うのを見て時代は変わったなとも感じています。
権威の光を感じつつもユーモアを忘れないような天皇制が理想的ですね。
ダダ
2025年4月6日
皇室に過失はなく、消費に傾いたメディア(大衆)が猛省するべきですよね。
反論できない相手に事実に基かない誹謗中傷を何十年も執拗に繰り返しているのですから、まずは倫理(人の理)を養って欲しいです。