小室圭さんの発表文書を読み、「平和の祈り」(アッシジのフランチェスコ)の一節を思いだしました。
『・・愛されるよりは愛することをわたしが求めますように・・』
眞子さまも小室さんもお互いをかけがえのない人として愛し合っておられます。
小室さんとお母さまへの心無い中傷、眞子さまのお父さま、秋篠宮殿下への非難にお二人はどれほど心を痛められ悲しまれたことでしょうか。バッシングの数々は常軌を逸しています。私たちはこんなに残酷な国民だったのですか?これは執拗なイジメではありませんか?また小室さんは一般国民。プライバシーは守られてしかるべきではないでしょうか?
小室さんに限らず、個々の人生には外からはうかがい知ることのできない事情があります。それを忖度して見守っていくのが私たち国民の務めではありませんか。少なくとも正義の裁判官のごとく誹謗中傷断罪していい正当な理由はありません。一般国民である小室さんとお母さまのプライバシーは守られなければなりません。
しかし、そのような耐えられない困難の中にあっても、眞子さまと小室さんはお互いへの愛情を変わらず持ち続けておられます。そこに私は希望を見出します。
多くの見知らぬ人たちからこんなにひどい仕打ちを受けたら、大抵の人は諦めてしまうのではありませんか。
けれど眞子さまも小室さんも愛する人を捨てません。一生を共にしていく覚悟を持ち続けておられます。私は小室さんが一人の女性を愛し共に生きていく、幾多の困難もろとも眞子さまとの人生を引き受けていくという決断をされたところに人としての輝きを見出します。
「平和の祈り」には
『・・絶望のあるところに希望を、闇に光を、悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください』とあります。
眞子さまと小室さんのお互いへの愛は、希望・光・喜びをもたらすもの。
お幸せを心から祈っています。
文責:京都市 ユディト
2 件のコメント
ダダ
2021年4月25日
うつくしいもの、尊いものがそこに在るということが分からない人は、誰も幸せには出来ませんよね。
「人としての輝き」って良い言葉ですね☆
お二人を見ていると本当にそう感じます。
眞子さまと小室さんの幸せをお祈りします。
基礎医学研究者
2021年4月25日
”希望と光と喜び”見事な表現かと思います。そして、ユディト様言われるように、個々の人生、ましては皇室という聖域におられる方々の人生は他人(国民)が窺い知ることのできるようなものではない、というユディト様のご意見には、まったく同感であります。我々に言えることは、どのような形であれ、眞子様、そして小室圭様お幸せに、ということに尽きるのだろうと。