「神功皇后論」:バカでもわかる女性天皇の歴史

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連載「神功皇后論」最新回です!

279章 バカでもわかる女性天皇の歴史

本日発売の週刊SPA!に掲載されています。
みなさんの感想、ぜひお寄せください。

感想はこちらのコメント欄で!

14 件のコメント

    mantokun

    2025年9月13日

    先日は私の感想コメントをゴー宣ブログで紹介いただき、嬉しかったです♪前回書いたコメント内容に関連して、気になることが出てきましたので、再び投稿させていただきました。

    先日、東京国立博物館本館で開催が始まった特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」に早速行ってきたのですが、ちょうど「神功皇后論」最新回で女帝の業績を読んだばかりだったため、音声ガイドで聞いた案内にかなり引っ掛かりを覚えました。興福寺北円堂の創建に関して「大宝律令の制定や日本書紀の編纂に携わり、いわば日本の国の礎を築いた藤原不比等の追善のために建てられた」とか、「平城京遷都の立役者だった藤原不比等」とか、まるで奈良時代の歴史を牽引し、建国に大功があったのが藤原不比等ばかりのように聞こえました。(興福寺は藤原氏の氏寺なので、リップサービスを兼ねている面もあったのでしょうが)

    奈良時代から千年以上にわたって天皇の正妻を出し、朝廷の高官を独占し続けた一族の創始者に当たる藤原不比等をそのように表現することは間違いではないのかもしれませんが、こうした歴史観を長年にわたり当然のように受けとめてきたこと自体が、「女性天皇は全員中継ぎ」という歴史観が、学界にさえつい最近まではびこっていたことにつながっているのではないかと思いました。

    今回の「第279章 バカでもわかる女性天皇の歴史」では、「43代・元明天皇は、平城京遷都と古事記編纂という大事業を成し、実娘・元正天皇に譲位した」「元正天皇は養老律令の編纂・制定を行い、日本書紀もこの時代に完成した」と、麗しい女帝の肖像画とともに、遷都と歴史書の編纂という大事業を、しっかりとその時の君主である女帝の成したこととして描かれています。これは上記の「藤原不比等中心史観」とは全く違います。
    そもそも遷都や歴史書の編纂、法律の制定は国王の専権事項なのに、なぜ女性天皇の御代に限っては、臣下の業績が過剰にクローズアップされているのでしょうか。

    だったら、同じ奈良時代に聖武天皇が紫香楽宮や恭仁京への遷都を強行したことは彷徨5年とも呼ばれて、現在でも失政扱いされていますが、これに関しては藤原氏の責任にならないのかと。また、桓武天皇による長岡京や平安京への遷都、続日本紀の編纂について、当時の朝廷の実力者が立役者などと言われているのは聞いたことがありません。
    推古天皇が蘇我馬子や聖徳太子の傀儡だったという説が否定されたのも近年ですし、斉明天皇のリーダーシップはいまだに息子の中大兄皇子に付け替えられて見られがちです。先入観を取り除いた、外国との比較による日本古代史の研究の進展はまだまだこれからなのだと、第279章を読んで改めて思いました。

    愛子さまが立太子されれば、おそらくこの男性権力者中心史観のくびきから解き放たれ、さらに古代史の研究が進むことは間違いありません。その意味でも、やはり輝かしい日本の未来は、愛子さまのご即位にかかっているのだと思います。

    突撃一番

    2025年9月13日

    伝承の存在だからという理由で神功皇后を排除するのに、何故「欠史八代」は排除しないのか!?

    まさに「男尊女卑」以外では説明がつかない、核心部分ですね!

    グッビオのオオカミ

    2025年9月13日

    余談のそのまた余談ですが…。
    島田三郎の経歴をウィキペディアで見ると少し面白かったですね。
    若い頃に幕府の昌平黌で朱子学を学んだ様です。
    明治30年前後に内村鑑三らと同期の植村正久からクリスチャンの洗礼を受けてもいたようです。
    キリスト教徒が多い欧州諸国ですら、男尊女卑や男系男子継承は疑問視され始めていたとも書かれています。
    それなのに男尊女卑の島田三郎は日本の皇位継承は男系男子に限定する。
    私は彼の精神構造が興味深いと思いました。

    グッビオのオオカミ

    2025年9月13日

    まあ、男系男子限定継承が皇統の絶対的な条件だと言うのは完膚なきまでに叩き潰されていますね!
    分かりやすい事この上無く、他人にも勧めても良い内容です。
    最近、少し気になるのが明治22年の男系男子を皇室典範に明記した件が愛子天皇論3の最終章に書かれていました。
    岩波新書で島薗進氏の「国家神道と日本人」を読み進めている中で、明治15年に有栖川宮幟仁親王が皇典講究所の開設に関与し、それが久邇宮朝彦親王が祭主となり伊勢神宮では皇學館となり東京では皇典講究所となる。後の皇学館大学と国学院大学の前身ですね。
    引っ掛かったのは、神社本庁や神道政治連盟やそのトップの田中恒清氏らの男系男子のプライドは何に由来し、明治22年の島田三郎の男系男子のプライドは何に由来するのかがその記述から気になりました。
    明治15年からこういう信仰心めいた頑冥な男尊女卑的な流れは始まっていたのか?と疑問に思いました。
    ゴー宣の本題から脱線し、大変失礼致しました。

    枯れ尾花

    2025年9月12日

    「バカでもわかる女性天皇の歴史」を読ませて頂きました。
    それにしても、よしりん先生の描かれる歴代女性天皇のなんと見目麗しいこと!
    「新天皇論」でも女性天皇の御活躍が描かれていましたけど、この御方々が我が国の歴史の中で本当に重要な役割を果たして来られたことを国民はきちんと知るべきです。このような素敵な私達の天皇の存在を知らぬままなんて勿体なさすぎです!

    真っ暗くん

    2025年9月12日

    「バカでもわかる女性天皇の歴史」を拝読して掲載している「SPA!」二冊を立憲民主党の矢﨑堅太郎議員と自由民主党の英利アルフィヤ議員の事務所に手書きの手紙とトッキー、みなぼんの誤植について取り上げたブログ記事の印刷を添付して送りました。せっかくここまで簡素に描いていただいたので「愛子天皇論3寄付運動」の延長として議員や著名人に「愛子天皇論3」と同じように送る事も有りかと思い実施しましたが皆さまはどう思いますか?

    くりんぐ

    2025年9月11日

    神功皇后論「バカでもわかる女性天皇の歴史」拝読しました。

    男尊女卑を皇室典範に捩じ込みやがられた井上毅、めっちゃ腹が立ちます!

    皇位継承者が男系男子に限定されたのは明治22年!
    西暦では1889年!136年!
    それまでの千年以上もの間、女性・女系天皇の可能性は閉ざされていなかったのです。
    時の天皇と血筋が近ければ、男も女も男系も女系も皇位継承が可能な双系継承が日本の伝統!

    実在が確かな飯豊天皇を「女」だから排除!実在が疑わしい欠史八代は「男」だから排除せず残す!
    男ってちっちゃいな!

    男尊女卑で排除できなかった8人10代の女性天皇を「中継ぎに過ぎない」と叩いても、初代と最後の方以外の全ての天皇が、「次の世代に天皇という役割を繋ぐ」という大切な中継ぎの役割を担われています。
    中継ぎを舐めるな!

    天皇が直接政治を行なっていた古代は、政治的実力を持つ女性天皇が活躍。

    推古天皇は初めて「天皇」の君主号を用いられて36年も在位。
    皇極天皇は初めて譲位され、斉明天皇として再び天皇になられた。
    百済救援の為、68歳の高齢の身で自ら出陣!その途中崩御されるも、息子の天智天皇が皇位継承。母親から皇位を継いだので女系継承!

    持統天皇は推古天皇が用いた「天皇」の号を正式に法制化。
    「日本」という国号を正式に定めたのも持統天皇!
    伊勢神宮の式年遷宮も、大嘗祭も、始めたのは持統天皇!
    孫の文武天皇に譲位した後も太上天皇として実権を握り続けた!

    元明天皇は息子である文武天皇から皇位を継承。
    子から母親への継承って、男系継承とも女系継承とも言えません。
    これも例外に入るのでしょう。
    元明天皇は平城京遷都と古事記編纂を成し遂げられ、娘の元正天皇に譲位。
    元正天皇は養老律令を編纂・制定。
    甥の聖武天皇を教え導かれ、太上天皇として後見。
    孝謙天皇は皇太子を経て即位。称徳天皇として重祚。重祚された2例はどちらも女性。

    明正天皇が即位された時、次の天皇は決まっていませんでした。
    後桜町天皇は上皇がいなかったことで、自ら天皇の職務を執り行われました。
    そして後桃園天皇・光格天皇の2代の天皇を上皇として教え導かれました。

    男系派の詭弁「父方を辿れば必ず天皇に行き着く」、それどうやって証明するんですか?
    母方の血筋は「産んだ女性が母親」と証明できますけど、父方の血筋はDNA鑑定の無い時代証明しようがありません。

    皇位継承者が男系男子に限定された明治の皇室典範では、男子を産むための側室が認められていました。
    その後、日本が文明国として認められる為、側室は廃止されました。
    側室復活は国民のひんしゅくを買うので不可能。

    一夫一妻で男系男子限定という歪な制度を放置した結果、皇后雅子さまは「男子に恵まれない」というだけで酷いバッシングに苦しまれ、ご病気に追い込まれました。
    英国王室はエリザベス2世が雅子さまを不憫に思われたことをきっかけに、王位継承が男子優先から性別問わない長子優先に変更されました。
    なのに、肝心の日本が変われていないのは異常。
    同じことを今度は悠仁さまの結婚相手にしようとしていることがバレバレでは、悠仁さまの結婚は不可能です。

    明治からの「男を尊び、女を卑しむの慣習」とは、いい加減決別しましょう!
    今上陛下の直系である愛子さまを皇太子に!

    SSKA

    2025年9月10日

    神功皇后を嫌うのは三韓征伐の逸話から旧日本軍を想起して中韓関係に負い目を感じる戦後自虐史観左翼らしい臆病な一面があると素直に認めるべきですよ。
    女帝の歴史には力の差のある強国相手でも決して怯まず挑もうとする不屈の闘志と威厳があるのに、それを冷ややかに見る人間は外国への恐怖と脅威で縮こまりながら常に媚を求める敗北主義者と呼ぶのが相応しいと言えます。
    自称保守=男系主義者の対中韓批判も所詮他力本願、国内の女の力を認めずDV精神を振るいながら宗主国アメリカの顔色だけ窺い虚勢を張るのに必死なちっぽけな勇ましさと言ったところでしょう。

    ダグドラえもん

    2025年9月10日

    一日遅れましたけど、今週の『神功皇后論』拝読致しました( ̄^ ̄)ゞ!!
    冒頭の井上毅のイラっと来る姿(笑)からの、コレでもかとの女性天皇の歴史と否定論&中継ぎ論への完全否定に、私も改めてスッと頭にも心にも響く内容になりましたよっo(^-^)o。そして、欄外のトッキーさんの神武天皇からの古代の大王は合議制で必ずしも血が繋がったワケじゃないと言う古代史の現在の見解に思わず納得ッスよΣ(・ω・ノ)ノ!!
    だからこそ、尚の事現在よしりん先生による『神功皇后論』で神功皇后の存在と業績を再び世に知らしめる必要があると、改めて納得した次第ッス💡
    後、私的には、神功皇后の再来を思わせる感じの持統天皇のキャラが一番ツボったりもします(^^ゞ。
    今週も、めっちゃ最高に面白かったッスよ*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)’・*:.。. .。.:*・゜゚・*

    mantokun

    2025年9月9日

    今回の「バカでもわかる女性天皇の歴史」は、連載中の「神功皇后論」にも繋がる、非常に分かりやすい「女帝必然論」でした。私はゴー宣で義江明子氏の著書が紹介されるまで、「推古天皇が蘇我馬子と聖徳太子の傀儡として即位した」という旧来の説が学界ではとうに否定されていたことも知らなかったため、非常に驚いたものでした。しかし、馬子や太子が没した後も最高権力者として君臨し続け、終身在位を保っていたのですから、推古天皇がお飾りの君主だったわけはないのは言われてみれば当たり前です。

    同じく斉明天皇も、これまでは息子の中大兄皇子が、自身が自由に動くために母をお飾りの君主に据えていたと言われていましたが(Wikipediaの現在の斉明天皇の項目にも「政治の実権は皇太子の中大兄が執った」と何の根拠もなく書かれている)、当時はまだ皇太子の制度自体が存在してないし、本当にお飾りだったら老身の母を対外戦争のために遠い筑紫にまで連れ出すなどあり得ないでしょう。「熟田津に船乗りせむと月待てば…」という有名な万葉歌の作者は額田王ではなく斉明天皇だという説もあり、軍勢を率いた主体は君主である斉明天皇自身であったことは明らかです。

    持統天皇の業績の説明はさらに圧巻でした。天皇号の正式な採用、日本国号の制定、初めての恒久的な都である藤原京の建造と遷都、大嘗祭と式年遷宮の開始という大事業は、とても夫・天武の構想を引き継いだだけで成し遂げられるようなものではありません。元明天皇、元正天皇の業績も、ともすれば藤原不比等の手柄にされがちですが、男性天皇の御代が続いてきた間に、女帝の業績が矮小化されすぎてきたのだろうと改めて感じました。
    この偉大な女帝たちに比べたら、15歳で祖母から譲位され、25歳で母に譲位して亡くなった文武天皇の影の薄いこと。むしろ、文武天皇や聖武天皇こそ女帝の中継ぎに見えてきます。

    思うに、「女性天皇は中継ぎ」で「男帝が正統」という説自体が、後世の男尊女卑思想を前提とした思い込みの上に成り立っていたのだと思います。過去の歴史は、決して紙の上に固定された標本のようなものではなく、後世の人々がそこからどのような教訓を読み取り、新たな先例を後世に残していくべきかを考えることで、生きた教えになっていくもの。
    しかし男系派は、過去の女性天皇の存在を抹消し、業績を極限まで矮小化した上で、「皇統譜」という男系派に都合の良い資料を作って皇統は全て男系という伝統を捏造し、この伝統を維持するためには国民男性を養子に入れて皇族にし、皇位を継いでもいいという間違った教訓を引き出しています。
    女帝の可能性を常に残しておくことで皇統をつないできた先人の知恵を切り捨て、宇佐八幡神の信託も忘却している男系派は、神と先祖の両方をないがしろにする大罪を犯していますね。

    そして、まだまだ単行本化は先だと思ったいた「神功皇后論」は、年内に発売予定とのことで、これまた嬉しい驚きでした。リハビリと漫画制作の両立は大変かと思いますが、楽しみにお待ちしております!

    ゴロン

    2025年9月9日

    愛子天皇論3最終章を補完する内容ですね。男を尊び女を卑しむ慣習に毒された「皇統譜」でさえ排除できなかった女性天皇の実績がよく分かります。まさしく、「どこが中継ぎなのか」です。先日NHKの「歴史探偵」で大化の改新の回を見ましたが、女帝の話を完全に外していて違和感を覚えました。やはり重祚された斉明天皇、持統天皇の話も上げてほしかったところです。
     この章は、SPA!の売り上げに貢献して国会議員に送りたいと思います。

    まいこ

    2025年9月9日

    歴代女性天皇について粒さに描いていただきありがとうございます。「天皇」という君主号を最初に用いたのも、正式に法制化したのも、「日本」という国号を正式に制定したのも、「大嘗祭」を行ったのも、「古事記」の編纂を行ったのも、養老律令の編纂・制定を行ったのも、「日本書紀」が完成したのも、すべて女性天皇の時代。日本がいまある由縁の国造りの根幹は、ほぼ女性天皇の時代に行われたと言っても過言ではないことが、ありありと分かります。この眩いばかりの功績を為した方々を中継ぎというならば、歴代の男性天皇のほとんども中継ぎ。むしろ、数だけは多い男性天皇の方が、女性天皇という強靭な幹にぶら下がる枝葉末節に過ぎないようにさえ見えてきます。

    860年ものブランクがありながら明正天皇、さらに120年を経て後桜町天皇が即位されていると描いてくださったことは「栄花物語」の一節を想起し、感慨を覚えました。藤原道長の娘・威子が皇女・章子内親王を産んだ際に、女房たちが「あな口惜し(まあ残念)」と言ったのを聞いて、後一条天皇が「こは何事ぞ。平らかにせさせたまへるこそ、かぎりなきことなれ。女といふも烏滸(おこ)のことなりや。昔かしこき帝々、みな女帝を立てたまはずはこそあらめ(これは何ということを。無事にお産をなさっただけでも、十分過ぎることではないか。女で残念というのも愚かしいこと。昔の聖帝方が皆、女帝をお立て遊ばさなかったというのなら、ともかくであるが)」と諫めたとの記述は、皇女が女帝になる先例が脈々と受け継がれていたことの証左の一つではないでしょうか。

    -2025年以内に『ゴーマニズム宣言 神功皇后論』(仮タイトル)を世に出すぞ!-との言葉にも、心沸き立ちます。何十年も日本で大活躍した傑物が、大正15年・1926年になって「皇統譜」から外された無念を、100年目に晴らす建国論、神功天皇再臨の物語は、愛子天皇誕生のエポックメイキングになるのは間違いありません。日本の命運のかかる物語、次回もまた驚きの地平が拓けることでしょう。楽しみです。

    あしたのジョージ

    2025年9月9日

    今回の神功皇后論は、バカでもわかる女性天皇の歴史でしたが、読めば私でもわかるので、竹田恒泰や八木秀次や竹内久美子や倉山満などの男系派でもわかると思います。
    まさかこれを読んでわからないと言ったらバカ以下になっちゃいますからね~
    いくらなんでもそれはないと思います。
    皆さん大学を出られているようなインテリばかりですからね~
    小林先生がここまでわかりやすく女性天皇の歴史を書いてくれているんだから、わからなければ、今すぐ脳の検査を受けた方が良いと思います。
    本当にそう思うぐらいわかりやすい神功皇后論の女性天皇の歴史の話でした。
    大変な時にありがとうございました。

    京都のS

    2025年9月9日

     「神功皇后論」の最新回を拝読しました。今回は「タラシヒメ物語」パートではなく「神功皇后論」パートでしたが、歴史学の知見から『愛子天皇論3』を補完するような内容でした。
     10代8方の女帝たちが為した偉大な事績を紹介しつつ「否定論」と「中継ぎ論」を粉砕し、「神功天皇」と「飯豊天皇」の「皇統譜」からの排除(1926)を批判しつつ「神功皇后論」の意義を語り、皇位継承者を男系男子に限った「明治典範」(1889)は法制官僚・井上毅の妄念に過ぎなかった事実もダメ押しし、最後は「原始、女性は太陽であった」という平塚らいてうの名言でフェミニスト方面にも訴えかけるという念の入りようでした。『愛子天皇論3』の最終章は元々こんな形だったのかな?と伺える内容でもありました。

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