皇統についての記事を、草の実堂(史実に基づく深掘りコンテンツを中心に、知的好奇心を満たす情報を発信する歴史・雑学専門メディア)が出しています。
現代に続く「男系天皇」の礎を築いた・志貴皇子とは「争わず勝利する」【草の実堂】
前回ご紹介した「手白香皇女(たしらかのひめみこ)」について書かれた記事とは、まったく相反するタイトルですね。
前回の記事を投稿した直後、コメント欄からリンクが開けなくなっているという情報をいただいていましたが、現在は閲覧できるようになっています。
安定的皇位継承にどちらが資する記事か、どうぞ読み比べていただきたいと存じます。
「愛子天皇への道」サイト運営メンバー まいこ
2 件のコメント
mantokun
2025年11月8日
正確には、「井上内親王を皇后にしていた」→「妻にしていた」でした。
白壁王が即位を要請されたのは井上内親王との間に他戸王を授かっていたことが理由なのだから、当時の人々の感覚では天智天皇の皇統に繋げたというより、聖武天皇の皇統を繋ぐためだったと見る方が自然でしょう。
mantokun
2025年11月8日
記事のご紹介ありがとうございます。
万葉歌人として名高い志貴皇子の紹介記事として内容自体はともかく、タイトルが意味不明ですよね。「現代に続く男系天皇の礎を築いた」というのは、それ以前の斉明天皇→天智天皇、元明天皇→元正天皇という継承は女系であったことを筆者は暗に認めているのでしょうか?
志貴皇子を指して、「現代まで続く男系天皇の礎」を築いた人物などと評するのなら、志貴皇子の父・天智天皇の母である斉明天皇からの血筋が現代まで続いているという見方だってできるはずです。斉明天皇は父母ともに皇孫(二世王)でありながら即位に至り、史上初の譲位と重祚を成し遂げ、対外戦争を統率するなど、実質的な君主として実績は夫の舒明天皇より彼女の方が上と言っても過言ではありません。志貴皇子を挙げるくらいなら、現皇統は斉明天皇から始まったと評するほうがよほど正確でしょう。
後の光仁天皇こと白壁王が即位するに至ったのも、元はと言えば彼が聖武天皇の第一皇女である井上内親王を皇后にしていたからです。
当初は白壁王と井上内親王との間に生まれた他戸王をいずれは即位させる予定で、父である白壁王が先に即位したのであって、「天智天皇系から、久しぶりの天皇誕生であった」という見方も、藤原氏の陰謀により井上・他戸母子が廃后及び廃太子に追い込まれて、高野新笠所生の山部親王(即位して桓武天皇)が新たに皇太子に立てられ、皇統が「千年以上の時を経て現在の皇室へとつながっていった」のも、後世から見た結果にすぎません。
恣意的なタイトルをつけて、読者の意識を特定の方向に誘導したいのかと疑われても仕方ない記事ですね。