豊臣家の諸問題から我々が学ぶべきこととは?

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 大河ドラマ「豊臣兄弟!」が始まりましたが、明智光秀が好き(豊臣関係者が嫌い)な私は同作について書く気はありません。しかし、豊臣家の問題については有益な論点があるので少しだけ語ってみます。

 木下藤吉郎(秀吉)の兄弟姉妹は、上から智・藤吉郎・小一郎(秀長)・旭の4名です。藤吉郎秀吉は正室の寧々(高台院)との間に子は出来ず、側室の茶々(淀殿:織田信長の妹・市の娘)との間には捨(鶴松:夭逝)と拾(秀頼)が産まれました。拾は秀吉の子ではないのでは?という論点は一先ず置き、大坂夏の陣(1615)にて豊臣秀頼が自刃し、息子の国松が斬首され、娘の奈阿姫(天秀尼)が仏門に入ったことで秀吉の直系は絶えました。

 今、秀吉の子孫を名乗っているのは姉・智(日秀尼)の子孫であり、智の息子は秀次秀勝ですが、秀吉から関白職まで譲られていた秀次は秀頼誕生後には秀吉との相互不信の末に切腹へ追い込まれました(1595)。文禄の役(1592~93)の惨敗による失意が身内への非情さに転じた可能性は拭い去れません。一方、秀勝の娘・完子は秀頼の関白就任の布石として淀殿の計らいで五摂家の九条幸家に嫁ぎ、後に完子の子孫は九条家・二条家・鷹司家の当主となり、九条家より皇室に輿入れした貞明皇后(昭和天皇の母)から愛子様にも繋がっています。

 ちなみに豊臣秀吉と徳川家康による小牧・長久手合戦(1584)の後に半ば人質のような形で家康の正室となった旭に子は産まれず、傍系の秀長家も絶えました。

 以上から判ることは、秀吉が戦国のカリスマ・織田信長の権威を纏うべく市や茶々といった女系の血統を欲したことや姉の子(秀次)を後継者(関白)とすることに誰も疑問を差し挟まなかったことから、儒教的価値観の浸透により男系血統が重視されるようになった武士の世に在っても、女系の血族が権威を持つ縄文由来のエートス常識として確実に息づいていたという事実です。

 また、もし秀頼以降にも秀吉の直系が続いたとしても、秀吉は子が出来にくい体質だった疑いがあり、秀頼の父が大野治長や石田三成や他の間男だった可能性は「無きにしも非ず」という難問があるのです。我々がココから学ぶべきことは、神代の昔から女子が丹塗り矢を寝所に持ち込むかもしれない日ノ本において男系継承に固執することの愚かしさと血統の持続において避けては通れない父親側の不妊という大問題であるはずです。    

文責:京都のS

3 件のコメント

    基礎医学研究者

    2026年1月18日

    運命に翻弄される、ということを現代的な視点から掘り起こしたのは、おもしろい。また、医学的には不妊の原因は男女両方に起こりうる、というのも、実は重要な視点かと思う。

    だふね

    2026年1月18日

    Sさん、ありがとうございます。『豊臣兄弟!』は、奈良県民の私も注目しているドラマです。
    豊臣秀頼と徳川家光は母親同士が姉妹(つまり女系のいとこ)であること、不妊の原因が男性側にもあると理解が及ばなかったことなど、現代人から見るといろんな視点で興味深く、考えさせられる物語になりそう。
    秀吉の功績で後に栄華を極めた姉や妹は、別の見方をすれば人生を狂わされたとも言えるし、その鬱展開には胸が痛みますが、それも含めて楽しみです。

    くりんぐ

    2026年1月18日

    DNA鑑定の無い時代、母方の血筋は「子を産んだ女性」と明確に証明する術があるのに対し、父方の血筋は「推定」にとどまりました。

    皇位継承で母方の血筋が皇位継承できるかどうかを大きく左右したのも、推定に過ぎない父方の血筋よりも明確に証明された母方の血筋の方が重視されていた証。

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