
4月9日の「歴史探偵」(NHK)は悲劇の英雄・楠木正成を採り上げていました。番組の前半は、正成が幕府軍を千早城で迎え撃った戦(1333)を紹介し、楠木軍の強さの秘密に迫っていました。
後半では、楠木正成と新田義貞の率いる朝廷軍(15000)が九州から攻め上る足利尊氏の大軍(50000)と湊川(神戸市)で激突した戦(1336)を扱っていました。楠木は絶望的に不利な戦に臨んで敗れましたが、『太平記』によれば楠木には必勝の戦略がありました。その「京都封鎖作戦」とでも呼ぶべき構想では、まず後醍醐帝に比叡山へ移っていただき、次に楠木&新田軍が各街道の入口付近にコッソリ布陣し、然る後に足利軍を入洛させ、そうすれば尊氏は各街道の防衛に軍を分散せねばならず、また自軍が持ち込んだ兵糧で民や貴族を食わせねばならず、糧食が尽きたら足利軍は壊滅を免れないという戦略でした。
しかし、この構想は貴族らの強硬な反対に遭って却下され、その際に彼は「帝には大敵を打ち破る策を立て、勝利に導こうという御考えは無く、掛け替えの無い兵士を大軍にぶつけよと仰るとは、討死せよとの御命令だと受け止めました!」と叫びました。そして楠木は湊川で足利軍と6度も矛を合わせ、16時間も奮戦した後に自刃しました。
上記だけを見れば後醍醐帝は酷い!という印象ですが、楠木が献じた必勝の策に反対したのは、寵愛を受けるに相応しい働きをしてきた正成に嫉妬しつつ保身も図った「君側の奸」としての貴族である点に注目すべきです。ここで現代日本に目を移せば、皇族方から宮内庁を通じて頼られる小林よしのり先生に嫉妬しつつ保身も図りたい「君側の奸」としてのエセ尊皇(ダンケー)言論人が重なります。相違点は攻め上る大軍が愛子天皇を求める9割の国民であり、敵がダンケー議員やダンケー言論人である点です。
ダンケーさん、寝返るなら今ですよ?
ちなみに蛇足ですが、湊川決戦の経緯は明智光秀VS羽柴秀吉の山崎決戦と酷似しています。知将・光秀なら当然『太平記』も読んでいたはずですが、彼は民と正親町帝のために京を戦場とせず、山崎(京の入口)で秀吉の大軍を迎え撃って敗北しました。明智惟任光秀の尊皇心も相当なものだと言えましょう。ゆえに光秀は「大楠公」「大西郷」に準ずる「大惟任」と称すべきだと筆者は主張します(私情)。
文責:京都のS
11 件のコメント
fei
2025年4月18日
遅くなりました。変更しました。
京都のS
2025年4月18日
お手数おかけしました。ありがとうございました!
京都のS
2025年4月18日
ふぇい様、修正ありがとうございました。ただ、第4節の冒頭にも「上記だけを見れば”御醍醐帝”は酷い!」というのがありますので、「後醍醐帝」としていただければ、なお有難く思います。
京都のS
2025年4月17日
パワー様、※ありがとうございます。真田信繁の振る舞いは武士として見事ですが、私は徳川の世を全否定する気にはなれません。
と言うのも、織田信長・羽柴秀吉というグローバリスト師弟の大陸侵略路線(朝鮮と明を支配したい)のままでは、大陸・半島VS列島の戦で双方が弱体化したところをポルトガル・スペインに突かれ、その時代に東アジア一帯が葡or西の植民地になってしまえば、現代の日本人は中南米みたいにスペイン語で話しているかもしれません。そういう世界線に嵌ったら、おそらくスペイン総督は帝をギロチンに掛けたはずです。光秀が本能寺で信長を止め、家康が朝鮮侵略に協力せず秀吉を抑え込んだから、今の日本は有ると私は考えています。
まぁ、上記は光秀フリークの戯言と思ってください(笑)。
ふぇい様、「御醍醐帝」を「後醍醐帝」に修正してくださいませ。
パワーホール
2025年4月16日
楠公は真田幸村とも通じるものがあります。どちらも忠臣であり徳川と足利の宿敵という点です。真田幸村と言えば関ヶ原の戦いの上田城合戦ですが、その際に徳川秀忠を討ち損じてしまったのが残念でなりません。もし秀忠を仕留めていればその後の紫衣事件は起きなかった可能性が高いです。秀忠のこの所業は朝廷と幕府の関係を悪化させた点でおいて男系固執派と同じくらい不敬です。
それと、真田家以外の武田軍残党は徳川の軍門に下ったとのことですが、やむを得ない理由があるにせよ情けないです。「大東亜論」で前原一誠が言っていた「公職につきたい卑屈の輩」としか思えません。
京都のS
2025年4月16日
叶丸様、お待ちしていました。「逃げ若」時代のブログには必ず反応してくれると信じていました。とは言え私はアニメ勢(ライトD層)なので楠木の描かれ方については第2期を楽しみに待つ身です。「逃げ若」で私が最も期待するキャラの一人、大楠公を心待ちにしています。
確かに「後醍醐帝」になっていました。ふぇい様、修正をお願いしますm(_ _)m
叶丸
2025年4月16日
この場面は逃げ上手の若君でも描かれていました。
作中で策に反対したのは坊門清忠と言う者で、楠木正成は心中でその者に怒っていました。
後醍醐帝(ブログでの表記が御醍醐になっています)への最後の諫言も印象的でした。
従来のイメージとはキャラが異なるところがあるそうですが、真の忠臣として描かれていると思います。
京都のS
2025年4月16日
ちなみに、池端俊策氏の古代史ドラマについては「古代の女帝を描くドラマから皇統問題を考える」( https://aiko-sama.com/archives/8732 )を参照してください。
京都のS(サタンのSでも飼い慣らすし)
2025年4月16日
ふぇい様、※ありがとうございます。あの世で大楠公が聞いていたら卒倒するでしょうね(笑)。尊皇心の欠片も無い奴らが「天皇のために死ねる」と虚言を弄しつつ、その主張(男系固執)は大御心と真逆なのですから、出来の悪いブラックジョークです。
ふぇい
2025年4月16日
投稿ありがとうございました。
ちょうど楠木正成に関係あるとか何とか言ってながら、嘘までついて小林先生に誹謗中傷をするアホな議員がいてタイムリーになりました。
エセ保守には議員を辞めていただきましょう。
京都のS
2025年4月16日
掲載ありがとうございました。最後の一節は、山本彩が「明智光秀が好き」と言う遥か前から私は光秀フリークだったのでブッ込んでみました(笑)。大河ドラマ「麒麟がくる」(NHK)は最高でした。
ちなみに脚本を書いた池端俊策氏は「大仏開眼」「大化改新」「聖徳太子」(全てNHK)という女帝が活躍した頃を描く古代史ドラマも書いています。