縄文文明のエートスを探る

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 これまで世界最古の文明は約5000年前のメソポタミア文明(チグリス・ユーフラテスの下流:イラク)だとされてきましたが、約12000年前のギョベックリ・テペ遺跡や約9000年前のチャタル・ヒュユク遺跡を擁するアナトリア文明(アナトリア半島の南東部:トルコ)によって更新されました。ギョベックリ・テペ遺跡の神殿は人類が農耕を開始するより前(狩猟採集民時代)に造られたとされ、人の定住は農耕のためではなく宗教的儀式のために始まったことが判明し、これで定説が一つ覆りました。新発見に基づく新説との間で優劣の差が付けば従来の定説は覆るわけです。

 一般に文明の文明たり得る必要条件は、①農産物の安定供給・②都市の形成・③階級と職業の分化・④独自の文字による記録・⑤金属器の製造と使用…とされますが、どうもアナトリア文明は①・④・⑤を欠いていたようです。もし、必要条件に欠損が在っても文明と認められるなら、以下の理由より約16500年前~2400年前(縄文期)の日本列島には「一時的に縄文文明が存在していた」と言って良いと筆者は考えます。

 縄文人の集落は母系の血族集団で構成され、集落の女性たちは主体性を失わず外部男性の妻問(夜這い)を受け入れ、産まれた男子は成人すると集落を離れて狩猟や漁労を生業とし、石器(黒曜石)や土器(装飾性↑)やアクセサリー(翡翠etc.)を創る職能集団も分化し、交易品は物流ネットワーク(海路)で流通し、各地の集落で取引され、土器・土偶・環状列石などには宗教と道徳の萌芽が見られ、三内丸山のような大規模集落(約5000年前)には高層建築物(大国主神が国譲りに際して所望した出雲大社の原形?)も築かれ、農耕(栗・豆・雑穀・陸稲・水稲)や牧畜(猪)も行われており、つまり縄文前期~中期の日本列島には必要条件の④・⑤以外は全て揃っていたわけです。

 ところで、「双系システム~」や「縄文期1万年~」で論じたように、縄文期の列島にはポリネシア系コシ族:北陸に定住した)・モンゴル系&トルコ系ヒナ族:東日本に定住した蝦夷)・華南系アマ族:米作を伝えた)・シベリア系天孫族:後の支配者層)が流入し、大規模な流血に至ることも無く混血が進んだようです(金属製の武器が不要なら必要条件⑤:×)。また、弥生期以降も多くの朝鮮系華北系移民が原住民との紛争も無く渡来・帰化しましたが、彼らは如何にして日本人化したのでしょうか。(後編に続く)    

文責:京都のS

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