縄文期1万年のエートスが女系公認の背景

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 小林よしのり先生の「神功皇后論」絶好調です。古代史の諸説に異議を唱える「邪馬台国と狗奴国(クマソ)との関係」は特に刺激的なので、筆者が前に書いた双系システムの成立過程を考察するを再考したくなりました。前掲ブログの『縄文人に学ぶ』(上田篤著)をテキストとしており、上田氏は「記紀神話」や「風土記」の記述と顔相学的研究から縄文期以降に日本列島へ流入した人々を出身地域別に分類し、それは到着順原縄文人(列島に広く分布:北シベリア型)コシ族(日本海側の海辺に分布:南方海洋民型)ヒナ族(甲信越以東に分布:モンゴル型)アマ族(列島に広く分布:中国江南型)天孫族(南シベリア型:弥生人)というものでした。

 上記の分類に倣えば、「神功皇后論」邪馬台国民天孫族(朝鮮半島経由で九州北部に来た南シベリア系)、狗奴国民(クマソ)アマ族(東シナ海を渡って九州南部に来た中国江南系)に相当しましょうか。コシ族(南洋から島伝いに来て出雲や北陸に定着したポリネシア系)とヒナ族(東日本に定着したモンゴル系&トルコ系)と原縄文人(氷河期の海面低下中に来た北シベリア系)からなる「縄文人」の土地にアマ族天孫族弥生人として来訪し、コシ族ヒナ族は良くて国津神、悪けりゃ土蜘蛛蝦夷という扱いになったでしょう。

 ところで「神功皇后論」劇中のクマソは大陸江南地方から進んだ文物を取り入れても竪穴式住居・高層木造建築・鯨面(刺青)・アクセサリー(翡翠etc.)…といった縄文文化を色濃く残す描写でした。しかし、で考察したように縄文期の列島ではコシ族的母系血族集団がマジョリティーを占めたため、縄文文化に敬意を払いつつも「儒教的男尊女卑」を取り入れた狗奴国(男王のみ:元祖さす九?)より、女王が立つ「姫氏国」としての邪馬台国の方に周辺国の支持は集まったはずです。縄文のエートスは竪穴式住居や鯨面といった表層ではなく、母系血族集団への妻問や婿入、族長は女といった深層部分にあるからです。そのことがヤマタイVSクマソの帰趨に関わる(倭国連合を統べるのは女王・台与)かもしれません。要するに縄文期1万年のエートス明治以降の150年に覆させてはならないということです。    

文責:京都のS

7 件のコメント

    京都のS

    2025年11月8日

     ドラマの話題を出したついでに「御上先生」(松坂桃李×吉岡里穂・詩森ろば脚本)の中で、隣徳学園の不正に関する情報提供者「ヤマトタケル」の正体を探っている時に是枝文香(吉岡)が「ヤマタノオロチは越の国から来たという説がある」と言いました。ヤマトタケルが蝦夷対策で築いた関所が霞ヶ関だという点から、その正体は官僚だと明かされました。ヤマタノオロチとヤマトタケルは時代的なラグが大きいですが、2者を媒介するのは草薙剣(天叢雲剣)です。
     ところでヤマトタケルと言えば『神功皇后論』で大活躍してましたね。

    京都のS

    2025年11月8日

     少し前のドラマ「何曜日に生まれたの」(飯豊まりえ×溝端淳平・野島伸司脚本)の中で、黒目すい(飯豊)の名を聞いた公文竜炎(溝端)が「黒目姓は島根県の出雲地方に多い」と言っていました。また「(黒目すいの)”すい”の字は翡翠?水晶?」と聞き、翡翠の「翠」だったことに納得顔でした。つまり縄文期日本の糸魚川流域(越)で採れた翡翠が出雲に届いたようで感慨深かったのを覚えています。

    京都のS

    2025年11月2日

     パワー様、※ありがとうございました。日本人は三英傑(信長・秀吉・家康)が好きですもんね~(笑)。戦国大河が多すぎたせいですね(笑)。後は源平と幕末です(笑)。三谷幸喜は「新選組!」「真田丸」「鎌倉殿の13人」で幕末・戦国・源平をコンプリートしました。「鎌倉殿~」には畠山重忠(中川大志)も出ましたね。
     で、今それら以外の大河が続いています。「光る君へ」(大石静脚本)と「べらぼう」(森下佳子脚本)です。次は戦国大河「豊臣兄弟」、その次は幕末大河の「逆賊の幕臣」ですが、そろそろ「持統天皇(女帝)」を主人公とする「壬申大乱(仮題)」とかを作っていただきたいですね。当然その脚本は「太平記」「大化改新」「大仏開眼」「麒麟がくる」などを書いた池端俊策氏を希望します。愛子様の立太子や即位と時を同じくする頃が制作時期として最適です。

    パワーホール

    2025年11月1日

    京都のSさん
    遅まきながらコメントさせていただきます。
    ”明治以降の150年”とありますが私が思うに日本人の歴史観は近視眼的なのではないかと思います。天下統一の少し前の室町末期からのせいぜい500年くらいの歴史にしかほとんどの日本人の興味が向いていないのだと思います。無論その500年を一概に否定はしませんし男尊女卑が強まった江戸末期から明治にかけては寿司や蕎麦、肉食が広まりすき焼きやとんかつが誕生し和食のレパートリーが広まったという良い面もあります。現在、小林先生が神功皇后論を書いていますが多くの日本人が室町末期以前の鎌倉、平安、古代にまで興味を広げてほしいです。手前味噌ですが、私の故郷の埼玉県にはさきたま古墳群や鎌倉や室町時代の城跡や鎌倉古道の史跡があります。さらには、熊谷直実や畠山重忠をはじめとする源平合戦で活躍した武蔵節の故郷でもあります。

    京都のS

    2025年10月31日

     コシ族・ヒナ族については以下もご覧ください。
    ・コシ族:「イースター島民からの教え」( https://aiko-sama.com/archives/29840
    ・ヒナ族:「カザフ騎馬遊牧民からの教え」( https://aiko-sama.com/archives/31465

    京都のS

    2025年10月31日

     コシ族が定着したと思われる越の国には四隅突出型古墳があり、その形式の墳墓が最も多く見られるのは出雲です。そして出雲で暴れた八俣遠呂智が越(高志)から来たという説があります。つまり出雲と越は関係が深いのでしょう。また、縄文ファッションと言えば翡翠ですが、その産地は糸魚川(信濃→越後)沿いにあります。ゆえに越も出雲も縄文文化とは関係が深いのでしょう。

    京都のS

    2025年10月30日

     ふぇい様、掲載ありがとうございました。
     「双系システムの成立過程を考察する」や(承)や(転)にカーソルを当ててクリックすると当該のページに飛べます。
     「列島ではコシ族的母系血族集団がマジョリティー~」が全て太字になっていますが、元の文は違っていたと思うのですが…。

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