32親等の養子は王→親王 蓮舫議員への首相答弁は全く見当はずれ

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愛子さま排除法が可決されてしまった日の午後に行われた立憲・蓮舫議員の質疑に対する首相の答弁について、高森先生より明快な回答をいただきましたので、ご紹介します。

蓮舫議員:立候府の総意なんですか ? 13党会派のうち5党会派が反対、慎重なんですよ。決して総意ではないんです。都合よく解釈をしないでいただきたい。今上天皇と旧宮家の隔たり 36から 38親等。それは血筋をたどった親戚とは、もはや言えないのではないでしょうか。平成の報告書でも遠い血筋と断言しているんです。 38親等離れた遠い遠い親戚の男子を見つけて養子にして、その子に皇位継承権を渡すのであれば、陛下の1親等、直系長子であられる内親王殿下への皇位継承を認めることこそ、憲法に規定する世襲の原則に沿うものではないでしょうか。 (拍手)38親等より1親等の方が世襲原則、憲法に沿っていて、国民の理解と支持が得られると、私たちは考えてますが、いかがでしょうか。

首相:例えば過去にですね、第 122代明治天皇の御代でございますが、天皇と 32親等の隔たりのある皇族たる男系男子が養子になられた例があるものと承知を致しております。今回は取りまとめ、国会における取りまとめに記載のないところは変更しませんでした。つまり現行の皇室典範第一条によって、これは男系男子とされておりますので、ここは変更いたしておりませんので、現行法通りということになります。

高森先生回答
これは明治11年8月26日に伏見宮邦家親王の王子で閑院宮家を継承していた載仁王(ことひとおう)が明治天皇の養子になるという形式を踏むことで親王宣下を受け、親王の身分に引き上げられた事例などを念頭に置いたものでしょうが全く見当外れです。まず養子になる前もすでに皇族であって臣下ではない養子も単に親王になる為の手順として形式的なものにすぎないからです。今回の改正による養子制度とは全く別物です。

◯皇族(王)→形式だけの養子→皇族(親王)
☓国民→養子→皇族(王)→その男子に皇位継承資格


現行法では養子縁組を禁止している。だから創設された養子皇族男子に皇族の身分を認めたり、その男子に皇位継承資格を認めるなどすべて新制度による。「現行法通り」なら改正の必要なし

載仁親王は伏見宮家の出自なのでの親もその親も…代々ずっと世襲親王家として皇族だった事実を隠蔽した答弁は悪質です。

養子は「実方の系統」によって皇位継承の資格や順序が決まる制度設計だが、それは民間の賀陽家なり久邇家なりの血筋が根拠になることを意味する。それを典範第1条の「皇統に属する」としてよいのか、というのが最も本質的な問題点です。

閑院宮載仁親王 ウィキペディア

36~38親等も離れた養子よりも、1親等であられる
愛子さまが国民の理解を得られるという
蓮舫議員の非常に真っ当な質疑に対して、
32親等の隔たりのある皇族たる男系男子が養子になられた例があると
答弁した首相。

皇族たる男系男子が養子になっただけなので
一般国民が養子になるのとは全く違うのですが
数字だけ見たり聞いたりすると惑わされてしまいそうなところを
クリアにしていただき感謝申し上げます。

「愛子天皇への道」サイト運営メンバー まいこ

2 件のコメント

    のしまな

    2026年7月18日

    明治時代に「32親等の養子」の事例があったとしても、「36〜38親等」よりは近いんだよな……
    しかも生まれながらの皇族が形式的に養子になっただけ!
    やっぱり宮内庁が言った「36〜38親等」発言は男系派には大きな痛手。
    リアルな親等数を出されたら国民たちも思うでしょう。
    「それ赤の他人じゃね?」と。
    そして毎回どこの世論調査でも70%の人達が女性、女系天皇に賛成しているということは、高市総理、自民党支持者の中にも少なくない数の女性、女系天皇賛成派がいますね。
    案外、国民民主党や参政党あたりの支持者も男系派は少ないのかもしれない。

    mantokun

    2026年7月18日

    この高市答弁の間違いについては、森暢平先生もXで指摘されていましたね。

    https://x.com/mori_yohey/status/2078115677500764394?s=46&t=zmkm-MAxp3UB_BUeJFfM3A

    高市首相が言っているのは「猶子」のことで、「養子」とは異なります。ですので「32親等」離れた「養子」の前例が明治期にあるというお答えは不適切です。宮内庁の回答が何を指すのか不明なのですが、明治時代に天皇の「猶子」となったのは4例あると思います。

    ▽閑院宮戴仁親王 明治11(1878)年8月
    ▽有栖川宮威仁親王 明治11(1878)年8月
    ▽華頂宮博厚親王 明治16(1883)年2月
    ▽小松宮依仁親王(のち東伏見宮)明治19(1886)年5月
     
     いずれも、もともと皇族(皇親)だった人物が、ある宮家を継承するとき、親王となるために(親王宣下)、天皇と「猶子」関係を結んでいます。天皇と実際的な「養子」関係となったわけではありません。
     「猶子」は、家督や財産などの相続・継承を目的としない点が「養子」とは異なります。「養子」と比べて、擬制的な側面が大きいといえます。分かりやすく言と、「親子の契り」を名目上結んで、身位を上昇させる(王⇒親王)ということで、天皇本家の相続、親族関係には関係しません。ですので、どんなに親等が離れていようが重要ではありません。
     そして、辻元議員が述べるように、これは明治典範改正前の出来事で、典範制定後はこうしたことも禁じられています。
     史実を、自分の政治的立場に合わせて都合よく解釈するのは、「日本会議」系の〝研究者〟の傾向で、それの受け売りで述べているとしか考えられません。歴史の切り取りは、首相答弁として極めて不適切だと考えます。

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