古墳研究の第一人者、白石太一郎さんが探り続けた邪馬台国と日本のはじまり【読売新聞】

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「愛子さま排除法」施行を機に、識者の見解を読売新聞が報じました。

古墳研究の第一人者、白石太一郎さんが探り続けた邪馬台国と日本のはじまり【読売新聞】

・古墳時代研究の第一人者・白石太一郎氏が10月11日に亡くなる。
・「女王・ 卑弥呼ひみこ (170?~247?)が治めた邪馬台国について各地の古墳を調査していく中で、奈良県桜井市の 箸墓はしはか 古墳が卑弥呼の墓である蓋然性が高いと推測
・近年、近畿型前方後円墳の多くに副葬されている 三角縁さんかくぶち神獣鏡しんじゅうきょう という青銅鏡の年代研究が進み、古いものは3世紀半ばに遡ることが判明、『魏志』倭人伝に239年、卑弥呼が魏に遣使を送り、魏の明帝が「親魏倭王」の金印と銅鏡100枚を下賜した記述と一致
白石氏「卑弥呼はその鏡を傘下の政治勢力(クニ)の王に配り、前方後円墳と魏の鏡は卑弥呼を頂点とする政治連合(倭国連合)の証しになった」
「『魏志』倭人伝に卑弥呼が「共立」されたと記すのは、倭国連合に入ったクニによって盟主として「共立」されたというだけでなく、大和地方南部の政治集団によって「やまと国」の王として「共立」されていたことも示している」「倭国を継承して成立したヤマト政権もそれを引き継ぎ、初期のヤマト政権の盟主は、有力な政治勢力が交代でその地位につく形で王位の継承が行われていた」
「仲姫命なかつひめのみこと 陵(仲ツ山古墳)→履中陵(上石津ミサンザイ古墳)→応神陵( 誉田こんだ御廟山ごびょうやま 古墳)→仁徳陵( 大仙だいせん 陵古墳)と、大和川に近い同じ緯度にあるが、東西に約9キロ離れた二つの古墳群の大王級の陵墓が交互に築造されているのは、いくつかの有力な一族が持ち回りのような形で大王につく仕組みが4世紀半ばになっても続いていた証拠」
「(初期のヤマト政権の王位の継承は)記紀が初期の天皇の皇位継承について描いているような、一つの王家の男系世襲制による王位の継承とはほど遠いものだったことが想定される」
・男系男子の皇統の維持を前提とした改正皇室典範が10月24日、施行された。
「男系の血統が百二十五代続いた万世一系の皇室の伝統」は考古学上だけでなく、記紀の記述とも矛盾する点がある、というのが白石氏のたどりついた結論

「神功皇后論」で描かれた三角縁さんかくぶち神獣鏡しんじゅうきょう が登場、
卑弥呼が「共立」された証しでもあり、副葬された前方後円墳の位置が
一つの王家の男系世襲制による王位の継承とはほど遠いものであると
古墳時代研究の第一人者が結論を出していたことを、
「愛子さま排除法」施行に関連付けて報じた読売新聞を賛美します。

「愛子天皇への道」サイト運営メンバー まいこ

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1 件のコメント

    京都のS

    2026年11月7日

     これは故白石太一郎氏の研究を紹介するだけでなく、義江明子氏と河内春人氏の研究成果をも総合するような内容にもなっています。当記事を書いた記者の能力は相当に高いでしょう。

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