グリル厄介者 vol.5(その2)

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シン・サトルとして、リターン笑です。
でわ

前回は、倉山氏のSPA!記事について、まず速報的に、

という観測点を置きました。今回は、実際の本文を見ながら、少し整理してみます。

まず、記事冒頭で倉山氏はこう書いています。

続けて、

とあります。

さらに、

とも書かれています。

ここでまず確認したいのは、これは本当に「安定的な皇位継承制度の論考」なのか、という点です。

「白旗」、「ざまあみろ」、「無条件降伏」、「屈服」

これらは制度論の言葉ではありません。

少なくとも、憲法第1条に関わる「安定的な皇位継承」を論じる言葉というより、明らかに戦況・勝敗・陣営対立の言葉です。

もちろん、政治には政局があります。国会での多数派形成もあります。

どの党がどの案に近づいたのか、どの議員がどこまで譲ったのか、どの党、議員が「論点の炙り出しをしたのか?」…そうした政局分析は必要です。

特に「どの党が、あるいは、どの議員が論点の炙り出しをしたのか」は、重要な論点整理と、私は考えます。政局分析する上でも。

しかし、政局分析と制度論は同じではありません。
「誰が白旗をあげたか」(極めて主観的かと)と、「どの制度が憲法下で安定的に成立するか」は、別の問題です。

次に、倉山氏は中道改革連合の意見について、こう書いています。

この部分だけを読むと、確かに重要な論点が並んでいます。

国民の理解。
皇室の歴史と伝統。
当事者である皇族方の思い。

どれも軽視できません。ただし、問題はここからです。

倉山氏は、

と続けます。

ここで、「悠仁さままでの皇位継承順位を揺るがせにしない」という政治的確認が、ただちに「愛子天皇論の全否定」と表現されています。

しかし、ここは正しく、慎重に分ける必要があります。

「現在の皇位継承順位をどう扱うか」
「将来の安定的皇位継承をどう設計するか」
「女性天皇を制度上どう位置づけるか」
「女系天皇をどう考えるか」
「女性宮家の配偶者や子の身分をどうするか」
「旧宮家系国民男性の皇籍取得案をどう扱うか」

なによりこれは、生身の、独身の女性皇族の方々だけでなく、未来の悠仁さまに、未来の皇室へ来られる、将来の国民女性の人生に関わる問題です。 あだや疎かにできません。

これらは、本来それぞれ整理されるべき論点であり、本来の「安定的な皇位継承の議論」に必要な検証視点です。

それを一気に、

と接続すると、制度論というより、恣意的な勝敗認定の文章になります。

次に、倉山氏は女性皇族の配偶者について、こう書いています。

ここは、かなり重要…と指摘します。

倉山氏は、「皇室の歴史と伝統を尊重する」という文言を根拠に、女性皇族の配偶者を皇族にすることはできない、と読んでいます。

しかし、その場合に問われるべきなのは、

「なぜ、それはできないのか」

です。

これらの問いが必要になります。

ところが、倉山氏の文章では、

「皇室の歴史と伝統」、「先例」、「国体毀損」

といった強い言葉が出てくる一方で、現行憲法下の制度として、なぜその制度設計が妥当なのか、という説明は薄いように見えます。

次に、旧宮家系国民男性の養子案についてです。
倉山氏はこう書いています。

ここでまず注意したいのは、「旧皇族」という言葉です。

現在、問題になっているのは、かつて皇族だった方が皇籍に戻る話ではありません。生まれた時から一般国民として生活してきた、旧宮家系の国民男性が、新たに皇籍を取得する案です。したがって、より正確には「皇籍復帰」ではなく「皇籍取得」です。この用語の違いは小さくありません。

「復帰」と言えば、元いた場所へ戻る印象になります。しかし、一度も皇族だったことがない人物であれば、それは「戻る」のではなく、「新たに取得する」話です。

ここを曖昧にすると、制度の重さが見えにくくなります。

さらに倉山氏は、

と書いています。ここも慎重に読む必要があります。

確かに、皇室史において養子や猶子などの事例をどう見るかは、歴史論として論じる余地があります。

しかし、現行皇室典範9条は、「天皇及び皇族は、養子をすることができない」と定めています。

なぜ、現行制度は皇族の養子を禁じているのか。

ここが重要です。

最近、元宮内庁書陵部編修課長の鹿内浩胤氏が、皇室典範9条の精神について、「皇位という公的な地位を人為から遠ざけることにある」という趣旨の指摘をしています。

つまり、養子案は単に「皇族数を増やす」話ではありません。

皇位継承の客観性。
公的地位の安定性。
人為的操作への警戒。
憲法上の平等原則との整合性。
歴史的類型が本当に確立しているのか。

そうした重い論点を含みます。

この点を飛ばして、
「養子には先例がある」
「だから恒久法化してよい」

と進めるのは、やはり制度論としては粗いと思います。

さらに倉山氏は、こう書いています。

ここにも、やはり「トドメ」という戦況言語が出てきます。しかし、皇位継承制度は、相手陣営へ「トドメを刺す」ための議論ではないはずです。

本来問われるべきなのは、

だと思います。

最後に、倉山氏はこう書いています。

ここで、倉山氏の文章の中心がかなり見えてきます。これは、皇位継承制度そのものを中立的に検討する文章というより、

「女系派はなぜ敗れたか」、「野田氏はなぜ孤立したか」、「保守側はどこで勝ったか」を語る、偏った政局・戦況分析の色が非常に強い文章です。

もちろん、それ自体が悪いわけではありません。倉山氏の政局分析は、倉山氏の政局分析として読めばよい。問題は、それが「皇位継承論」や「制度論」と混ざることです。

混ざったまま読むと、

「政治的に勝った」=「制度として正しい」

に見えてしまう危険があります。しかし、これは分けて考えるべきです。

政治的に多数派を形成できたかどうか。
国会でどの案が通りそうか。
どの勢力が優勢か。

それと、

制度として安定しているか。
憲法下で説明可能か。
国民統合の象徴としてふさわしいか。
長期的に補強可能な制度か。

これは別の測定軸です。

ここを混同すると、議論は一気に「勝った・負けた」へ流れます。
そして、勝敗言語が強くなるほど、本来の「安定的な皇位継承」制度の検証は弱くなります。

今回の倉山氏の文章は、倉山氏の政治的観測として読むなら、参考になる部分はあるかもしれません。

しかし、「安定的な皇位継承の制度論」として読むなら、かなり慎重に分解して取り扱いをした上で、読む必要があると思います。

とくに今、各メディアや識者の間では、

といった論点が、ようやく前面に出始めています。

だからこそ、いま必要なのは、

「誰が勝ったか」ではなく、「どの制度が、現行憲法下で、将来にわたって安定的に持つのか」を、確認することだと思います。

次回は、倉山氏が繰り返し使う「先例」という言葉について、もう少し整理してみたいと思います。

「先例を参照すること」と、「先例だけを絶対基準にすること」は、同じではないからです。

つづく

2 件のコメント

    サトル

    2026年5月19日

    >たこちゃんさん

    コメントありがとうございます。

    そうなんですね。

    もう、その5でほぼ書き終えているので、たぶんその辺りも含めて触れていると思います。

    また公開されたら、よろしくお願いします。

    たこちゃん

    2026年5月19日

    サトル殿

    毎度、読みにくい文章を読んで解説してくださって、ありがとうございます。
    倉山のヤツ、大胆にも自分のYouTubeチャンネルで、鹿内氏を批判する動画
    をあげてます。
    見てて疲れることは、間違いないです。

    『倉山満の砦』論理的に整合性を欠くのはどちらか/宮内庁書陵部・前編集課長
           鹿内浩胤への反論
           https://www.youtube.com/watch?v=WmDs90z0Hr8&t=191s

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