自分と愛子さまとの出逢いは、愛子さまの誕生日に当たる2001年12月1日です。
もちろん出逢いと言っても、実際にお会いした訳ではありません。
当時、他の皆さん同様に愛子さま御誕生を一国民として、心待ちにしていました。
雅子さまが当時皇太子であられた今上陛下に嫁がれて御成婚の御祝いと興奮が冷めやらぬ間に、
お子様がお産まれにならない事に対する心無いバッシングが始まりました。
そんなプレッシャーの中、不妊治療の末やっとの御懐妊にも拘わらず
一度は流産という結果に終わった時には、本当に悲しかった事を覚えています。
少し余談ですが雅子さまが療養期間中に、
私は現在国会議員になっている、ある保守系の論客の講演会に出席した事がありました。
当時自分はこの論客の言説を信用し、テレビ等の出演も良く観ていたのですが、
講演会であろうことか、雅子さまを離縁させた方がいいのではないかと言い出したのです。
余りにもとんでもない事を発言したので、それ以来その論客の言説は信じなくなりました。
後に国会議員になる人間ですらそのような不敬な発言をし、
「子供が産めないなら皇太子妃の資格がない」と言うのは男尊女卑の考えが根底にあるのではと思います。
そんな状況にも拘わらず、雅子さまはもう一度御懐妊されました。
そして2001年12月1日に待望のお子様、
すなわち敬宮愛子内親王が誕生なされたのです。
日本中が祝賀ムードで溢れていました。
しかし一方で悲しいかな、
お子様が親王ではなく内親王であった事に残念がる発言をする、メディアや論客もたくさんあったことを今でも覚えています。
産まれてくる子供は健康であればそれだけでいい、
男でも女でも構わない、
と願って誕生を待つのが親の常です。
愛子さまと出逢った瞬間、
我々国民もそう感じていたのではないでしょうか?
その様な思いの中で国民から祝福されて御産まれになった愛子さまが、
天皇陛下の御世継ぎになられる事を心から望んでいます。
文責 兵庫県 やん
2 件のコメント
ブル猫
2020年5月11日
国会議員は一歩先の世を見て国民や日本を守ってくれなければならないのにコロナ問題といい未然に防ぐ対策や予防を全く考えていなかった状況です。皇室問題においても目の前の危機に知らん顔、それどころか明治時代に遡るような難解な基準を国民に押し付けてくる有様です。それでも2006年には完璧な皇室典範改正案を国会に提出予定だったので再びその日がくることを願っております。状況はその時と全く変わってないのですから。
みずりん
2020年5月11日
明治時代に戦争をするために歪められた皇位継承を正すために敬宮愛子様がお産まれになったと思います。反対勢力がいろいろ情報操作をしてくるでしょうが、天は敬宮様の味方、日本人の象徴として次の日天皇陛下は敬宮様しか考えられません。