愛子さまは広島へ修学旅行に行かれましたね。
私はその時の作文を拝読して、次の箇所にハッ!としました。
『原爆ドームを目の前にした私は、突然足が動かなくなった。まるで、七十一年前の八月六日、その日その場に自分がいるように思えた』
『七十一年前の八月六日に自分がいるように思えたのは、被害にあった人々の苦しみ、無念さが伝わってきたからに違いない』
原爆にあった人たちの声にならない声を聴き、ご自分の事のように受け止められたこれらの文は、「優しさ」とか「共感性」といった言葉では十分に言い表せません。
言葉をはるかに超えた、鋭いキラリとした感性と言えばいいでしょうか。
こんな鋭い感性をわずか15歳の女の子が身につけているということに、私は驚き胸を衝かれたのです。
愛子さまの感性はかけがえのないもの。
身に付けようと思っても身に付けられるものではありません。
だからこそ、その女性ならではの感性でもって痛む人たち、悲しむ人たちに寄り添っていただければと願っています。
女性ならではの感性を豊かにお持ちの愛子さま。
愛子皇太子を切望しています。
文責 京都市 ユディト