”やってもらうのが当たり前だと思わなきゃいいけどな・・・・”
この言葉は、ドラえもんの登場人物・のび太のお父さんのもので”おばあちゃんの思い出(水田版リメイクバージョン)におけるものです。
おばあちゃんに好きなものを買ってもらって有頂天になっている幼少期ののび太を見てのび太のお父さんがこう言い放ったのです。
これは、間違いなく現代の日本人の皇室バッシングにも当てはまるものではないでしょうか。
男系男子絶対、小室さんや秋篠宮御一家へのバッシングなどこれらの皇室バッシングは幼少期ののび太が抱いていたおばあちゃんへの甘えの感情があると同時にまさか皇室がなくなるなどとは思っていないからこそ起こったものではないでしょうか。(ちなみに、このリメイクの回では幼少期ののび太がおばあちゃんに”おばあちゃん、死んじゃえ!”と衝撃的な暴言を吐くシーンがあります。なお、”帰ってきたドラえもん”という話ではのび太のお父さんがのび太に”そういえば、おばあちゃんが亡くなった時もお前は押入れに閉じこもって泣いてたな・・・”と漏らすシーンがあります。)
これから愛子天皇を戴くためにも、”皇室も生身の人間”、”あって当たり前のものではない”ということを心に留めておく必要があるのではないでしょうか。
文責 山梨県 jacker
7 件のコメント
ただし
2022年4月4日
人間は、慣れて、甘えて、ありがたみを忘れてしまうこと、しょっちゅう有りそうですね…。
本当になくなってしまうと困るものには、常に感謝しないといけないなと思いました。
基礎医学研究者
2022年3月31日
「やってもらうのが当たり前?」JACKERさんの論考は、このタイトルがすべてを象徴しておりますね。こう考えていると、「皇室」がもし本当になくなってしまったときの反動はものすごいでしょうね。だから、そうならないためにも、我々心ある国民の不断の努力も必要!と改めて思った次第です。
ダダ
2022年3月31日
皇室と国民の紐帯は、法ではなく情感だと思います。
国民のために祈る気持ちが無くなればそこで終わり。元に戻すことは出来ません。
だからこそ国民が守り続ける必要がありますね。
じーま
2022年3月30日
皇室への敬愛の念を涵養するには、まず「天皇、皇族をやってくださって有難い」という想いが必要と思います。
「あるのが当たり前」という意識は皇室だけの問題ではありません。生活にモノがあふれすぎて、モノの有難みが薄れていることも一因のように思えます。日本国民が天皇を戴くことができるのか、モノにどっぷりと染まった社会で意識を変えることができるのか試されているような気がします。
殉教@中立派
2022年3月30日
小林先生から引用。
「今ある状況は、あって当たり前のものではない。1つ間違っていれば、日本がチベットやイラクや、アフガンのようになっていたかもしれないのである(天皇論H29のP419)。」
「生身の皇族方」への尊敬は、歴史を勉強することで持つことが出来る。が、「血統の器」に執着する者らは、勉強の為の脳味噌を保持していないといえそう。一方、今の一般国民達が「(皇室への)自然な敬愛の念」を持っているか?過剰代表による叩きばかりが目立って、可視化されないのではないか?等の疑問がある。「(皇族身分を)やっていただいている」気持ちも、生身の皇族方を想わなければ、(具体的に)発出するのは難しいといえそう。
希蝶
2022年3月30日
世の中に努力しないで永遠に続くものはない、ということをもっと自覚しなければならない、と思います。存在して当たり前と思っていたら、通勤路のお店が閉店していたり、近所の建物が取り壊されていることはしばしば経験しています。皇室もそうなってしまうかもしれないという危懼を、みんなが持って欲しいと思います。
かずず
2022年3月30日
あって当たり前ものでないという意識は大事だと思いました。