L.Kです。
最近、赤ちゃんの成長動画を観て癒されています。
笑顔を見せたり、手足をパタパタさせている様子がかわいくてしかたありません。
赤ちゃんは、世界の仕組み=自分が生きる方法も分からず、嫌なことをされても抵抗する力もありません。
そうしたある種の極限状態で、親や周りの人たちの愛情を一身に受けて育つことが、その後の人格形成に大きな影響を及ぼすことは、それほど異論をはさむ余地は無いのではないでしょうか。
平たく言えば、この世に希望があると思えるか。
人を温かいと思えるか。
赤ちゃん動画を観ていると、そうした認識が、乳幼児期の周囲の人達との触れ合いの中で形成されていくように思えるのです。
希望があり、人を温かいものと感じられる人ほど、困難にも挫けず強く生きていけることでしょう。
いっぱい愛されなさいよ。
そして強く生きろよ、赤ちゃん!
ところで、これは国家と国民の関係性においてもいえることではないでしょうか。
国家として、この世には希望や人の温かさがあるのだという物語を、国民に提示する。
その物語の中で国民は強く生き、最終的に国益につながる働きをする。
そうした関係性が、一番健全なのではないかと私は思います。
そして日本において、その物語の中心はもちろん、天皇、ということになります。
希望で現実を糊塗するのはただの現実逃避ではないか、と思われるかもしれません。
しかし、希望を持たなければ現実を生き抜く精神力は保てません。
現実を直視して立ち向かう原動力としての希望が必要だと考えます。
また、希望、といった人の内面に国家が関与すべきか、という問題はよく議論すべきことかもしれません。
特に天皇は、神話の世界につながる宗教性の否定しがたい存在ですし、その権威が戦時中の国威発揚に利用された歴史もあります。
しかし、今の刹那的で即物的な世相を鑑みると、人の集合体である国家が、人の内面にまったく踏み込まずに機能するとは思えないのです。
「軍隊を持たない国家」と同じくらい非現実的なのではないか。
政教分離原則との兼ね合いがしばしば問題となりますが、
天皇による希望の物語を国家が提示することに、もっと自信を持ってよいのではないかと私は思います。
国民に寄り添い、国民の安寧を祈られる天皇の本質を知っていればこそ、それが悪用されることも防げるでしょう。
それによって公教育や、宗教・心の教育の促進にもつながり、カルトに嵌る危険も減らせるはずです。
尚、この後で、旧統一協会と自民党の癒着問題を、政教分離原則を基に書いていこうと思っていました。
しかし、弁護士・倉持麟太郎先生の配信番組などを見てみると、
政教分離原則は、宗教団体の政治への関わりを排除するものではないとのこと。
なので、この切り口で問題とするのは難しいと思い、見送りました。
この問題については、反社会的な存在が政治に深く関与していた実態を明らかにすることの方が、重要であるように思われます。
ただ、いずれにしろ、
国家の最高権威としての正統性を保つために、
あらゆる自由や権利を制限されて、不偏不党を貫かれる天皇陛下並びに皇族方と、
自分の利益のためだけにお互いが結びついた旧統一協会と自民党の面々とでは、
そのあり方は比べるべくもないことは明白です。
文責:静岡県 L.K(40代、男性、土曜日ブログ担当)
11 件のコメント
L.K
2022年8月2日
>>yan ryuさん
(*´▽`*)
「個の砂粒化」が本当に問題ですね。
昭和の時代までは、地域の共同体が人と人との結びつきを支えていたと思うのですが、時代とともに「個人主義」という名の「私人主義」が広まり、それも廃れてしまいました。
みんながみんな、他人との関わりを避けて自分のことしか考えなくなったから、個の力は弱まり、問題から目を背け、他人任せ(権威主義)となって弱者は取り残され、人心の荒廃は限界寸前です。
「日本国民統合の象徴」として位置づけられているのが天皇なのに、その天皇の存在が意識づけられていないから、再統合のきっかけが作れません。
真夏なのにマスクを着けて、暑いのに改善策がわかっていないのと、同じような状態です。
国家・社会を保つには人と人とのつながりが不可欠。
しかし人と人との間には問題がつきもの。
それでも国家・社会を保つため、前向きに関わっていけるようなシンボルが必要になってくる。
その役割を担ってくださるのが、私を滅し公に尽くしてくださる天皇なんじゃないかと思います。
つくづく甘ったれですね、日本人は。
yan ryu
2022年8月1日
「希望があり、人を温かいものと感じられる人ほど、困難にも挫けず強く生きていけることでしょう。
いっぱい愛されなさいよ。
そして強く生きろよ、赤ちゃん!」 この四行で、涙腺決壊しそうになりました。 「天皇による希望の物語」そうですね!そしてこの物語を一切排除してしまい、国民としての一体感を感じることができず、国民一人一人が砂粒のような存在になってしまったところに、古くは連合赤軍、そして統一教会やオウムのようなカルトが付け入る隙を与えていると、『戦争論』を読んで感じていました。日本国憲法が第一章「天皇」から始まるにも関わらず、そこに触れない学校教育。「いじめ」「自殺」等の教育の問題はここからはじまっているようにも感じます。
L.K
2022年7月31日
urikaniさん
犬・猫とコラボするとかわいさ倍増ですね(*´ω`*)
本気の赤ちゃんは侮れません(笑)
甥っ子、姪っ子を抱っこするときは苦労しました。
新自由主義、グローバル時代に入って、一層心のあり方が問われていると思います。
他に類を見ない権威である天皇を戴く日本は、本来最も有利な立場にいるはずなのに、自らそれを捨てようとしています。
権威としてある存在を蔑ろにしているのだから、国として迷走するのも当然です。
なのフェイさん
そう思っていただけたなら、書いた甲斐があったというものです(^^)
別に無理やり天皇陛下を信奉しろというのではなくて、国の形としてこうなのだというだけなら、何の問題があるのかと思いますよね。
L.K
2022年7月31日
ダダさん
人は、何かを信じずには生きられない存在なのだと思います。
アドラー心理学の創始者・アドラーに言わせれば、
「すべての悩みは、人間関係に起因する」そうです。
答えがわからないまま、それでも先に進まなければならないから悩みが生じます。
わからないなりに考えて進むには、「信じる」という作業が不可欠です。
自分なりに答えを求めて考える「手助け」をするのが権威や宗教であり、
答えそのものを「与える」ふりをして搾取するのがカルト(あるいは権力も)である、
と言えるんじゃないかなと思います。
そのどちらを信じるか。
心が弱いと、後者を信じちゃいますよね。
個を持って生きるためにこそ、信じる対象が必要です。
「自分を最も自由にさせてくれる束縛」として、権威や宗教が見直されてほしいと思います。
基礎医学研究者さん
ダダさんへの返答とも重なりますが、
悩みの源泉が「人間関係」にあるのなら、
本質的に、カルトが信者に与える「答え」は、その「人間関係の破壊」に直結するのではないでしょうか。
悩むことがあっても、それを世界(人間関係)の否定へと向かわせず、自己の成長によって乗り越える。
そうさせていけるよう、人生の始めの時点で世界との信頼関係を築いていってほしいですね。
L.K
2022年7月31日
コメントいただき、ありがとうございます(^0^)/
京都のSさん
アメリカも、政教分離とは言いつつ基本はキリスト教なんじゃないかという気がします。
大統領就任時の宣誓しかり、このコメントでいただいた情報しかり。
国家を形成する「人」の慣習や心に目を向けて、政教分離のあり方を考えるバランス感覚が重要ですね。
日本は、あまりに歴史がありすぎるから、君主のルーツが神話にまでたどりついてしまいます。
だから現代人の感覚では皇室への理解が追い付かなくなってしまうのかもしれません。
「ずーッと国民の幸せを祈ってきてくださった方々」というくらいの認識でよいのだと思うんですけどね。
殉教@中立派さん
念のため申し上げると、私は森友学園のようにせよ、と言っているわけではないですよ(^^;)
国民をしつけるとかではなく、国家として国民を大切にする態度を示して、信頼関係を築いてほしいんです。
それにどう応えるかは国民一人一人の問題ですが(親の心子知らず;)、まあ今よりは全体的にマシになるんじゃなかなと。
天皇・皇室を「希望の物語」と捉えて守ろうとしてくださる、そのお気持ちが私はとても嬉しいです。
なのフェイ
2022年7月31日
やっぱり、学校で天皇皇室のことを教えた方が良いと思いました。
urikani
2022年7月31日
私も最近、赤ちゃんと猫とか犬、赤ちゃん単体(笑)の動画観て癒されてます(*^^*)
赤ちゃんて産まれたばかりなのにスゴいチカラ持ってて驚きますΣ( ̄□ ̄)!
大人は一旦まっさらになって物事見てみよう!
>天皇による希望の物語を国家が提示することに、もっと自信を持ってよいのではないかと私は思います。 国民に寄り添い、国民の安寧を祈られる天皇の本質を知っていればこそ、それが悪用されることも防げるでしょう。
同感です。
>今の刹那的で即物的な世相を鑑みると、人の集合体である国家が、人の内面にまったく踏み込まずに機能するとは思えないのです。
わたしもそう思います。
人と人との関わり、繋がりに内面が関係ないはずがないと思いますので。
L.Kさんのブログいつも読み応えがありますね!面白かったです。
次も楽しみです( ^ω^ )♬♬
基礎医学研究者
2022年7月31日
興味深く読ませていただきました。私、脳科学には詳しくありませんが、確かに科学者目線で見ますと、人間の情感は遺伝性(ゲノム情報)だけでなく、環境の影響が大きいと思います。赤ちゃんの情感は確実に生まれて以降の”人とのふれあい”が大きいのだと、自分の経験からも思います。閑話休題。
自分は”宗教(宗教心)”そのものは否定しません。「日本人は宗教心がない」といわれながらも、意識できないレベル(習慣や道徳心など)で神道や仏教が関わっているのはほぼ間違いない、と私見では思います。しかし問題は、L.kさん言われるように、このブログで挙げられたような(新興)宗教は、なぜか他者との関係性が崩壊し、やけに自己の利益と結びついているのは非常に謎ですね。「皇室」を意識するのは、これとはまったく逆に、縦と横の人の関係性を考えること(あるいは意識すること)そのものである、と改めて思った次第です(今回のL.Kさんのブログを読んで、そのように思いました)。
ダダ
2022年7月31日
人間は社会的な動物なので、権威(規範)無しでは生きていけないと思いました。
それが宗教であっても良いと思います。
カルトのせいで、宗教全般が悪とみなされるのは嫌ですね。。(;一_一)
殉教@中立派
2022年7月30日
山形有朋は、教育勅語を国民に対する「軍令」のようなものにしたがったが、帝国憲法の起草者である井上毅は「立憲主義」を尊重し「君主は、臣民の良心の自由に干渉せず」と総理を牽制した。勅語は(中略)命令しているのではなく、天皇が一緒にやろうと国民に「お願い」しているのであり、強制ではない。
(ゴー宣2nd・P172以降より)
(L.Kさんの記述)
しかし、今の刹那的で即物的な世相を鑑みると、人の集合体である国家が、人の内面にまったく踏み込まずに機能するとは思えないのです。
「軍隊を持たない国家」と同じくらい非現実的なのではないか。
(俺の私見)
これは、小林先生の考えとは異なる問題提起。これが「信者」にならず「思索」するという事なのだろう。
・・・私自身は、もう希望なんて持てないし、さっさと散ってあの世に行きたいタイプではあるが。たけし社長や、このサイトの方々など「希望を捨てずに戦う者達」に感情を揺さぶられ「少しでも助けになりたい」と思ってしまう。
もう(自分自身が)生きる希望を持てなくても。陛下や皇族方のように「希望の物語」を提示する存在は、守らねばならない。自分の生命に価値が無くても「未来へ残すべき価値」を繋ぐために。それが私の(言論で)戦う理由である。
京都のS
2022年7月30日
これは、ライヴ感が全開なのに筋道の通った、エッセイ風なのに論文調でもある、とても読み応えのある見事な文章でした。
米国風の政教分離はキリスト教の各宗派間におけるバランスの問題だと聞きました。また普遍宗教としてのキリスト教と集金システムとしてのカルトが全く違うのは勿論ですが、宗教とは言い切れない習俗(盆や正月、先祖との関わり)の側面が強い神道に米国風の政教分離を当てはめるのも違うと感じます。
そして、地域色の強い習俗を含む神道は、神話を起源とする天皇と民が織りなす国家の物語に徐々に収斂されていった感もあるため、その物語を身近に感じることこそがカルトに精神を侵されないための方途の一つであるように思います。