女性皇太子の問題  孝謙・称徳天皇の例

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現在のところ、日本で唯一の女性皇太子で、即位した天皇と言えば、養老2年(718年)生まれの孝謙・称徳天皇(阿倍内親王)だけです。
彼女は同母弟が出生後僅か1年で死去したため、異母弟の安積親王を牽制する目的で、738年に皇太子になります。

 彼女の母、光明皇后は藤原氏の出身で、当時の藤原氏の実力者は仲麻呂でした。

彼を警戒した政界の実力者の一人、橘奈良麻呂は、女性皇太子を問題視し、仲麻呂に反感を持つ人たちの賛意を得ます。

しかし、彼の陰謀は密告により発覚し、関係者の殆どが杖による拷問で殺されています。

 阿倍内親王には、その後、仲麻呂とも対立し、仲麻呂は乱を起こして一族もろとも殺害されました。

再度、天皇になった阿倍内親王は則天武后にならった專制君主となり、一方では女性を表彰するなどの善政も行いましたが、
宇佐八幡宮信託事件などもあり、結果、志半ばで、神護景雲4年(770年)に53歳で崩御しました。

 彼女の置かれた環境は同情すべきですし、最後まで自由に結婚し、子孫を残すことができなかったことが哀れに感じられます。

もしも、「皇婿」制度があり、阿倍内親王が好きな男性と自由に結婚できたら、奈良時代史もかなり変わってきただろうと思うのです。

 不自然な男子継承よりも、時代にあった双系相続ができるように、皇室典範の改正を求めます。

(メールより)文責 希蝶

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5 件のコメント

    希蝶

    2020年7月3日

    返信が大幅に遅くなり、すみませんでした。自分の書いた記事に返信するのが、何だか恥ずかしくて。
    ふぇいさん、くりんぐさん、 l_kさん、花谷香史郎さん、コメント有難うございました。

    孝謙天皇(称徳天皇)というと、感情家で、敵対者に変な名前をつけて、おとしめるという悪癖を持った人、と史書には記録されているのですが、一方では、厨真人厨女(くりやのまひとくりやめ)という人に、土地(封戸40戸・水田10町)を与えたりもしています。この人は不破内親王といって、女帝の異母妹で、謀反を起こしたという罪で臣籍降下させられ、ひどい名前をつけられたわけなのですが、そういう人でも気の毒に感じたのでしょう。聖武帝の娘たちは、不破の姉である井上内親王を含めて、不遇な思いをしている人ばかりです。これも、女性が子供を産む道具のように思われてきた時代の悲劇と言えるのではないか、と私は思います。

    今は天皇位に権力闘争は存在しないので、愛子内親王が好きな人を配偶者に迎えて、新時代を築く礎となって欲しい、と願います。そのように法律が一日もはやく改姓されますように。未来が輝かしい、希望に満ちた時代でありますように。

    花谷香史郎

    2020年5月22日

    称徳天皇が崩御されたあと、皇統が天智天皇系に移ったことにより、
    天武天皇系の称徳天皇および腹心の道鏡は、後年に成立した
    「日本霊異記」でスキャンダラスに書かれる運命だったと思います。

    実際はどうだったかというと、道鏡の方は野心がなかったというのが
    有力な見方であり、称徳天皇の方も本気で道鏡を皇位に即かせようと
    していたかはわかりません。
    案外、和気姉弟を配流したのも和気清麻呂に道鏡を「無道の人」
    と言われ、称徳天皇が「お前も仲麻呂と同じことを言うのか!」
    と怒っただけだったかもしれませんね。

    余談ですが「日本霊異記」は時の権力者である藤原氏をヨイショしているようにも見える本で、藤原氏が一族の娘である光明子夫人を臣下初の「皇后」(←皇太子を経ずに即位可能!)に格上げするのに反対した長屋王も悪く書かれています。

    参考文献:
    女系図でみる驚きの日本史、女系図でみる日本争乱史
    (共に著者 大塚ひかり)

    0から学ぶ日本史講義 古代編(著者 出口治明)

    l_k

    2020年5月21日

    希蝶様
    ご投稿ありがとうございます。

    時代の違いですね。
    まだ天皇が権力の座とは分離されていない頃の話です。

    今女性皇太子・天皇を認めるなら、当然結婚も出産も認めなければなりません。そしてそのお子様は、当然次代の天皇になれなければなりません。

    前例に居座って思考停止している暇はありません。
    私たちの時代のことは、私たちで決めなければならないのですから。

    くりんぐ

    2020年5月21日

    当時は天皇が権力を握っていた時代で、藤原氏のように有力者は娘を男性天皇に嫁がせて生まれた男子を天皇にすることで天皇の外戚になって権力を握ろうとしました。
    何故逆のパターンである、息子を女性天皇に婿入りさせるケースがなかったのか。
    おそらく、一番の理由は血縁が証明できないから。
    男性天皇に嫁がせた娘が産んだ子は間違いなく自分の孫だと証明できます。
    一方女性天皇に婿入りさせた息子は、男なので子供は産めません。伴侶である女性天皇が子供を産んだとして、その子の母親が女性天皇と証明できても、父親はDNA鑑定のない時代に証明することはできなかったでしょう。
    それ故に女性天皇への婿入りの選択肢が閉ざされていたと考えられます。

    今は天皇に権力はありません。
    天皇となられる方が心から愛されている方であれば、どなたとご結婚されてもよいのです。

    ふぇい

    2020年5月21日

    希蝶さま投稿ありがとうございます。

    歴史にタラレバはないですが、
    いろいろ考えさせられます。
    そして、これから不自然な継承が行われないように
    皇室典範改正が大事だと
    歴史から見て強く感じました。
    ありがとうございました。

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