男性天皇でも「中継ぎ」の人はいま~ぁす

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皆さま、こんにちは!
名古屋のエプロンおばさん たこちゃんです。

ツイッターで、江戸時代後半の「男性だけど中継ぎ天皇」について
とても分かりやすく解説した記事を発見しましたので、皆さまにお知らせしようと思います。

エコノミストOnline
森暢平 「江戸後期の女性皇族の地位 皇統に重要なのは男系か?」(令和4(2022)年6月27日)

https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20220627/se1/00m/020/002000d

皇位継承問題では良記事を書いておられる森氏の記事です。

1700年代以降明治まで、皇室は天皇、皇太子が夭折されることが頻発して、皇位継承は綱渡り状態でした。

ちなみに、文中に出てくる光格天皇の先々代、後桜町天皇は、今のところ最後の女性天皇で、継承者がなくて急遽即位された方です。

先日の東海道場での宇野氏の発言ではありませんが、後桜町天皇がしっかり中継ぎのお仕事=天皇としてのお仕事&上皇として若い光格天皇をサポートしてくださったおかげで、現在があると言えます。


文責:愛知県 たこちゃん

5 件のコメント

    ダダ

    2022年9月29日

    良記事のご紹介ありがとうございます!

    >天皇本家の流れを汲(く)む女性皇族の欣子の実子高貴宮と、現職の天皇である仁孝を父に持つ鍠宮を比較したとき、高貴宮のほうが貴種性が高いと考えられていたのだ。それを担保したのが本家の娘、皇太后欣子である。
    ・・・直系重視ということですね!

    >仁孝天皇や孝明天皇には本来、天皇本家の血統ではないことに対するコンプレックスが強かった。
    ・・・ここは少し悲しくなりました。
    現代において、天皇家vs秋篠宮家という低次元の話は無視するとして、男系男子限定という本来の伝統に反するルールは見直す必要がありますね。

    殉教@中立派

    2022年9月28日

    江戸時代は「性別にかかわらず、天皇の存在感・地位が低かった時代」でもあるが・・それでも、当時の人の知恵・工夫・伝統の守り方が分かる良記事。こうした歴史学的なアプローチ、(理屈が分からなくても)庶民感情に訴えるアプローチ、いくつかの方向性を使い分けたい。

    文中の「男女共同参画」の部分は、男系派に足元を掬われそうだが(皇室は神聖ななものであり、男女平等を持ち込むな!など)。それでも、今の時代の感覚を取り入れる事も、また新しい「伝統」を繋ぐ道といえるだろう。

    くりんぐ

    2022年9月28日

    仁賢天皇の皇女・手白香皇女の婿として即位した継体天皇が崩御してから、継体天皇の息子である安閑天皇と宣化天皇が父と同様に皇女の婿として即位されています。
    宣化天皇が崩御された後、即位されたのが手白香皇女を母に持つ欽明天皇。
    継体・安閑・宣化・欽明天皇の即位には、継体天皇以前の天皇の直系の血筋を受け継ぐ皇女たちの存在が大きく影響していたのです。

    現代の男系固執派には、「旧宮家系国民男性が直系女子と婚姻すれば皇位を継げる」と勘違いしている人がいます。
    光格天皇も継体天皇も安閑天皇も宣化天皇も、傍系とはいえ皇族の身分にありました。
    皇族ではない旧宮家系国民男性は女性皇族との婚姻で皇族になることはあっても、皇位を継承することは出来ません。

    L.K

    2022年9月28日

    傍系なのに即位できた光格。
    中継ぎ扱いされた仁孝。
    それら歴代天皇の裏で影響力を持っていたのが直系の血筋を持つ欣子内親王。
    男系派をマネて、当代天皇のありようより血統を重視するというなら、この頃はむしろ欣子内親王の持つ直系の血統(=女系)の方が優勢だった、ということになりますね。

    日本は女性も女系も包含した直系が重んじられていた。
    男系派の主張は、やはり歴史的裏付けなどなく自身の男尊女卑感覚を糊塗したものに過ぎなかった。
    そのことを改めて確認できる記事でした。

    京都のS

    2022年9月28日

     森氏の論考は最初から最後まで納得のいく内容でした。素晴らしいものを紹介していただきありがとうございました。

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