機能集団が共同体化する「日本病」を癒すのは誰か?(承)

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忘年会のイラスト「サラリーマンの飲み会」

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 起)では日本的組織≒共同体≒世間が抱える問題点を抽出するだけで紙幅が尽きました。
(承)では世間の成り立ちについての考察を挟み、後章では世間の暗部が皇室制度をデッドロックさせる問題と、その解決策を提示します。

 まず『日本人と「日本病」について』で岸田秀氏は、日本病(機能集団の共同体化)の原因として日本にキリスト教的な絶対神が居ないことを最も問題視しましたが、
キリスト教が伝わる前のギリシャやローマ(多神教的世界観)に絶対的な上下契約が無かったのか?と問えば、
私は有ったと考えます。
異民族の流入が容易な欧州大陸では侵略と虐殺のリスクが常在し、従って城塞都市の領主と市民との間に「城壁で守ってやる代わりに城外で敵と戦え」という絶対的な上下契約が結ばれた可能性があるからです。
このような素地があったところに一神教が導入されたことで上下契約が強化されたと考えれば自然でしょう。これは故大石久和氏の説を援用したものです。

 では機能集団が共同体化する日本人の場合はどうでしょうか。
山本七平は「日本的共同体=擬制の血縁関係」という説を採りましたが、
擬制の血縁とは「盃を交わした」り「同じ釜の飯を食った」りした仲だと考えられます。
このことは黄泉戸喫(ヨモツヘグイ:黄泉の国の竈で煮炊きしたものを食すこと)したイザナミがイザナキの居る現世に戻れなくなった件とも通底します。

 また私は以前「双系システムの成立過程を考察する」において、
縄文前~中期の日本人は母系の血族集団による定住型採集民であり、
それは水田稲作が定着して双系の共同体集落(ムラ)が成立するまで続いたと結論しました。
ここから「擬制の血縁集団」とは、成員の多くが血縁関係にあった縄文集落の名残だと考えられます。

 さらに、自然災害が多発する日本列島の環境ゆえに年長者の経験が重宝されて「長幼の序」が自然発生し、いつでも助け合える関係を築くために「互酬」の度合いが強まり、
そうした中から「同じ釜の飯を食えば家族」「目上には敬語」「世間は広いようで狭い(から悪いコトするな)」といった日本的世間人のメンタリティーが成立します。
以上のような機序が、欧州では機能集団が正常に機能するのに日本では共同体化(≒世間化)する理由だと考えられます。

 依然として皇室問題には入れていません。(転)に続きます。   

文責:京都のS

5 件のコメント

    京都のS(サタンのSじゃねーし)

    2023年1月15日

     佐々木様、ありがとうございます。風土の影響はデカイと思います。峻厳な一神教が発生した地域は砂漠化して生きにくい環境になったから峻厳なものになったのだと思われます。
     ダダ様、ありがとうございます。日本では神様自体からして大規模災害を起こす荒ぶる魂ですから、人々が手を携えるしかなかったと思いますね。
     殉教様、ありがとうございます。フランス理性論VSイギリス経験論みたいで面白いですね。互いに守り合う約束の根拠が一神教の戒律の場合と長老の知恵の場合との比較も面白いです。長老の教え(属人的)が持続しないのは当然ですが、社会の最小単位が世間である日本では空気(世間ファシズム)が発生し、それは「No 科学」で「客観性Zero」なまま一般化してしまいます。仰る通り「コロナカンセンタイサク」も同様の経緯を辿りました。昭和天皇が憂慮されていた日本人の「付和雷同性」が牙を剥いた形ですね…。
     「転」では、さらにヤバい方へ転がります。カルトも登場しますよ(笑)。お待ちください。

    殉教@中立派

    2023年1月14日

     一神教以前にも、上下契約の思想があった・・・勉強になります。現ウクライナのような、侵入されやすい土地(大陸≠島国)では、確かにあった方が自然かと。
     日本では、「長老様の教え」を軸として共同体がスタートしましたが・・・一神教の場合は「個人の生活の知恵、経験科学」が軸だとも思っています。
     具体例としては「この神の教えでは、豚を食べてはならない→暑い地域で豚を食べると、食中毒を起こしやすい。毒性のある食べ物は禁止にしておこう→生活の知恵→一神教の戒律として採用」というもの。
     ただ一神教では、お互いに「戒律を守りあう事」で、仲間意識を持つという側面もあります。日本ではどうでしょうか。守るべき軸が「長老の教えを守りあう」ことになっただけで、そこまで変わらない気もしますが。
     違う所があるとすれば、長老の教えは属人的・主観的で。豚を食べてはならないという戒律は科学的・客観的なもの・・という事でしょうか。それであれば、社会の最小単位が「個人か?世間か?」という問いにも、納得できます(コロナカンセンタイサクは、科学的な検証をやっていないので)。

    ダダ

    2023年1月14日

    天孫降臨(天壌無窮の神勅)は宗教の始まりとしては違和感がなく、農耕民族なら神=自然を意識しそうですが、日本では契約よりも人間関係が根付いたのですね。
    神様より頼りになったのは人手だから(・・?

    佐々木

    2023年1月14日

    欧米にしろ日本にしろ、国家のしての文化や慣習の始まりは
    住む土地の風土や生活環境とは切っても切り離せない事が
    明確に書かれて、とても分かりやすかったです。

    京都のS

    2023年1月14日

     相変わらず皇室問題に触れられずにいる文章を載せてもらって「すいま千円」。いや、母系だの双系だのという言葉が出ているので間接的には皇統問題に繋がる話ではあります。
     それから、この(承)が殉教さんへの回答です。

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