マージナル・マン(境界に立つ人)としての天皇(上)

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 『月刊 日本』に「西部邁 『フィクション』としての天皇」というインタビュー記事
(2017年5月17日 http://gekkan-nippon.com/?p=12255 )がありました。

 インタビュアーから「日本にとって天皇とは何か」と聞かれた西部氏は、
「敗戦の翌年、兄と一緒に『天チャン』と叫んでいたら、親父からバンバンバンバンバーンと往復ビンタをかまされて、
『不遜だ』という重い一言を聞かされた」「それから私にとって天皇は生涯の関心事になった」と思い出を語っています。

 国家が幾つかの選択肢の中から特定の政策や戦略を選ぶには、必ず何らかの価値基準が必要となり、
それが由来する根源的な何事かをナショナルアイデンティティと言ったり国体と言ったり国柄と言ったりしていると語り、
また政治と宗教はいずれも「まつりごと」と言われていたように、根源では繋がっているから
「政教分離」とか「祭政分離」などは間違いだとも言います。

 そして、天皇は価値の源泉たる国柄の「象徴」なのだから
「天皇に関心がない」というのは国家にも宗教にも価値にも関心がないと宣言するようなものであり、
日本国民たる者、国家、宗教、価値を考えようとすれば、天皇に関心を持たざるを得ないと喝破されました。

 退位の意向を示すメッセージから天皇論が盛んになっていることについて聞かれると、少なからぬ人々が立憲主義を唱え、

「皇室典範には生前退位の規定がない」
「立憲主義を貫くならば典範改正が必要だ」
「特別立法とは何事か」

…という法律至上主義を西部氏が苦々しく思っていた様子が伺えます。
しかし、これを以て「西部も男系継承に固執する現行典範を是認していた」と見るのは早計です。
続けて「天皇や憲法の関係や位置づけに関する本質的な議論が進んでいるとは言い難い」と答えているからです。

 次に「本来の憲法は決して完結するものではない」と前置きし、
第一条の条文「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」に触れ、
「象徴」には「俗世を超越したものを求める精神性」「聖なるものへの志向性」を含んでおり、
「憲法は内部に自己の枠組みを超え出る『象徴』を置いた瞬間に自己完結しなくなる」「ある種の矛盾として内包している」と続けました。

 ここで思い出されるのが西部氏が折に触れて語った
「天皇は神と人との境界線上に立つマージナル・マン」という言葉です。   

(下)に続く。  
文責:京都のS

1 件のコメント

    京都のS

    2023年1月24日

     「立憲主義」を唱道した立憲民主党を腐すような発言をされていましたが、ここからどう転ぶか、次回をお待ちください。
     本稿は西部師匠への追悼の意図も含んでいます。

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