宗良親王がお守りし、後世に伝えた 吉野朝 のご威光と尊厳(中)

(今回は、「中」となります)

 信州に合計30余年滞在され、信濃宮と呼ばれた宗良親王は後醍醐天皇の第八皇子。
百人一首で有名な藤原定家の子孫・為子を母に持ち、歌に秀でたお方です。

 15歳の時に八坂の比叡山別院妙法院の門主を継ぎ、歌と仏道に専念し、20歳の時は仏教界のトップ・天台座主となり、比叡山の信徒を纏めていました。

 話を少し変えまして、後醍醐天皇は乱れた政道を正そうと、当時の人々が思い描いていた日本の黄金時代 “延喜・天暦の治” を再現するために奔走されました。
親政を始めた直後、最高政務機関・記録書の開設を皮切りに、
・関所の廃止と商業の保護による経済の発展。
 これに関連して豪華奢侈の禁止と倹約の奨励。
・当時流通していた外国銭に代わる独自の通貨の鋳造によって独立国家の面目を確立。
・親政を確固たるものにするため、また平安時代の反省から関白を廃止。
・中興を達成する為に、家柄に拘らない人材の登用。
・米価の安定によって貧民を救済。

 とにかく「失政」のイメージを刷り込むために作製された歴史教科書で記されている「建武の新政」(建武の中興)は、因襲を退け伝統に回帰し、日本中に活気を取り戻した大改革でした。

 しかし、極めて残念なことに、時局の不安定と論功行賞の難航につけ込んだ足利高氏により中興が瓦解し、いわゆる南北朝時代に突入しました。

 宗良親王がご活躍されたのは丁度この時代です。本来なら歌と仏道に生きる筈が、戦に明け暮れる日々となったのです。
後に東征将軍をお受けなさった際に感慨のあまり

思いきや 手も触れざりし梓弓 起き伏し我が身 馴れむものとは

と詠われました。

 宗良親王は新潟、山梨、長野、岐阜、愛知、静岡の土豪(地方の有力者)を糾合し、幾度も足利勢と戦いました。
特に北畠親房の戦略のもと、新田義宗を主力とした官軍は武蔵野にて足利高氏と直接対決しました。

 開戦前に宗良親王は諸将を激励するために詠われた最も有名なお歌

君がため 世のためなにか惜しからむ 捨ててかひある 命なりせば

このお歌に強く感激した新田義宗は、あと一歩のところまで高氏を追い詰めたものの、惜しくも敗れることとなりました。

 この大合戦から数年後、吉野朝の大黒柱・北畠親房が病に倒れ、親王は最後の合戦となる桔梗ヶ原の戦いに大敗し、以来19年長野の大河原(現在の長野県大鹿村)でお過ごしになりました。

 宗良親王の晩年。北朝・京で勅撰和歌集の編纂が始まり、親王は従兄の二条為定を通して歌を送ったところ、幕府が「南朝関係者の歌は載せない」と横槍を入れました。
この事件に衝撃をお受けになった親王は吉野朝・賀名生へ上京し、親王の生涯の結晶である、自身のお歌をまとめた「李花集」と後醍醐天皇、後村上天皇、長慶天皇を始め、諸々の親王、数々の忠臣の歌を集めた「新葉集」を編纂されました。


以上が宗良親王の波乱と苦難に満ちたご生涯です。
次回は「新葉集」に記されている三種の神器のご威光と、現代日本との比較に入ります。

文責 長野県 風樹

4 件のコメント

    基礎医学研究者

    2023年2月7日

    (風樹さんのブログに割り込みですみませんが)京都のSさん、自分へのコメントありがとうございました。富本銭、自分は昨年子供の中学校の歴史教科書で初めて知ったのですが、最近のブログで詳細に解説してくれているのですね、勉強させていただくことに(m_ _m)

    京都のS

    2023年2月6日

     基礎医さん、日本のケインズ政策の嚆矢は持統天皇@女帝だと思われます。富本銭鋳造&藤原京完成&減税をやりましたから。
    「愛子天皇の治世を仮想してみれば…」(
    https://aiko-sama.com/archives/22571 )を参照。

    基礎医学研究者

    2023年2月5日

    興味深く読ませていただきました。正直、歴史的な解説は人物のつながりが自分の中でクリアーでないため、充分に理解はできていないのですが、宗良親王が第八皇子というところを見ると、皇籍離脱して出家し、歌と仏道に生きるというのが、本来の道だったのでしょう。しかし、歴史的状況がそれを許さなかったのは、まさに”運命”としかいいようがない気が、自分にはしました。あと、後醍醐天皇が京都のSさんが書かれているように、実は通貨を大量供給して経済を安定させる政策を考えていた(いわゆる、ケインズ政策ですね。この時代に、そういう呼び方はなかったけど(;^_^A)というのは、実に惜しい試みだったと、自分も思います。

    京都のS

    2023年2月5日

     後醍醐天皇による建武中興の解説、ありがとうございます。帝が目指したのは摂関家に牛耳られた政治を脱していた時代なのですね。
     その内容ですが、経済に限って解説を試みれば以下のようになります。
    ・関所の廃止と商業の保護による経済の発展(楽市楽座的な規制緩和、若干ネオリベ風味だけど規制が強すぎていた場合には有効)
     これに関連して豪華奢侈の禁止と倹約の奨励(江戸期の朱子学に基づく改革に似た緊縮財政、でも貴族への富の偏在を禁じるのは良い)
    ・当時流通していた外国銭に代わる独自の通貨の鋳造によって独立国家の面目を確立(貨幣発行量↑はケインズ政策の金融政策、経済の基本インフラ)
    ・親政を確固たるものにするため、また平安時代の反省から関白を廃止(特定一族への権力集中を防ぐのは良い)
    ・中興を達成する為に、家柄に拘らない人材の登用(同上、能力主義も良い)
    ・米価の安定によって貧民を救済(値を吊り上げる商人への規制強化で貧民救済することは立派な公共投資)
     非常にバランスの取れた内容(時所位も考慮されている)です。後醍醐帝と側近たちは為政者としても見事だと感じますね。

コメントはこちらから

全ての項目に入力が必須となります。メールアドレスはサイト上には表示されません。

内容に問題なければ、下記の「コメントを送信する」ボタンを押してください。