倉山「緊急特番」主張④への論破

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突撃一番さんによる、倉山緊急特番への論破です。

●倉山の主張④
男系継承が掟として確立していなければ、継体天皇のように、応神天皇から5世も離れた傍系皇族を天皇として迎えるような騒ぎには、ならなかった筈だ。

〇継体天皇が即位されたのは、西暦にして507年。当時はまだ、「倭の五王」に代表されるような冊封体制の影響が色濃く残っていた時代だそうで、軍事的統率者としての天皇を、推挙する側であった群臣たちの間にも、「男王」へのこだわりがあったようです。
そのこだわりが払拭されるには、推古天皇の即位を待たねばなりませんでしたよ。(義江明子『女帝の古代王権史』p70)

いずれにしろ、継体天皇の事例は、オリジナル日本の「男女双系的血統観」を、キレイに反映した「先例」とは、言えなさそうですよ。

そのような「シナ男系主義」的風潮の中にあっても、仁賢天皇の娘である手白香皇女との婚姻が、継体天皇と前王系とのつながりを示す上で大事な要素となった辺りが、女性の血統も男性同様に重視されていたという、何よりの証拠でしょう。

〇結言のような仮説のような・・・。
最後は若干、問題提起のような感じでシメさせてもらいますが、倉山をはじめとする男系カルト協会の信者さん達は、「一般国民男性が婚姻によって皇室入りされた事例は無いので、認められない」とか、「愛子様が山田君と結婚したら山田王朝になる!」とか「易姓革命だ!」などと、やたら男の血が皇室に混じるという事を警戒されているご様子ですね。

ところが、今の上皇后陛下(正田美智子さん)が婚姻と共に皇室に入られた時点で、誠に不敬ながら「平民の血が皇室に混じる」という先例は、既に出来上がっています。

義江明子さんご指摘のように、古来、日本社会は「男女双系」的な血統観を基盤としており、女性が財産を相続したり、一族の長となる事も当然の事だったそうです。
天皇の系譜も、のちの世の父系系譜とは異なり、少なくとも敏達天皇の時代には、生まれた御子は同母子単位で、しかも男女混合で生まれた順に記載されていたそうです
(義江前掲書p57)。

シナのような厳格な男系主義とは全く異なり、オリジナルの日本社会には「男の血統」「女の血統」のように、性差で血を分別するという感覚自体が元々存在しなかったのではないでしょうか?

そうであれば、正田美智子さんの「先例」を、将来、愛子様のお婿さんとなる一般男性に当てはめたとしても、男女によって血統に違いはないので、「全く無問題!」という事になると思われます。

男だろうと女だろうと、「一般国民の血が混じる」という点では同じなのですから、古代日本社会の血統観を手本とすれば、仮に「ミスター山田さん」の血が皇室に入ろうが、倉山が金科玉条に掲げる「先例主義」とも、なんら矛盾は無くなるのではないでしょうか?

4 件のコメント

    突撃一番

    2023年2月6日

    長ったらしい私の文章を全部採用して戴いて、ma-さん、誠にありがとうございます!

    あと、京都のSさんはじめ、Dr.Uうさぎさん、ノブヲさん、コメントありがとうございます!
    がんばって文章書いてよかったです。

    多分「山田王朝が始まるぞ~!」と主張する人の心理は、愛子様は勿論、女性の「主体性」というものを全く認めない、ただのモテない男のヒガミじゃないかな(笑)?

    よしりん先生とは180°正反対で、所詮は俺も全くモテない男ですから。「非モテ男」の心理は、よくわかるよ~(泣)(泣)(泣)

    Dr.U うさぎ

    2023年2月6日

     一連の倉山批判、とても勉強になりました。
    「シナ男系主義」的風潮は、もちろん当時、あったにはあったでしょうが、そうだとしても「どれくらい」強いものだったのか、という議論が倉山さんの議論には欠けていますね。1のものを10にして言う感じでしょうか。雑な議論。

    京都のS(サタンのSでも飼い慣らすし)

    2023年2月6日

     応神天皇の5世孫(継体天皇)は、手白香皇女との婚姻を介してすら数十年も都入り出来なかったという事実があり、それこそが皇室の伝統だと言えます。皇胤とは言え5世孫ともなれば臣下です。いくら女性皇族との婚姻で箔付けしたとしても君臣の分義はオイソレとは超えられませんでした。ましてや20世孫なら内廷皇族女子と結婚できたとて数百年は帝都に近づける訳にいきません。まぁ、絶対に結婚させませんがね(笑)。
     突撃様、長大なる論破、お疲れ様でした。

    ノブヲ

    2023年2月6日

    ダンケーの人たちがよく使う愛子さまの将来の伴侶の仮名「ミスター山田」も、Y染色体信仰の現れなんでしょうかね。仮定の話でも「イニシャルY」!どこぞの峠道でも攻めてるのでしょう。

    さて私がかねがね疑問に思ってるのは「山田王朝」の正統性はどこから来るのか?です。
    喩えといえど不敬なことで畏れ多いことでありますが、愛子さまと「ミスター山田」のお子さまが即位され、ダンケーのいう「山田王朝」という別王朝が始まるとして、現「王朝」と同等かそれ以上の正統性が必要とされると思うのですが、一般国民の「ミスター山田」にそれはあるのでしょうか。
    愛子さまと「ミスター山田」の子が別王朝を立てる正統性があるとすれば、それは他ならぬ愛子さまの子であることしかなく、であればそれは「別王朝」でなく「現王朝」ではないか。この辺りダンケーはどう考えて別王朝がーと言っているのか、相手の立場になったつもりで考えても皆目検討がつきません。どなたかダンケーの心理に詳しい方にご教授願いたいですw

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