【日々是皇室~天皇誕生日に寄せて~】「伊勢参り」にみる天照信仰のひろがり(中)

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2【おかげ参り・抜け参りと、参詣者への施行】
~60年周期で“バズった”伊勢群参~

前回みたような「伊勢講」の構成メンバーと、その代表に選ばれて伊勢を参拝出来た参詣者が、基本的には男性中心であった一方、女性や子供、貧困層にも、お伊勢参りのチャンスが巡ってくる事もありました。

それが、概ね60年に一度の周期で、全国規模で発生した「おかげ参り」と呼ばれる集団現象です。 何故、そのような突発的な現象が起きたのかは不明とされていますが、一説には社会情勢への不安が原因ともされています。

通常、神宮への参詣者が年間で約60万人だったとされる江戸時代にあっても、大規模な「おかげ参り」発生年になると、3月晦日~6月20日までの119日間で、427万6800人に上った年もあるようです(文政13(1830)年)。また、主人や家族に許可も取らぬまま、関所の通過に必要な手形も持たず、必要最低限の路銀だけで伊勢を目指す「抜け参り」も、神宮参拝という大義名分のもとで黙認されていたようです。

「おかげ参り」「抜け参り」で伊勢を目指す人々に対しては、沿道の商人や寺が、食べ物や宿を無償で提供する事が普通でした。

これは「施行(せぎょう)」と呼ばれ、参詣者に対して何らかの施しをすれば、与えた人にも功徳があるという考えが社会通念となっていた事が背景にあります。

令和の現在であれば、見ず知らずの旅人をタダで家に泊めてあげて、尚且つ飯までタダで食わせるなんて、ちょっと考えづらいですけどね(笑)。

『団体旅行の文化史』の著者である山本志乃氏は、この「施行」を指して、「神仏を媒介としてこの国で連綿と育まれてきた、相互扶助の文化」が背景にあると分析しています。

路銀に恵まれぬ者や、関所の通過が困難であった女性であっても、沿道に住む人々の助けを借りながら伊勢を目指す、という事が普通にできたのは、まさに天照大神に対する信仰が、全国各地の庶民の間で感覚として根付いていた証拠でしょう。

まさに、「お伊勢参り」という大義名分さえつけば、文無し旅も関所抜けも、何でもアリ! という状態ですね。
※ もっとも、手形ナシの女性が、公然と関所を通過できたという訳でもないようです。

宿場町によっては、関所を避けて脇道を抜ける非合法な道案内を、生業の一つとしていたような町も多かった事に加え、公儀の側も宿場の税収を貴重な財源としていた為に、そういった「関所抜け」に対する取り締まりも左程厳しくは行われず、なかば「黙認されていた」というのが実態のようですが・・・。

(下)に続く。

文責 北海道 突撃一番

4 件のコメント

    突撃一番

    2023年2月25日

    ゴロンさん、れいにゃんさん、基礎医学研究者さん、コメントありがとうございます。

    れいにゃんさんの地元のお婆さんがなさっていたように、四国遍路における「お接待」も、伊勢参りの「施行」同様、神仏の加護を願って身一つで旅をする人に施しをすれば、与えた人にも「おかげ」が分かたれるという文化に根差しているそうですよ。
    (山本志乃『団体旅行の文化史』p32)

    そうやって形を変えながら、同様の信仰がもしかしたら全国に広まっていたかもしれませんね。

    ゴロン

    2023年2月24日

    「おかげ参り」と聞くと、昔アニメで見た「サスケ」を思い出してしまいます。当時は意味をよく知りませんでしたが。

    れいにゃん

    2023年2月24日

    「旅」は日本人が編み出した最強の娯楽、見知らぬ土地へ行くなど私の国では恐ろしいことだ、といった意見も昔聞いたことがありますが…(たしか呉善花氏)「おかげ参り」がその下敷きにあるのかもしれませんね。うちは四国遍路の道中に居を構えております。今でこそ、宿やホテルが充分整備されていますが、平成に入ったばかりの頃でも、困ってたお遍路さんを泊めた、というお婆さんは近所にいましたから、参拝者は、居ながら神仏と繋がれる有難い媒体という感覚がかつての庶民にはあったと思います。でも、やっぱりちょっと怖いですよね。

    基礎医学研究者

    2023年2月24日

    (編集者からの割り込みコメント)今回も楽しく読めました。かつ、勉強になりました。なるほど、自分の理解が間違っていなければ、バズッタ伊勢参り≒苦しい時の神頼み、ということになりましょうか。また、たしかに、見知ぬ人に一宿一飯のお世話をする!というのは現代では考えにくいですが、それは江戸時代は「ミラクルピース」とゴー宣に以前描かれていたことと関係があるのですかね。
    そして、これらの話が「天照大神に対する信仰が、全国各地の庶民の間で感覚として根付いていた証拠」というのは、今回の突撃一番さんのブログで、自分、一番目を惹いたところで、皇室の歴史・伝統とはやはりこのような感覚にあるのではないですかね!次回は、いよいよ最終回ですが、楽しみです。

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