【文字起こし】倉山大塚(国民民主) YouTube動画

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新潟県 ただしさんによる倉山動画の文字起こしです。

倉山は論破されたい体質なのでしょうか?

※できるだけ動画に忠実に文字起こししましたが、内容を変えない範囲で読みやすくしている部分もあります。

倉山:チャンネルクララをご覧の皆様こんにちは。本日は国民民主党代表代行の大塚耕平先生の事務所を久しぶりにお邪魔して番組を進めたいと思います。大塚先生よろしくお願いいたします。

大塚:よろしくお願いします。

倉山:先日の番組も大変あの好評でして、国会議員の先生というより大学の先生というか、ものすごい物知りだという評判が。

大塚:大学で教鞭もとってます。

倉山:早稲田で客員教授を。

大塚:その立場でも結構です。

倉山:今日は、本当は伏見宮家のお話をお伺いしたいと思ってオファーさせていただいたんですけれども。その前にそもそも、皇室の歴史そのものを改めて振り返って事実を知るところが大事なのではないかということで番組を進めさせていただければと思います。

大塚:宜しくお願いします。

倉山:はい、なぜ、伏見宮家が話題になるかというと、結局男系、皇位の男系継承をどうやって続けていくか、今まで一度の例外もなく続けてきたことを続けていくにはということを考えた時に、じゃあこれをあの今まで通り続けていくのか、それとももう難しいからやめようとしてしまおうという意見で、一時期国論を二分したことがありましたけれど、その前に大塚先生がまず事実を知ろうという普及をされているということでですね、まああの過去に大塚先生が書かれた原稿をもとに、番組を進めていきたいと思うんです。よろしくお願いします。

大塚:よろしくお願いいたします。

倉山:第22代清寧天皇のお話からお聞きしたいんですけれど、そのあたりの古い時代から。

大塚:第22代ですか。

倉山:はい

大塚:20、あ22代というと‥、これは今、お持ちになってる資料はですね、この「ファクタ」という雑誌に私が連載を持ってるんですが、
(雑誌をコピーした資料)
通常は、経済の問題を書いてるんですが、去年の12月にあのこの『「天皇制・皇統系譜」は日本文化の真髄』という、こういうタイトルで皇位の歴史を書かせていただいたんで、そのご質問に直接お答えする前にですね、なぜこの経済の話ばっかり書いてる中でこれを書いたかっていうとですね。

倉山:ぜひそっからお願いします。

大塚:経済的安全保障法というのが、去年成立したんですが、当然我々も国家安全保障局といろいろ意見交換しながらまあ、私個人はかなり協力もしたつもりなんですが、成立しました。ただ同時にうちの党でですね、総合的経済安全保障法案というのを別途出してるんですが、それは今、政府が動かし始めた新しい法制は、大事な技術の特許を出しちゃいけないとか‥公開しちゃいけないとか、極めて限定的な範囲なんですが、広い意味の安全保障っていうのは、そういう技術情報や製品情報だけじゃなくて、食料、エネルギーや医療リソース、もっと言うとですね、実はあの、文化とか言語を侵食されるともうこれは、あの国家存立の危機になりますので、文化や言語という観点から言うと、やっぱり日本国憲法第1条に日本国民の象徴として、天皇が掲げられているということは、やっぱりみんながこの天皇制についての史実を知ることがこれが、実は経済安全基本保障を含む総合的安全保障にとって不可欠という観点で、これを書かせていただいたんですね。
それで今、ご質問のあった古い話から行くとですね、この22代清寧天皇という方がいらっしゃって、でこの方で次の跡継ぎがいらっしゃらなかったので、一旦絶えたわけですね。でじゃあ男系でつながってる人を誰か連れてくるとなるとですね、こうずっと遡って違う系統の男子をお招きするということをやらなくちゃいけなくて、22代からこう順番にずっと上辿っていくと、16代の仁徳天皇に遡って、で仁徳天皇からこう下っていくと、次の23代顕宗天皇という方が即位される、こういう結果になったんですが‥、後で多分、画面にはね、(資料の図を)見せていただけてると思うんですが、つまり清寧天皇から遡っていくと雄略天皇に遡り、その上の19代にさかのぼり、その上の16代仁徳天皇に遡るという風に行くと、①②③、そして17代に下り④、でその間に⑤、即位されなかったお子さんがいて⑤で、顕宗天皇で⑥と、私の数え方で言うと6世孫離れた方を後継者として呼んできたってことですね。
で今度、顕宗さんがお亡くなりになると、やっぱりお子さんがいなかったので、ご兄弟の24代(仁賢天皇)に継がれて、そして今度次、25代の武烈天皇に行ったと。しかしここでまた絶えちゃう。
ま、だから清寧天皇との関係で言うと、まず質問に対するお答えとしては、ここまで申し上げた上でで、多分その次もですよね、はい、で今度、武烈天皇・25代で絶えちゃったので、じゃあどうするんだと言うんで、今度ずっと遡るんですけども、今度はさっきの16代の仁徳天皇よりさらに上の15代の応神天皇まで遡って、でこうあの、当時の朝廷もですね、男子がどこかにいらっしゃらないかってことを調べた。で結局、あの応神天皇からの5世下のですねご世孫が、どうも北陸地方にご存命らしいと言って探し出されたのが、ヲホドという方なんですね。
でこれね、ちょっとここを申し上げると、歴史学者の皆さんにとっては微妙な部分であったり、僕も逆に勉強させてもらいたい話があって、臣籍降下の原則は5世離れると朝廷‥天皇家を離れて、臣下に下るというルールがあるんで、実はこのヲホドさんという方は、もう臣下に下ってたと考えることも可能なんですね。しかしこの方を説得して、あなたが継いでくれないと男系男子が途絶えるので、ぜひ都に入ってほしいと言って、あのこのヲホドさんはそれを頼まれた時には50代のはずなんですよ。
で結局、その願いを要請を受け入れて、26代継体と、まさしく体制を継承するというですね、継体天皇として即位されたと、これが、12月にその連載に書いた中にも図で出てますので、ご興味のある方は、多分「ファクタ」のホームページに行っても見れると思いますので、はい、いただければと思います。

倉山:ありがとうございます。つまり、男系継承絶対の中で、その時の直系が絶えると、遡ってまた別の直系に移っていくという歴史が、古代からあったと。

大塚:そうですね。

倉山:この5世孫で言うと、結局当時の数え方だと6世なのが、結局もうその本人は、1代短くする運用に後世したみたいですね。

大塚:なるほど、なるほど。

倉山:で、さらに中世に至っては、1世であっても皇位を継がない人は、即時出家っていう風に、より厳しく、直系を。

大塚:中世は、より、そうでした。だから、この私が整理させていただいた頃、およびそれ以前は、まあ何代か後までは、そのまさしく一族として抱えていたけども、だんだん人数が増えすぎちゃって、臣籍降下させないと秩序が保てないっていうことで、中世はより厳しくなっちゃったんですよね。

倉山:本当、大塚先生のおっしゃる通りでヲホドさんが王だったのか、それとも臣籍降下していたのかよくわからない、というのが本当のところ。

大塚:そうだと思います。

倉山:はい、では続けて進めていただいてよろしいでしょうか。どこまで話‥南北朝に。

大塚:今度はですね、ずっと南北朝に話を移しますとね、まあだから今申し上げました、10代から20代のその天皇家の系譜の継承の仕方、そのあの考え方を踏まえた上で、実は88代後嵯峨天皇以降の系図をまとめたものが、多分画面にも出していただいている、私が自分で作ったものを。やっぱりあの間違いがあっちゃいけないので、宮内庁にもチェックしてもらいましたので、これもう宮内庁確認済みでございます。
1か所、ぜひこう入れてほしいと言われたのがですね、106代と107代の間にお一人、皇位を継承しなかった直系がいらっしゃると。

倉山:誠仁親王(画面を見る)。

大塚:え〜これがその、図の中にあの白で入ってるわけですが、今ひょっとしたら画面にそれアップで映してくれてるかもしれませんが、これをですね、後ほどご説明するとして、その後嵯峨天皇以降の系図をなぜ私がまとめたかということも含めてですね、ちょっと先ほどのヲホドの話も踏まえながら、解説させていただきます。

倉山:お願いします。

大塚:はい、で、この後嵯峨天皇は、ご自身のお子さんたちを、一人はですね、これは鎌倉将軍に送り出してるわけですね。であと残ったお二人の男子に、それぞれ天皇を89代90代と継がせたんですが、そうするとそれぞれにお子さんたちができるので、どっちかに絞っちゃうとこれまた揉め事になるので、交互にそれぞれの系譜で継がせたと。そのことが後嵯峨天皇の後にですね、持明院党と大覚寺党にこう天皇家が分かれたことにつながるんですが。まあやがて、そのことなども背景にですね、南北朝の時代に入っていって、大覚寺党の方がこれが南朝、そして持明院党の方が北朝となるんですが。結局そうは言っても、まあいつまでも分裂してるわけにもいかないので、南北朝を統一しましょうということになり、北朝の第6代、まあ通算で言うと第100代の後小松天皇の後にですね、101代称光天皇、そしてここでまた絶えるんですが、ここではさっきのヲホドのルールで申し上げると、①②③④⑤⑥⑦⑧代、8世孫、離れてるんですが、後花園天皇に継承され、でこの天皇から、実は8代直系でですね、ずーっとこの、あの、図表を見ていただくと分かるんですが、あ〜‥‥、まあこの、お〜‥‥、

倉山:直系孫で、

大塚:直系孫で、

倉山:父から子へ。

大塚:で、実はここ8代続いたんですね。で、今の今上天皇陛下も、119代光格天皇から8世なので、私はかつてはですね、この今の今上天皇陛下の系譜もこの、皇統史

倉山:(息を吸い込み画面を見る。画面の字幕では“皇統譜”と修正されていた)

大塚:の中で、過去最長のその後花園天皇からの8世と同じ最長なんですと、いうふうに申し上げていたんですが。
さっき申し上げた通りこの系図を作る時に宮内庁から、この106代と107代の間にお一人入れてくださいという指摘があり、まあそれを踏まえて考えると 、ストレートな直系8世継承っていうのは、今の今上天皇陛下のこのご系譜が初であってですね、126代のこの我が国のいわば文化や歴史の根幹ともいえる、まあこの天皇制においても極めて稀有な状況に、今なっているということを、まあやっぱり国民の皆さんの中でこのファクトとしてね、共有をするということは、非常に大事なことじゃないかなと、個人的には。

倉山:本当におっしゃる通りで、もう絶対父から子へと継承しなければならないという、思い込んでいる人がいらっしゃって、結局まあ今の8代が最長で、仮に誠仁親王が急死しなければ10代続いたわけですけれども、常に父から子へなんて不可能なので、どこかであのいろんな知恵を常に出し合ってきたという。

大塚:そうですね、それが最も、まあなんていうか、大胆に行われたのがヲホドの継体天皇にね。まあでもあの時代によくね、その応神天皇まで遡って、その子孫がここにいるって言うんだから、何ですかね、あの、やっぱり当時もう朝廷というのはそれこそね、まあ今のようにパソコンはないですけども、なんかあの系図をね、筆でこう書いてちゃんとフォローしてたんでしょうね 。

倉山:結局あの話の真実性ってよく問う人いるんですけれども、結局古事記と日本書紀にほぼ同じようなことが書いてあって、その時代にはもうとっくに男系継承が確立されてもう掟になっていたということは確実に言えますヨネ。

大塚:えぇ、それと、結局もし、その継体天皇の話がまあ事実じゃないとするとですね、多分あの段階で日本の天皇制とか統治構造ってのは、劇的に変わって、もう天皇制崩壊してたと思いますね。

倉山:それこそ新王朝(字幕にはシンオーチョー)ができている。いや本当に継体天皇が王朝革命で、昔流行った王朝交代説ってそれ絶対ありえないのは、本当はそうだったら継体天皇って簒奪者として荒々しい人として描かれるはずなのに、ものすごく怯えきってますよね。

大塚:だからいきなり、都に入るとまずいことになるって言うんで、史書によって違いますけど、だいたい1年から2年かけてね、周囲を説得したり、時には敵対勢力を制圧したりして、整ってから都に入ったということですから。

倉山:ものすごい臆病というか。

大塚:と同時に、応神天皇から血が繋がっていらっしゃるんだと、いうこの錦の御旗があるから国がまとまった、そういうことです。

倉山:それは日本が日本である所以‥ですよね。

大塚:だと思います。

倉山:はい。あっ、それでは今日の主題の伏見宮家ですけが、その後花園天皇が伏見宮家を継いで5世孫だったと思いますけど。で、それで南北朝でどんどん人がいなくなって、皇族がどんどん減らしていったら皇位継承者がいなくなるんでということで永代宮家として残したと、いうのが始まりですよね。

大塚:はい。

倉山:だから5世孫を、どんどん厳しくしていってたのを、それをやると大変なんで永代宮家として伏見宮家がいて、いわゆる旧皇族の全ての源流デスネ。

大塚:そうですね、だから私の図を、今ひょっとしたら画面でクローズアップしてくれてるかもしれませんが、この南北朝のところで北朝の3代として崇光天皇がいらっしゃって、この天皇のお子さんから始まったのが伏見宮。で、これがこの右下に出てますが、江戸時代末期のですね伏見宮邦家さんにつながっていったと。でこれを、いま倉山さんおっしゃったように、残していたわけですよね、敢えて。

倉山:もう一つの皇室として。

大塚:それが、どういう意味を持つか。しかも、この、邦家さん‥が、あぁ‥、ですね、まああの非常に男子に恵まれた方であったと、いう、偶然というか、その幸運もあって、まあこのもう一つの皇室という風に、言う方もいらっしゃいますけれども、その‥おぉ‥、家系が、その太平洋戦争、のぉ‥、最後の局面まで、非常に、いぃ‥、繁栄していたとこういうことですね。

倉山:いわゆる11宮家。まあ最初っから旧皇族家が旧皇族だったわけではなくて、昔は伏見宮系統の方々とおっしゃっていましたね。そして明治天皇・昭和天皇と実は女系でつながっていて、あの女系で見ると、今の皇室とも東久邇家なんかは、非常に血が近いと。

大塚:そうなんですね、だから私は、あえてこの「ファクタ」のその系図もそうなんですけども、東久邇家をクローズアップしているのは、実はその、17代の盛厚さんは、昭和天皇の皇女、つまり上皇陛下のお姉さまを、奥様にしておられ、そしてその盛厚さんのお父さんまである稔彦さんは、何しろ皇室唯一の、内閣総理大臣。意外にねみんな知らないんですよ。その終戦直後の、あの厳しい2ヶ月を乗り切られた、その稔彦さんという東久邇家の方がいらっしゃって、でしかもその方は、明治天皇の皇女である聡子内親王を奥様にしておられるので、なんとこの東久邇宮稔彦さんと盛厚さん親子は、お父さんが明治天皇の皇女、そして息子が昭和天皇の皇女を娶られ、で、さらにその昭和天皇ご自身も、実はこの東久邇家稔彦さんの姪であるですね、良子、まあ後の香淳皇后ですが、娶られてるって言う、つまり東久邇家は、その伏見宮の中でも、現在の皇統と、その横でもつながってるっていう、この独特の系譜をご紹介するために、私はこの系譜を作らせていただいたと。

倉山:まあ国会でもご紹介された、東久邇家を紹介された方が、大塚先生でございます。

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(当時の国会の映像)
大塚:GHQの指示に基づいて11宮家と26人の皇族の方が皇籍離脱をしたという、これをこのままにしておいて、本当に戦後政治の総決算ができるというふうにお考えですかという質問をさせていただいております。

安倍:皇籍を離脱された方々は、もうすでに70年前の出来事で、70年以上前の出来事でございますから、今はいわば民間人としての生活を営んでおられるというふうに、承知をしているわけでございます。それを私自身がですね、またそのGHQの決定を覆すということは全く考えてはいない訳でございます。

大塚:宮内庁にお伺いします。成子内親王と東久邇稔彦様の系譜に、男子がずいぶんいらっしゃるということは認識として正しいでしょうか。

野村審議官:昭和22年にですね、皇籍離脱をされた方々の段階については承知をしておりますけれども、その子孫の方々につきましては、具体的には承知をしておりません。

大塚:それでは調べて一度回答してください。あの私の、存じ上げてる限りでも 、内親王と東久邇様の系譜に、もう3代に渡って男子が今もご健在であると、かなりの人数であるというふうに理解をしております。
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倉山:で、その、結局いざという時に皇室をお守りするためにいた、伏見宮系統の方々が、一斉にマッカーサーによって臣籍降下させられるわけですけど、実は日本国憲法ができてからも、東久邇‥‥、旧伏見宮系統の方々は、全員あの、皇族だったんですよ。

大塚:いや、おっしゃる通りです。その皇族のまま、皇位継承順位まで明記をされた形で、公の資料が残ってるわけですね。

倉山:内閣官房のホームページにもあると思いますので、ご覧になっていただいて。はい、ということなので、今、旧皇族の方々の、男系男子孫の皇籍取得をすることは、まあ元に戻す、一部元に戻すということですね。

大塚:そういうことですね。一部元に戻す。まあ11宮家全部を、戻そうと思っても、そもそも完全にもう絶えちゃったご家系もありますので、そのうちの一部‥を‥その、まあ私の、この、今回倉山さんに見ていただいてる、コレの連載のタイトルから言えばですね、『「天皇制・皇統系譜」は日本文化の神髄』という観点から、そのまあ、戦争という史実に影響されて、臣籍降下、皇籍離脱をされた皆様の一部を、この文化の真髄を継承するために 、皇統に戻っていただくということを、日本という国としては検討してはどうかという、私自身はそういう考えを持ってますけども。
まあ、それにしても、今こうやって聞いてくださったり、倉山さんがお話しいただいてるこの事実を、まず国民の皆さんが広く知るということがないと、ただ単に私はこれがいいとか私は これがいいとかっていう、単にそれは個人個人の嗜好の問題になっちゃってる、趣味嗜好の問題になっちゃって。でそういう次元でこの問題は扱っちゃいけないんですね。

倉山:そうですね。まあ今日はかなり端折りましたけれども、清寧天皇・継体天皇の古代、まあ南北朝から後花園天皇に至る中世、まあ光格天皇の事例もありつつも近代の‥、光格天皇から近代始まると言ってもいいぐらいですけどね、今日はあえて抜き出してお話しましたけれどず〜っと続いていて、その中で変わらない事実、例外なき原則とは何か。

大塚:そうですね。それと〜‥、もう時間、大丈夫ですか?

倉山:あぁ大丈夫ですよ。

大塚:結局‥、まあ、伏見の‥、宮家が、終戦直前もやっぱり、その宮家の中ではね、その邦家さんから11宮家ができたわけですから、そのうちの中心である伏見宮系がまた、その中でも独特の位置にあったということが一つと。
でその、まあいわば、あのそこから発展した東久邇家というのが、一つその、現在の皇統とすごく横のつながりが深いっていうことと。
この2つは知っておく、知っておいていただく必要があると思いますし、まあ伏見宮系はね、まあ多くの皆さんが多分お使いになった、ホテルニューオータニのあの敷地、は全部、伏見宮家の敷地で、まあそういうことも分かった上でニューオータニを訪問して いただくと、ちょっとまた違う考えも持っていただけると思うんですけどね。はい。

倉山:そうなんですよ。その旧皇族の方々の皇籍取得は、憲法14条が禁止した門地による差別だっていう意見もあるんですけど。

大塚:いや、これはね、その、皇統の系譜を、その、門地という言葉で語ること自体が、その、あまり意味のないことだと私は思います。だから、このタイトルに書いたように、我が国に、日本という国の根幹に関わる話で、その門地というのは広く平等に、その憲法のもとに存する国民の間で、門地の差別はあっちゃいけないって話ですから。天皇家はちょっとそういう問題ではないと思いますね。

倉山:だから、まあ旧皇族の方々は、ただの国民ではないという。

大塚:まあ「ただの国民ではない」というか、この辺の表現は難しいんですが。

倉山:ハイ。

大塚:あの~‥

倉山:何と言えばいいんですかね。

大塚:天皇家と、関係のある、特別な、お立場にあるので、‥まあいわば、‥‥なんて言ったらいいんですかね。特別の役割をね。担って‥いただくんですね!国民のほうが。

倉山:お願いしてやっていただく話ですから。

大塚:そう、あの、むしろ、大変なことだと思いますよ、もしそうなったら。

倉山:ハイ。

大塚:だから、担っていただく、日本という国家が好きだという、まあそういう人たちにとっては、この日本という国家を、過去からの歴史を継承した上で、さらに続けていくために、極めてご迷惑かもしれないけれども、大事な役割を、担っていただくということなんですよ。

倉山:まあ、こちらに、伏見宮家の旧当主の博明殿下のオーラルヒストリーがありますよ、こちらを読んでいただければ、まあそういう、担っていただく、その自ら皇族になりたいなんて人いるのかとかいうのが、いかに変な議論で あるかということが。ホントお願いしてなっていただく‥、話ですので、まあその、事実を踏まえておかないで、理屈だけ言っても仕方ないかなっていう気は、するんですけど。

大塚:まあ結局、今日は安全保障の話ではないんですけどね、日米同盟は大事で、私も日米同盟を基軸にした安全保障を考えてますけども、とは言ってもね、これは生前の安倍総理にね、国会で2度か3度聞いたことあるんですけども、自国の利益を犠牲にして、他国の利益を守る国はないという、これがもう国際社会の常識なので、で安倍さんに、同盟国アメリカも、この国際社会の常識つまり自国の利益を犠牲にして他国の利益は守らないという国と考えるのか、アメリカだけはその危篤な国でね、自国つまりアメリカの利益を犠牲にしても、日本の利益を守ってくれる国だと思いますか、どっちですかってお伺いしたら、結局お答えになれないわけですよね、もう答えははっきりしてるんですが、それははっきり言っちゃおしまいなので。
ということは、やっぱり、国家の安全保障っていうのは、自分の国は自分で守るということを前提に、いろんなことを考えなくちゃいけないその時に、我が国にとって、その他国に対していろんなことを主張する上でも、立場を明確にする意味でも、日本の歴史というものをきちっと主張できる、この体制を維持しておかないと、冒頭申し上げました、総合的安全保障の観点から 、極めて‥え〜‥その懸念される、事態なので。
だから私は史実をね、できるだけ皆さんにご理解いただきたいというふうに 。まああの、浅学非才の身で恐縮ですが、こういう内容を書かせていただいてるんです。

倉山:ハイ。あのホントにもう、とにかく男系女系で揉める前に、事実を知っていただいて、この一貫して続いてきた歴史を、守りたいか変えたいかということを考えていただければと思います。

大塚:おっしゃる通りです。

倉山:今日はホントに大塚先生、どうもありがとうございました。

大塚:ありがとうございました。

倉山:またお邪魔いたしますんで、宜しくお願い致します。

6 件のコメント

    チコリ

    2023年3月2日

    ホテルニューオータニがなんだって?
    旧宮家詐欺にあっさりやられるタイプ、もう既にやられてる。
    男系固執論者に転向した理由は?
    「まああの、浅学非才の身で恐縮ですが」って、
    自分の事よくわかってるじゃないですか!

    ゴロン

    2023年3月1日

    国民民主党のウェブサイトの問い合わせフォームで、玉木代表宛てに意見を送ってみました。1000字縛りでだいぶ圧縮しました。
    ・・・・
    先日、大塚耕平議員が、倉山満氏のYouTubeチャンネルにおいて、旧皇族の方々の皇籍取得は、憲法14条が禁止した門地による差別に当たるかということについて、「皇統の系譜を、その、門地という言葉で語ること自体が、その、あまり意味のないことだと私は思います。だから、このタイトルに書いたように、我が国に、日本という国の根幹に関わる話で、その門地というのは広く平等に、その憲法のもとに存する国民の間で、門地の差別はあっちゃいけないって話ですから。天皇家はちょっとそういう問題ではないと思いますね。」と発言しています。しかしながら、旧宮家の子孫は生まれ落ちたときから基本的人権を100%有する国民です。憲法14条の「門地」は、華族、公卿、諸侯などの子孫といったような封建的、特権的な身分を意味するのです。まさに、旧宮家の子孫のことを言っているのだから「旧宮家の男系男子」は特別な存在な訳がないのです。したがって、「旧宮家の男系男子の皇籍取得」は憲法第14条の「門地による差別」にあたり、間違いなく憲法違反です。そもそも天皇には姓がないのだから、「天皇家」なんてものはありません。「天皇家」は戦後、左翼が天皇を貶めるために流布した出鱈目な名称です。「皇室」という名称で良いのです。大塚議員は、そんなことも知らないで、皇位の歴史を語っているのです。そして、大塚議員は旧皇族の方々について、「天皇家と、関係のある、特別な、お立場にあるので、‥まあいわば、‥‥なんて言ったらいいんですかね。特別の役割をね。担って‥いただくんですね!国民のほうが。」などと耳を疑う持論を述べています。これは「とある国民の基本的人権を、他の国民が圧力をかけて捨ててくれとお願いしろ」と言っているのですよ。有権者が視聴しているのです。気は確かですか?これが国民民主党の総意なのですか?
    これから安定的な皇位継承について、国会でオープンな議論が始まれば、「旧宮家の男系男子の皇籍取得」が憲法違反であることが間違いなく明らかにされます。側室がない現在、女系継承を公認しない限り、安定的な皇位継承は実現できないことは明らかであり、多くの国民がそのことを理解されていることは、世論調査から明らかになっています。国会議員は国民の代表ですから国民の意見を反映させなくてどうするのですか?是非とも現実的に考えて、国会の議論に参加してください。

    じーま

    2023年2月28日

    国民民主党の大塚代表代行はまだ「旧宮家の皇籍復帰」を諦めてないようで、呆れました。
    安倍首相(当時)の答弁が全てのような気がしますが、政府に調べろ調べろ言う前に自分で皇室に入る意思のある旧宮家の男子を探せばいいものをと思います。

    あと、念のため国民民主党のHPを見ましたが、党の綱領に「私たちは、立憲主義と国民主権・基本的人権・平和主義を断固として守り、国民と共に未来志向の憲法を構想します。」(https://new-kokumin.jp/about/declaration)とありました。「立憲主義」を断固として守るのであれば、憲法14条違反である「皇籍復帰」と矛盾するのではないでしょうか。大塚氏の言い方では例外にしたいようですが、そんなあやふやなやり方でいいのでしょうか。そもそも男系に固執することは未来志向なんでしょうか?愛子天皇こそが本物の未来志向だと思うのですが。

    れいにゃん

    2023年2月28日

    国民民主党代表代行の大塚耕平
    この動画を見る限り、泥船に乗ったことには気づいていますね。だから、ホテルニューオータニとかトリビアにもならない事を口走っているのでは?
    ところで、サムネイルにある「学校教育で教えない皇統系譜」ですけど、まさか義務教育でつまらん暗記でもさせたいのですかね?神話を介して天照大神と皇室が繋がっている事さえ知ればいいと思います。そして、詳しく調べれば、受け継がれている伝統に女性天皇が果たした役割は大きいと、明確になるだけですけどね。

    ダダ

    2023年2月28日

    ただしさん、文字起こしありがとうございました

    国民民主党・大塚議員が男系固執派に転向していて失望しました。
    2016年9月30日の 朝まで生テレビ での発言要旨は以下の通りです。
    https://jpnews-video.com/onebyone/2016/160930/7/

    1h19min頃
    天皇制を継続するためには、天皇・皇族にある程度の自由度を認めた方が良い。

    1h40min頃
    側室が認められる時代ではない。女性・女系天皇を認めて天皇家を継承していく方が合理的。

    1h44min頃
    イギリスやデンマークは男子優先から長子優先に制度が変わっている。

    1h47min頃
    継体天皇は10親等離れていた。
    旧宮家は約600年前の伏見宮から別れている。
    35~37親等離れている。無理がある。

    ・・・なのに今回の動画では伏見宮と東久邇宮を激推しΣ(・□・;)
    自分の口で無理があるって言ってたのにΣ(・□・;)
    愛子さまを完全スルーΣ(・□・;)
    常識を捨てて男系の沼に沈むとはΣ(・ω・ノ)ノ!

    それと憲法第14条の門地差別禁止の理解度が気になりました。
    「皇統の系譜を門地という言葉で語ること自体が、あまり意味のないことだと私は思います。」
    「門地というのは広く平等に、その憲法のもとに存する国民の間で、門地の差別はあっちゃいけないって話ですから。天皇家はちょっとそういう問題ではないと思いますね。」
    「(旧皇族の方々は)天皇家と関係のある特別なお立場にある」

    その特別なお立場にあるのは、天皇と皇族。
    君臣の別という言葉ぐらいは覚えてくださいね。

    突撃一番

    2023年2月27日

    そりゃ、国民民主は「ダンケー派」だから、倉山とはウマが合うでしょうね。

    ちなみに去年の参院選で、私が演説中の選挙カーに詰め寄って、直接「女系天皇やって!」とお願いした国民民主党の候補者は完全に男系派で、「旧皇族の復活を検討しています。」と明快にホザいてました!

    だから「旧皇族」じゃねーって言ってんだろ!! 国民民主やっぱダメだわ!
    と思いました。

    ・・・今回ちょっと、反論まとめる時間なかったんで、雑談だけで失礼します!

    1点だけ指摘すると、武烈天皇亡き後、大伴金村らがわざわざ越前国まで赴いて、オオドノミコト(継体天皇)に即位を願い出たのは、冊封体制の影響がまだ根強かった時代の、「シナ男系主義」的発想なのですよ。

    なんか前にも似たような論破した気がするけど。

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