伝統と因習の間~漢方医術の帰趨から

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 漢方医術の復興に人生を捧げた竹山晋一郎の絶筆論文「伝統を受け継ぐということ」には次のような言葉があります。「ある民族が残した伝統を受け継ぐということは、その本質を理解し、それを現代的に生かして次代へ伝えることだ」ですが、これには美智子様の伝統観に通じるものがあると感じます。

 「伝統があるために、国や社会や家が、どれだけ力強く、豊かになれているかということに気付かされることがあります」「一方で型のみで残った伝統が、社会の進展を阻んだり、伝統という名の下で、古い慣習が人々を苦しめていることもあり、この言葉が安易に使われることは好ましく思いません」

 共通しているのは、伝統と因習とを峻別して良いものだけ次代に伝えようという意思です。

 さて、かつて脚気は「江戸患い」と呼ばれ、江戸期の貴人は「脚気衝心」で亡くなることも多く、脚気は結核と並ぶ国民病でした。明治11年、政府は神田に脚気病院を設置して漢洋の医師2名ずつに治療成績を競わせ、これは「漢洋脚気相撲」と呼ばれました。今でこそ脚気はビタミンB1不足が原因(米糠を削ぎ落した白米を食べる江戸で流行ったのは当然)と知られ、原因菌を探すばかりの洋方医より経験医学の漢方医が圧倒的に有利でしたが、おそらく政府の意向で結果は有耶無耶になりました。

 明治17年に政府は、個人的医学(漢方は個人的全科医)と社会的医学(公衆衛生や軍陣医学を担えるのは洋方)の差ゆえ西洋医学を正当医療と定めたため、脚気相撲での洋方の敗北は認められなかったのです。竹山は「政治に期待するな」「漢方医は大衆(※庶民の意)の中へ入って支持を得よ」と訴えました。この辺りの、庶民の常識に訴えるべき点は愛子天皇派の我々と重なります。

 ところで、漢方医術の一つ鍼灸医術は庶民の中で生きていました。江戸期の鍼医が漢方医より庶民に近かったことや盲人の医術と見られたために政府が手心を加えたことも幸いしました。上記した竹山晋一郎の盟友に柳谷素霊という鍼灸家が居り、彼は後輩に向けて「古典に還れ」と号令を発しました。GHQ占領期にマッカーサーは鍼灸禁止命令を出しましたが、現代的に生かした伝統鍼灸術は庶民の支持を得て今も命脈を保っています。     

文責:京都のS

参考文献
「漢方医術復興の理論」竹山晋一郎
「昭和鍼灸の歳月」上地栄

7 件のコメント

    京都のS

    2023年3月8日

     投稿時のコチラのミスなのに対応していただき有難うございました。お手数をおかけしました。

    ふぇい

    2023年3月7日

    京都のSさま

    上地栄

    訂正しました(^^)

    Dr.U うさぎ

    2023年3月7日

    はい、おっしゃる通りです。
    「低い」エモーションとは、量的にではなく質的に低いという意味です。倉山くんも、エモーション自体は、どろどろとした濁り気味なのを大量に抱えているような気がします。ロジックも、小賢しい技をたくさん駆使します。おつむはいいのでしょう。
     しかし、簡単に言えば、男系固執派は「志」が低いので、そこに出てくる言葉は迫力のない、退屈なものばかりです。

    京都のS

    2023年3月7日

     (参考文献)に間違いがありました。確認したら『昭和鍼灸の歳月』の著者は上地栄でした。作中の中心人物が柳谷素霊と竹山晋一郎でした。失敗です…。
     ちなみに柳谷素霊が設立した「日本高等鍼灸学院」の顧問(筆頭)には黒龍会代表の頭山満が就任しています。

    京都のS

    2023年3月7日

     うさぎ様、※ありがとうございました。「高きエモーション」「高きロジック」という単語は判りにくいですが、真善美へ向かおうとする意志的な感情と、それに筋道を通すような論理だと解釈しました。
     男系派は「エモーションが低いので、ロジックも低い」の一文に受けました。西部師匠は「モラル(道徳)が低下すればモラール(士気)も低下する」とイラク戦争当時に語りましたが、それと似ていますね(笑)。

    Dr.U うさぎ

    2023年3月7日

    🐇
     伝統と因習を峻別するのは民衆の経験知であること。
     エモーションを原動力にする知は、ときに、そのエモーションによって物事を本質を見失ってしまうことがある。
     そこで大切になってくるのがロジックである。
     エモーションを原動力とし、ロジックを羅針盤とする民衆の知が、この国を因習から解放する。

     …もっと言えば、高きエモーション、高きロジックというのがありそうです。高きエモーション、男系固執派の人たちの言葉からは、ちーっとも感じられない。高きエモーションが、高きロジックを生み出す。倉山くんとかは、エモーションが低いので、ロジックも低い。
     反対に、美智子様の「(伝統という)言葉が安易に使われることは好ましく思いません」というお言葉は、いま改めて読み返すと、その峻烈さに身が引き締まるような思いがします。
     

    京都のS

    2023年3月7日

     「エモーショナルな熱量をロジカルに伝えよう」( https://aiko-sama.com/archives/11529 )を書いていた時に興味を持ったわけです。

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