平安時代以降天皇は自分の息子や孫達を次々と姓を与え臣籍降下していきました。
いわゆる源氏や平氏はその時に新たな姓として発生しました。
平将門もそのうちの一人です。何故平将門は天皇になれなかったのでしょうか?
様々な理由はあると思いますが、やはり桓武天皇から5世も離れていた、というのが最も重要な要因であると思います。
当時の人々はそう考えたため、多くの人々が将門討伐に参加して、結局平将門の乱は平定されます。
平将門は稀代の英雄でもありますが、結局天皇にはなれませんでした。
当時将門のような『天皇の子孫』という人は、ごまんと居ました。
しかし一度臣籍降下した人物を、人々は天皇の資格者とは認めなかったのです。
その様な臣籍降下した人々の子孫は、令和の現在にもたくさん居ます。
もしそんな人々が、我こそは天皇に相応しいと名乗りを上げても、現代人は全く相手にしないでしょう。
しかしながら、男系男子継承を重視する人達は、男という理由だけで平将門の様な人を連れてきて、次期天皇にしたいと目論んでいます。
男系男子継承か?双系継承か?
将門か?愛子さまか?
答えは自ずと導かれると思います。
文責 兵庫県 やん
4 件のコメント
希蝶
2020年7月3日
私は将門というと、かなり前に放映した加藤剛主演の大河ドラマの印象が強いのですが、ある意味、地方政治の混沌を解決しようとした英雄であり、偉人だった、と思っています。
しかし、そんな彼でも関東独立国の夢を達成することはできなかった、新皇と名乗っても天皇にはなれなかったのだから、皇位とは誰もが僭称できるようでいて、とても遠いところに区別されて存在するのだろうと思います。
愛子内親王は明らかに直系皇族であり、ただ現在の皇室典範で認められていないだけで、こちらは法律を変更することによって、事態をかえられるものなのだと思います。何とかその方向に向かって、動きがあって欲しいです。
岡野洋平
2020年6月29日
これは素晴らしいサイトです!
ブックマークしておきました。更新楽しみにしておきます^^
花谷香史郎
2020年6月29日
当時、朝廷には皇子がいらっしゃいましたし、五世子孫、臣籍、皇族の妻もいない、では皇子を差し置いて即位というのは無理がありますね。
将門はいわゆる「朝敵」ではありますが、自分を頼ってきた人の為に命を懸けるという英雄的な面もあります。日本史の中でも非常に珍しいタイプの人物ですね。
よぴこ
2020年6月29日
良いこと言うね❗