「愛子天皇論」第9回の感想です
「愛子天皇論」の連載も9回目「『易姓革命という戯言』後編」でいよいよ諸外国の王室や支那王朝と比較しつつ、皇室について論じ始めたと思います。
次回からは「固執亭」の方々が直接参戦するのかそれとも、子作りに勤しんでいた千葉麗子が参戦するのか相も変わらず予想が全くつきません。
それと同時に易姓革命を含む支那の姓はもちろん、欧州の王室についてもうまく説明しきれないところが所々いぜんからあって日本の皇室との違いを説明する時にも相手に上手く伝えきれなかったこともあり、本章で英王室の王位継承や支那の王朝交代を取り上げてくれたことにより整理し直すことができました。
「天皇論」シリーズをすべて読んでいたにも拘らず予想以上に頭の中を整理する必要があることに連載を読んで驚いています。
脳が「液性革命」を起こしている事は良い兆候だと思います。
それまでの脳内が恐らくありもしない「男系」でガチガチに固まっていたのでしょうし、本人達もそのガチガチに固まっていた脳をこれまでで最高にできの良い脳であると自惚れていたのでしょうから溶け出す脳を直に感じる刺激に悶えている様子も含めて急激な時代の変化を味わいという意味で貴重かつこの上ない幸福な出来事であると思って読みました。
柔軟な脳は容易に壊れもしなければ溶けもしませんが固い脳は溶け出した脳と表裏一体で溶けやすく固まりやすいものなのです。
思考に柔軟性が必要とされますがこの柔軟性を維持するには絶え間ない経験と難解な読書などで頭を動かしつつ知識の出入による知恵の養いが必須ですがこの維持管理を怠るとたちまち溶け出すか、石のように固まってしまうわけです。
故にこの維持管理を日常生活の中で送る事は怠りになりがち、結果として「固執亭」の方々や男野系子ら男系派女性3人衆はあっさりと「男系固執主義」に陥ってしまうわけです。
最初は根拠の怪しいものであろうといちど「主義」に凝り固まってしまうと怪しさにどんどん尾ひれがついて自分たちの脳内ではもう収集がつかなくなってしまうわけです。
要するに仕入れた情報に対して自問自答をして疑い続けることを怠り思考停止になってしまうわけです。
戦後の混乱期であるなにもない焼け野原から復興するまでは大戦を生き延びた人々が中枢を占めていたこともあり、時代の厳しさとも相まって性格も良い意味でも悪い意味でも個性的で思考力も現代の人々と比べ物にならないくらいに豊かではありましたが戦争を生き延びた人々が現役からほぼ退いた現在においては忖度するべき対象である人々もいなくなり、再び思考、思索をしなければならない時代が到来する事になりました。
男系派女性3人衆の脳内に限らずほぼ全員が愛子様の天皇即位による女性天皇の再来と同じく時代の変動に様々な形で直面する事になり、人によっては幾度も「液性革命」を体験する事になるでしょう。
肝心なのは本章のように「液性革命」を見て、体験して楽しめるか否かです。
今回の「液性革命」はトッキー、みなぼんの活躍もあって最高に笑えました。
自分たちに降りかかるであろう「液性革命」もこのように笑い転げて楽しむためにも「愛子天皇論」はますます目の話せぬ極めて重要な存在だと今回の章を読んで思いました。次回も楽しみにしております!