明治天皇が全国民に伝えたこと

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明治天皇が国民に向けてお気持ちを述べた「御宸翰(ごしんかん)」があります。

明治元年3月14日に「五箇条の御誓文」と「御宸翰(ごしんかん)」を公布されました。

その中で、
「様々な憶測を交えて噂話し、人伝に伝わる内に話が誇張され曲解され」

これには今の皇室バッシングやデマ記事、今でも通じるものがあります。

皇室に対して、勝手な憶測と噂話、話が誇張されることはやめないといけないです。

そして、最後には「朕の職責を助けて」

このお言葉から「私を助けて」とお伝えされてると受け取りました。

このお言葉から、全国民は天皇を助ける、一丸となりお守りすることだと新ためて思いました。

天皇に人々は崇め奉れと「朕の職責を崇拝して」とは言っていません。

そして、男系固執派は男系の血のみ崇拝する事は間違っています。
男系継承のみが伝統ではありません。


明治天皇の「御宸翰」をご存知の方もいらっしゃるかも知れません。
今後に何か参考になれば幸いです。


以下、「御宸翰」の現代語訳

『朕は、歳が幼にも関わらず思いがけず皇位を継承しましたが、それ以来、世界の国々とどの様に向き合って行べきかを日々思い悩んできました。
私見を述べると、天皇親政でなくなった中世からは、武家が政権を専有し、表向きは朝廷を推尊していましたが、実質はこれを政権から遠ざけて、国民の父母としての役割を出来ず、赤子たる国民の情に接することが殆ど出来ないまま、遂に国民の君主である天皇の位も、ただ、名前ばかりに成り果ててしまいました。
そのせいで現在では、朝廷の権威は昔より増しましたが、天皇への親近感は著しく衰え、一般国民と天皇の気持ちは天と地の距離ほど離れてしまいました。
このような状況でどうやって朕は日本を統治出来るでしょうか。
しかし今やっと、朝政一新の時が到来しました。日本国民の中で一人でもその事を不満に思う人がいれば、それは総て、朕の罪です。
これからの事は、朕も自ら身骨を痛め、心志を苦しめ、艱難の先頭に立って、古来から続く皇祖の努力の足跡を辿って、治政に励んでこそ、始めて天から授かった皇位にある国民の君主である「天皇」という名に背かないと言えるでしょう。
昔、天皇親政の時代には、不忠の臣があれば自ら兵を率いて、これを征伐されました。

昔の朝廷による政治は、制度が複雑ではなかったので、その分、君臣は相親み上下相愛し、德澤は天下に行き渡り、国威は海外に輝きました。
けれども近代は世界の文明が大いに発展し、日本を取り巻く国々も覇を競う時代となり、その中でわが日本のみが鎖国し、旧来の因習に固執し、維新の成果を理解せず、朕自身も、ただ宮中に安穏として、日々楽な生活だけをして、永年積み重なった世の矛盾に対して意に解さない時は、遂に各国から凌侮(あなどり)を受け侵略されるでしょう。
そうなっては上は皇祖皇宗の努力を踏み躙り、下は国民を苦めてしまうことことでしょう。それを最も恐れています。
それ故に朕は、今ここに百官諸侯たちの前で国民に誓います。
皇祖皇宗の御偉業を継承して守り、一身の艱難辛苦を厭わず、自ら日本を統治し、国民一同を安撫し、遂には万里の波涛を開拓し、国威を世界に宣布し、日本を天下泰平で磐石な国家とするため、国民一同も旧来の陋習のまま、朝廷尊重のみで、一人一人が神州(日本)の危急を理解せず、朕の挙動に驚き、その行動に様々な憶測を交えて噂話し、人伝に伝わる内に話が誇張され曲解され、朕の志から遠く離れてしまったのでは、そもそも朕が君主たる指導力が足らないのであり、またそうなれば、皇祖皇宗から伝へられてきた日本も滅亡するでしょう。

国民一同、よくよく朕の志を躰認(たいにん)し、皆で相談して私見を改め、公共の正義を採用し、朕の職責を助けて神州(日本)を保全し皇祖皇宗の神々を安心させる事が出来たら生涯の幸せとなるでしょう。』
WebKit辞書より抜粋


長文失礼しました。

文責 岡山県 しろくま

2 件のコメント

    しろくま

    2023年3月18日

    サイトに掲載ありがとうございました。
    長い文章だったので一部省略にしようかと思いましたが、とても重要なので全文掲載しました。
    何度も読み直しましたが、京都のSさんの仰る通り、今に通じてる事がわかります。
    皇室の長い歴史を背負うこと、世界と日本と国民との関係をどうしていくか、お一人で背負われてるその苦悩の大きさが想像を超えていて、胸に込み上げてくるものがありました。
    受け継いでいるものが何なのか、魂、エートスだとここで改めて理解しました。そして天皇を、そして皇室をお守りしないといけないとそう決意しました。

    京都のS

    2023年3月17日

     「御宸翰」を知りませんでした。この内容は、今上陛下が座右に置かれる『誡太子書』に通じるものがあり、また上皇陛下が熱心に取り組まれたご公務のことを指すようでもあり、さらには戦後の各地を巡幸して国民と交流された昭和天皇の姿勢に通じてもいます。つまり、近代天皇のエートスの源泉かもしれません。
     しろくま様、良いものを紹介してくださいました。

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