愛子天皇論第10回感想:18.「○○受け」「伝統」を見直すよいきっかけに(magomeさん)

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今回は冒頭から結構自分の実体験に当てはまるところがあり、そのために感想を纏めるのにいつもより時間がかかってしまいました。連載が進むにつれてどんどん奥深くかつ面白おかしく腹の底から笑える話が増えていくこの上限無き山場への道はそんじょそこらの長編物語など足元にも及ばない大文学となるのではないでしょうか?

今回、一番響いた台詞は 「このスタンスの方が男が評価してくれる」 「夫から馬鹿にされる」 「『伝統』という言葉に弱い」 「『伝統とは何か』と聞かれたら、答えられない人が多い」 でした。 冒頭では男野系子を取り巻く女性陣が「男受け」「伝統」について語り合っていましたが、皇位継承問題を含む社会問題に限らず、「○○受け」「伝統」は職場や家庭、自治体など自分たちの日常生活にも結構見られるものでこれは物心ついたころから知らず知らずのうちに刷り込まれていたりするので自分の生い立ちや周囲を見直す良いきっかけになりました。

たとえ自分が関心を持っている言論や社会問題、文学や芸術、サブカルチャー等があったとしても職場では「上司受け、顧客受け」、家庭では「親受け、子供受け、嫁受け、旦那受け」に振り回されてお忍びという形になり、最後は断念するに至り、完全放棄という形で忘れ去られて終わってしまいます。

また、学校や家庭、自治体、職場でも「伝統」の名をもとに「朝礼」「会議」「会合」「儀式」など休日を含む貴重な自分の時間が潰されてしまう実質強制参加の活動が意外と多く存在していたりします。「自由参加」は名ばかりで不参加をしようにも周囲を説得できる理由がなければ完全な「村八分」となるわけです。

もちろん、本当の意味での伝統行事は存在しますし、共同体として心身ともに習慣化し、自治体や企業の運営、家庭の安泰に貢献している場合もありますが、参加者に苦痛を与えてしまい結果として生産性、効率の低下を招き、衰退の原因になっている場合も少なくありません。学校や職場などで、いつだれが決めてどのように実施しているのかわからない、因習ですらない謎ルールが「伝統」という名で継続し、これが男女差別を含む差別や生産性の低下に繋がっていたりします。

因習とは過去にあった負の習慣という意味合いが強く、正確には「謎ルール」と言えるのではと思うときがあるのですが、因習の方が一般的にわかりやすいし、言葉に深みが出るのでこの表現は大切だなと思います。なぜなら、自分たちが今行っている「伝統」「習慣」も将来的には「因習」とされてしまうのではないのかと思えてならない時が度々あるからなのです。

本章後半では男野系子が有識者会議の報告書を錦の御旗に出してきましたが、これはツイッターで皇統男系固執者が出してきた常套手段ですね。さすがのよしりんも困り果てていましたが、事実、私も困り果ててしまいました。皇統男系固執者は有識者会議の報告書はおろか、ほぼ、例外なくツイッターで繰り返し同じセリフを連投する人が圧倒的に多く、話し合いなんて基本できません。

今回の有識者会議の報告書は政府によって作成されたものですから政府という国家権力が行うことを妄信する危険性を証明するために河野談話、村山談話の例を出しつつ、安倍晋三の旧宮家復帰案の断念、そして現行における皇室の降嫁と少子高齢化による機能不全によって10年内に消滅状態となるという事を繰り返しツイートで述べ続けることによって黙らせることとしましたが、果たして直系よしりんは男野系子相手にどうやって対応するのか次回まで待ちきれません。

男野系子ら女性陣は直系よしりんに負けてばかりいることを気にしていますが、議論に勝ち負けは本来なく、自分の思想信条をお互い高めるための機会に過ぎないはずなんですが、男野系子をはじめ、なぜに多くの方々は何でも勝ち負けで見る「謎ルール」に拘るんでしょうね?この場合の勝ち負けは単なる内心の満足感たる自慰行為と何ら変わらないはずなんですが。

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