〈第1章〉と〈第3章〉の間~1946年憲法の拘束とは何か(表)

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 江藤淳が著した『一九四六年憲法―その拘束』を読まれた方はおられるでしょうか?同著は大日本帝国憲法の改正という手続きを踏んで1946年(GHQ占領下)に成立した日本国憲法について論じています。本稿は日本国憲法の第1章(天皇)と第3章(国民の権利と義務)との壁が主題ですが、その前に江藤前掲書が大きく扱う第2章(戦争放棄)に触れておきます。

 まずGHQ(連合国軍総司令部)のCCD(民間検閲支隊)による事前検閲では、GHQが憲法を起草した事実や検閲の存在そのもの、SCAP(連合国軍最高司令官:マッカーサー)批判、戦勝国(米英中ソ…)批判などが徹底的に摘発され、そうして新憲法は日本国民が自ら望んだものと思い込まされました。

 次に、いわゆる「米定憲法」においてGHQが最も重視したのは第2章(戦争放棄)であり、その唯一の条文である第9条は3つに分割でき、それは第1項:戦争放棄、第2項の1:戦力不保持、第2項の2:交戦権否認です。2項の1については自衛隊成立を以て違憲のまま戦力保持(主に米国製兵器の売却先)に至り、1項についても解釈改憲により自衛隊が戦場に立つ事態(米国側陣営の頭数)が現出していますが、交戦権だけは(認めたら米国とも戦えるので)今に至るまで認められていません。交戦権の無い暴力装置では軍法会議を設置できず、従って戦場における自衛官の罪は刑法で裁かれ、自衛官が投降した場合も敵国軍からゲリラやテロリストとして扱われます。つまり、日本国政府の米定憲法への振る舞い(護憲or解釈改憲)は米国政府の胸一つだと言えます。また江藤は前掲書で「日本国憲法は日米間の条約として機能する」と喝破し、ゆえに日米間で新たな条約が交わされれば約定が上書きされ、それに合わせて米国が望む方向の解釈変更と状況適応的改革(自衛隊法・PKO法・安保法…)が右側から繰り返されるわけです。そして、それに呼応するように米国が望む方向の護憲(交戦権否認だけは死守)も左側から強化されてきました。つまり1946年憲法の拘束としての戦後レジームの正体は、9条2項の2(交戦権否認)とCCD由来の自主検閲を堅持する
マスコミ、そして戦勝国出羽守な右や左の自虐世間だと思われます。

 本稿は、米国が重視した第2章(戦争放棄)を間に置く第1章(天皇)と第3章(国民)へ話を広げる予定ですが、今回は紙幅が尽きたようです。(裏に続く)  

文責:京都のS

3 件のコメント

    京都のS

    2023年5月2日

    京都のS

    2023年4月4日

     突撃様、この危ない論考にコメをくださり、ありがとうございます。文中に強調の太字が1ヶ所も無いのは、きっと内容が危なすぎるからです。
     (裏)では、やっと天皇(1章)と国民(3章)に踏み込みます。5日の水曜日に掲載とのことです。お待ちいただければ幸いです。

    突撃一番

    2023年4月4日

    「戦争の最終目的は、相手国の憲法を書き替えること」
    (ウクライナ戦争論2より)

    日本国憲法こそ、あからさまな悪例ですね。米国からポンコツ兵器を買わさている実情は、今の自衛隊も同じです。米国供与のGPSコードを本国に止められたら、ミサイル使えないもん。海自・空自であれば、そのようなブラックボックスは尚更多い事でしょう。
    「絶対にアメリカに逆らえない、アメリカにとって都合のいい軍隊」に成り下がっています!

    砂川判決で最高裁が違憲立法審査権を放棄した時点で、京都のSさんご指摘のとおり、「条約が上書きされた」と言っていいのかもしれません。

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