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左翼メディアが世を席巻した1960年代に右派のための月刊誌「論争ジャーナル」(1967~69)は貴重でした。三島由紀夫の他に林房雄、石原慎太郎、福田恒存といった錚々たる論客が同誌に原稿を寄せており、ここから多くの青年が新右翼活動家として巣立ち、「盾の会」誕生の切っ掛けにもなったそうです。そして同誌の中心思想は平泉澄の皇国史観でした。
ところで前章にて三島の「七生報国」は唯識論に立脚するという小室直樹の見解を紹介しましたが、この唯識論はアナーキーかつ革命的で、また三島作品の幾つかが天皇批判を含んでいたため、皇国史観の平泉や「論争ジャーナル」とは思想的にズレが生じ、「『英霊の聲』は怨霊の声」「『憂国』はエログロ」との批判も右側から上がりました。三島と「盾の会」の決起を前に書かれた血判状には当初10名が名を連ねていましたが、その中から三島は同誌編集部に近い5名を除名しました。しかし、それでも三島は「憲法改正草案」に「皇位継承は男系に限らない」と書き、平泉の直弟子である故田中卓氏は女系公認の立場を貫きました。つまり皇統の(女系を含む)双系継承は常識的な右派や尊皇派にとって自明だったと判ります。
ところで、本稿の基本テキスト『遺魂』(鈴木邦男)では、「盾の会」創設に当たって何処からかの資金提供(3000万円)が頓挫したから、三島は元暴力団員で作家の安部譲二氏をモデルとする『複雑な彼』を本人取材も少ない中で書いて印税(2500万円)を得たと明かしています。また『遺魂』は新右翼の群像劇だから当然ですが、児玉与志夫や笹川良一といった旧型の大物右翼は全く出てきません。よく知られるように彼ら「昭和の妖怪」たちは統一協会=勝共連合とは反共で繋がり、同協会の自民党へのステルス侵略(軍事力を使わずに相手国を操る)を許したのは岸信介です。
ここから考えられるのは、三島に資金提供を申し出たのは統一協会からの潤沢なカネを持つ旧右翼で、それは教義(皇統の男系主義を含む)への転向が条件だったかもしれません。東大全共闘との討論会で三島が新左翼の学生に向けて「諸君はともかく日本の権力構造、体制の目の中に不安を見たいに違いない、私も実は見たい、別の方向から見たい」と語りましたが、反共を言い訳にして売国に勤しむ体制側への三島の深い絶望も決起の動機だったのでは?と私は感じたのです。 (了)
文責 京都のS
~三島と新旧右翼の関連年表~
1925年 三島由紀夫誕生
1936年 226事件発生
1941年 大東亜戦争勃発
1945年 敗戦
1946年 「人間宣言」発布、「日本国憲法」公布
1950年 朝鮮戦争勃発
1951年 日米安保条約締結
1953年 朝鮮戦争休戦
1956年 日ソ国交回復、日本の国連加盟
1960年 三島『憂国』発表、六十年安保闘争、浅沼稲次郎暗殺
1965年 三島『豊饒の海』の『春の雪』連載開始
1966年 三島『英霊の聲』発表、映画「憂国」公開、『複雑な彼』連載開始
1967年 三島が自衛隊体験入隊、文鮮明が来日し児玉与志夫・笹川良一らと顔を合わす
1968年 三島「盾の会」結成、東大・日大闘争、文鮮明「国際勝共連合」設立(日本側の発起人は岸信介)
1969年 三島『文化防衛論』発表、東大全共闘主催の討論会に出席
1970年 陸自市谷駐屯地にて三島と森田が割腹自決(三島事件)
1973年 統一教会本部で岸信介が講演
(参考文献)
・『遺魂~三島由紀夫と野村秋介の軌跡』(鈴木邦男著)
・『三島由紀夫が復活する』(小室直樹著)
・『統一協会問題の闇』(小林よしのり×有田芳生共著)
・「三島由紀夫VS東大全共闘~50年目の真実」(豊島圭介監督)
7 件のコメント
京都の(サタンのSじゃねーし)
2023年4月25日
(三島と新旧右翼、統一協会の関連年表・増補版)
1925年 平岡公威(三島由紀夫)誕生
1936年 226事件発生
1941年 大東亜戦争勃発
1945年 敗戦
1946年 「人間宣言」発布、「日本国憲法」公布
1950年 朝鮮戦争勃発
1951年 日米安保条約締結
1953年 朝鮮戦争休戦
1954年 文鮮明が韓国で統一教会設立
1956年 日ソ国交回復、日本の国連加盟
1960年 三島『憂国』発表、六十年安保闘争、山口二矢が浅沼稲次郎暗殺
1965年 三島『豊饒の海』の『春の雪』連載開始
1966年 三島『英霊の聲』発表、映画「憂国」公開、『複雑な彼』連載開始
1967年 三島が自衛隊体験入隊、文鮮明が来日し児玉誉志夫・笹川良一らと顔を合わす
1968年 三島「盾の会」結成、東大・日大闘争、文鮮明「国際勝共連合」設立(日本側の発起人は岸信介)
1969年 三島『文化防衛論』発表、東大全共闘主催の討論会に出席
1970年 安保条約自動延長、陸自市谷駐屯地にて三島と森田が割腹自決(三島事件)
1972年 連合赤軍浅間山荘事件
1973年 統一教会本部で岸信介が講演、統一教会系商社が空気散弾銃の輸入を試みる
1977年 野村秋介、経団連会館襲撃事件
1980年 山上徹也誕生
1983年 野村、新井将敬中傷シールで石原慎太郎事務所に抗議
1986年 統一協会・勝共連合が与党政治家に接近開始、自民党が衆参W選挙で大勝、「朝日ジャーナル」統一教会の霊感商法を批判
1987年 赤報隊事件、朝日新聞阪神支局襲撃(統一教会が朝日ジャーナルに報復)
1988年 統一教会の合同結婚式
1991年 山上の母、統一教会入信
1992年 野村「風の会」から参院選に立候補、統一教会の合同結婚式
1993年 安倍晋三が衆院選に初当選、野村「週刊朝日」に抗議して朝日新聞東京本社で拳銃自決(赤報隊事件も右翼の仕業との認識が固定)
1994年 山上の父が自殺
1995年 オウム真理教事件により統一教会報道が激減
1998年 新井将敬自殺
2009年 安倍自民党が下野
3012年 文鮮明死去、韓鶴子が統一協会の総裁に
2021年 UPFのイベントで安倍晋三のビデオメッセージが流れる
2022年 安倍晋三元首相、山上徹也により銃撃・暗殺される
京都のS
2023年4月20日
毎日新聞の鈴木邦男氏追悼記事です。関連しそうなので貼っておきます。
「言論には言論で/日の丸が泣いてますよ 交友30年、記者が考える一水会・鈴木邦男さん語録 三島由紀夫とともに」( https://mainichi.jp/articles/20230406/dde/012/040/010000c )
京都のS
2023年4月17日
れいにゃん様、改めて返信です。笹川良一の「一日一善」ってモーターボートレースのCMでしたっけ?最早ほぼ記憶が無いです。敗戦受益者は右にも左にもいます。従米改憲派(解釈改憲で自衛隊法やPKO法を通していく体制派)と従米護憲派(9条2項の2:交戦権否認だけは死守)です。
さて、かつての三島も西部も反「戦勝国」的改憲派でしたが、その系譜は小林先生だけ(クライテリオンは反米が高じて親ロ・親中)となったため、ゆえに今は立憲的改憲派(井上&菅野)や9条2項削除派(石破)に期待を寄せるべき段階ですね。さて、今から「十番勝負3」をタイムシフトで見なきゃ。
山尾志桜里氏が不倫問題で全マスコミで徹底的に叩かれていた頃、コメンテーターとして呼ばれた金慶珠氏が山尾(菅野)志桜里氏を侮辱していました。対米独立派(敗戦受益者の系譜から外れる存在)の山尾氏を潰したかったからでしょう。韓国は日本が永遠に米国の属国でいてくれることを望んでいます。そして韓国の金づるでいてくれることも。
京都のS
2023年4月16日
れいにゃん様、※ありがとうございます!でも今日は「十番勝負3」もリアタイでネット視聴できないほどの忙しさなので回答は明日以降にさせてください。以下では昨日から考えて書き進めたことを転載します。
・・・・
本稿を書いている時に思い出していたのは、渋谷系ナショナリスト山口進(窪塚洋輔)を取り巻く群像劇の映画「凶気の桜」です。チーマー「ネオ・トージョー」を組織して喧嘩に明け暮れる山口は、やがてヤクザと右翼の中間みたいな青修連合の青田(原田芳雄)から目を掛けられ、「イデオロギーを磨け」と言い渡されます。
どういう経緯を辿ってかは忘れましたが、何かの機会に山口が青田に「ソ連崩壊で冷戦構造が崩れたのに、いつまでも親米・反共産主義でいいのか?」みたいなセリフを言ったシーンが私に強烈な印象を残しました。また、物語の本筋ではありませんが、青修連合は韓国との繋がりが深いことも明らかになる描写がありました。ちょうど狂牛病が話題だったという時代背景ゆえでしょうが、肉の産地を心配する山口に青田が「この肉は東アジア産だぞ」と言って焼肉を振る舞っていました。まず焼肉と言えば韓国であり、国産と言わずに「東アジア産」と言ったことにも微妙な違和感がありました。戦後のどさくさの中で勢力を伸ばした朝鮮半島ルーツのヤクザなのか、それとも統一協会との関係を伺わせる描写だったのか…なかなか興味深いシーンでした。
で、ここまでで何が言いたかったかと言えば、「凶気の桜」の青田とは「反共を言い訳にして売国に勤しむ体制側の旧型右翼」の隠喩で、山口ら渋谷系ナショナリストが、本稿における「新右翼」の隠喩だったと見立てれば、ヒキタクニオの原作も映画版も本質を突いた恐るべき作品だと言えます。
また、磨くべきイデオロギー(?)とは、左右のどちらかに振り切れたもの(左翼or右翼)でも足して二で割ったもの(どっちもどっち)でもなく、やはり時・所・位に応じて変化できる保守思想である必要があります。「左翼になることは右翼になることと同じくらいバカげたことだ」(Jオルテガ)ってことです。
・・・・・
では、明日にでも返信します。
れいにゃん
2023年4月16日
1975~80年頃、夕方の子ども番組や時代劇の再放送の時間帯に「一日一善」と叫ぶおじさんを毎日のように見ていました。父がたまに「右翼が出ちょる」と聞こえるように言っていたのをよく覚えています。お陰でその笹川良一に胡散臭いイメージを持てていました。「敗戦受益者」は問題の先送りどころか固定の現状維持派ですね。三島由紀夫の活躍した時代に、常識的な右派や尊皇派が活発な言論を行える媒体があったことが素晴らしいです。現代は残念ながら‥なので、毎日新聞系に期待を寄せます。敵は日本をよく研究していると感心します。日本を現状維持のまま滅ぼす「皇統の男系主義」に固執していればいい、しかもなじみのある儒教の価値観を押し付けられる。日本は儒教(朱子学)の価値観を、貴族へのアンチとしての武士階級が、長く取り入れ過ぎたのでしょうか?とっくにマニアックな古典なのにね。
今回の連載で、三島由紀夫を通して昭和史をみる楽しさを知りました。次回作も期待しています。
京都のS
2023年4月15日
有名な「果たし得ていない約束」のラスト…「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。」
ここで三島の言う「口をきく気にもなれなくなっ」た対象とは、対米独立を諦めた左右の体制側、つまり敗戦受益者たちだと思われます。このうち右側の敗戦受益者こそが旧タイプの右翼(いわゆる昭和の妖怪)だと考えられます。韓国にとって日本の対米独立とは、自分たちと同じ地位(外交・軍事の面における独立国)に日本が上がってくることを意味するため、自らのプライドを守るためにも阻止せねばなりません。つまり永遠に日本が米国の属国であることが韓国にとって望ましいわけです。ゆえに、韓国政府と一体の統一協会が日本の政治家に浸透する際には「皇統の男系主義」と「親米(従米)的改憲」を最低条件として選挙協力していると思われます。日本の自称保守派は男系世間と従米世間への両属が条件なのでしょう。三島由紀夫も西部邁も両方の世間に反旗を翻しました。西部邁の弟子を僭称する「表現者クライテリオン」は従米世間からは抜けましたが、男系世間には絡めとられたままであり、さらにクライテリオン内に反米世間を構築したためか、親ロ・親中世間に過剰接近する羽目に陥りました。三島も西部も、今の「クライテリオン」とは「口を利く気にもなれなくなっている」でしょうし、「欠伸を噛み殺しながら」眺めていることでしょう。
京都のS
2023年4月15日
ふぇい様、クソ長い関連年表まで余さず掲載していただき、ありがとうございました。