
令和4年2月1日 大阪府 狭山神社
愛子さま ボールペン 筆ペン
使用時間 約40分

平日の仕事の途中で立ち寄って絵馬を買い、夜に帰宅途中で現地に行って描いてました。
当時は現地に行って描くということに拘りがあって、あの澄んだ空間の中で描く・・
というのが意義のある行為に思ってました。
「科学が発展した現代で40年以上も生きて、いい歳して根拠がない考え」
と一蹴されそうですが、
今思えば自分なりに真剣に臨んでいたのかな?とも思います。
神の前で偽りない気持ちで祈る。
賽銭を入れて手を合わせるだけじゃ足りない想いがあるから。
飢饉や自然災害など、人間の力ではどうにもならない、切羽詰まった人々が祈り続けたように。
・・・そう思えば、自己満足より少しは意味があるように感じられるか?
5 件のコメント
れいにゃん
2023年5月2日
あらゆる雑音を遮断して真摯に祈りながら、だから、このような美しい愛子さまが描けるのですね!
京都のS
2023年5月2日
人間の思想は三層構造になっているそうです。中心に信仰、その外側に道徳、その外側に技術、もっと外には情報しかないと。だから敬虔な気持ちで描くことは大事ですね。今回も安定の画力でした。
基礎医学研究者
2023年5月2日
興味深く読ませていただきました。”現地で描く”ということへのこだわりが”さすが!”と思いますが、宗教心(あるいは信仰心)というのは、本来このようなものなのだと、思わせるような内容でした。マメシバ亭主さんも先に書かれていますが、「苦しい時の神頼み」については、自分、これまでご都合主義的な意味としてとらえていましたが、藤澤さんの今回のブログを見て、少し考えが変わった次第でございます
マメシバ亭主
2023年5月2日
何も考えずに、何もせずにひたすら祈り出したらカルトにハマってしまいます。
「人間の力ではどうにもならない、切羽詰まった人々が祈り続けたように。」
良くも悪くも人は切羽詰まった状態になると祈るしかないのかも知れません。もちろん、やる事をやってから。
それで上手くいったら、訳の分からない力が働いたのかな?と思う事があります。
三石 利之
2023年5月2日
すべて 地球上にいる 生き物が つくってきた世のなかですが
より良い 世界にするには 愛子様のような ひたむきに
世を 良く考え 無我の気持ちで いる事が大事なのでは無いでしょうか