「道鏡中継ぎ説」というものが、高森明勅先生の著書「日本の10大天皇」の第5章「道鏡を天皇に」称徳天皇で取り上げられています。
称徳天皇が元々“自分の後継者に”と望んでいたのは、異母妹の井上内親王の息子で甥の他戸親王でした。
ですが、他戸親王はまだ天皇になるには若すぎる年齢。称徳天皇は他戸親王が天皇にふさわしい年齢になるまで皇位を担ってくれる人材を探していました。
そこで白羽の矢を立てたのが、天智天皇の孫とされる道鏡だったという説です。
朝廷高官の職員録「公卿補任」には、道鏡が「天智天皇の孫。施基王子の子なり」という記事がありました。
武光氏の「古代史大逆転」では、道鏡は母親の身分が低かったことを理由に、幼いうちに中流貴族であった弓削氏に養子に出されたと記されています。
天皇の孫で血筋では問題ないとされた道鏡ですが、実際に皇位を継ぐことはありませんでした。
道鏡中継ぎ案が実現しなかったのは、
「道鏡が皇籍を離れて60年もの歳月が流れていた」ことが要因とされています。
天智天皇の孫とはいえ、皇族の身分を離れて時間が経ちすぎている。とても皇位を継ぐには相応しくないと反対の声が強く、結局皇位を継いだのは道鏡ではなく、他戸親王の父親で皇族の白壁王でした。
道鏡中継ぎ説からは、
○中継ぎだろうと天皇は天皇、求められる条件が変わる訳ではない
○かつて皇族だったことがある方でも、皇族の身分を離れて長い時間が経っていれば、皇位継承者とは見なされない。
この二点が読み取れます。
皇位継承者は、皇統を受け継いでいるだけでなく、現に皇族の身分にあるかどうか、も重要視されていたのです。
たとえかつて皇族だった方であっても、皇族の身分を離れて時間が経てば経つほど、皇位継承者にふさわしくないと見られていたのです。
「道鏡中継ぎ説」は、
男系固執派の主張する、旧宮家系国民男性の皇籍取得、その子孫の皇位継承はとても認められるものではないことを示しています。
文責 滋賀県 くりんぐ
5 件のコメント
ダダ
2023年5月9日
追記です。
竹田恒泰は、2016年9月30日の朝まで生テレビで、元皇族の復帰について、たかが70年ですよと言っていました。
(皇籍離脱してたかが70年だから復帰できるという旨)
血統差別主義者で自分が平民ということに耐えられないから、皇族になりたいんでしょうね。
殉教@中立派
2023年5月8日
道鏡、血統の近い「本物の元皇族」だったのか・・・勉強になります。
(現行の皇室典範の)皇位継承資格・5つのうちの一つ「現在も皇族であること」は、この時代から重視されていたのですね。これは現代の民衆の感覚にも合っています。やはり5つのうちの2つ「男系」「男子」しか、見直す部分は無さそうです。
ダダ
2023年5月8日
くりんぐさん、ありがとうございました。
勉強になりました。
歴史からも君臣の別を学ぶことができますね。
サトル
2023年5月8日
実に興味深く拝読いたしました。
京都のS
2023年5月8日
くりんぐ様、実に興味深い論考でございました。特に「道鏡が皇籍を離れて60年もの歳月が流れていた」(※だから中継ぎにしか成れないし、それすら実際には叶わなかった)という一文から、旧宮家系国民男子は600年以上も離れ、かつ累代しているのだから、彼らは無資格者に決まっていると結論できますね。