愛子天皇論第14回感想:24.思考のきっかけ(magomeさん)

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「愛子天皇論」第14回目の感想です。

予想外にも長島昭久でしたね。
長島昭久の「男系」に対する見解を読み進めていくとゴー宣読者を始めたばかりの自分を思い出します。
かつて911同時多発テロの報復としてアフガニスタン侵攻を開始した米軍を中心とする多国籍軍をゴー宣を読んで無差別虐殺と批判しましたが、軍事行動という専門分野に誤って足を踏み入れてしまい、論破されるたびに長島昭久のように言っていることにどんどん尾鰭がついて収拾がつかなくなったことがあります。

ゴー宣は一見、独裁者の傲慢な態度を表す作品と思われがちですが、読んでみると議論や情報収集によって見解を見出しては自分の知性を更新させては向上させていく終わりなき知的向上を念頭に置いている作品ですのでゴー宣を試験解答のようにコピペするだけでは自分の理論、主張の中身を高めることによって作品の魅力に気が付くことはありません。
ゴー宣は読者に思考をするきっかけを与える作品であり、普通に漫画や小説を読むように読んでいれば何かしらの思考が思い浮かぶものなのですが一度思考が停止して試験解答などの型に当て嵌まった回答と取り違えてしまうとその主張についていけずに脱落することになってしまいます。

これら、漫画や小説などの物語を楽しんで読むことを忘れた一部読者は自分でも知らぬ間に思考が停止し、長島昭久やかつての私のように主張が支離滅裂になりカルトに騙されたりしたりするわけです。
私自身もアフガニスタンで米軍が完全撤退し、タリバンが実権を握るまでは米国追随だけしか頭にない「ポチ・保守」が反日左翼、サヨクと同じ穴の狢であると自分なりに理解しきれていなかったのではないのかと、今回の「愛子天皇論」を読んで思いました。

長島昭久に限らず、思考が止まってしまう人の共通点にあるのは知識偏重によって型にはまった試験解答だけしか思い浮かばないほどに頭が固まってしまい、自分の世界観を作り続けられなくなった人々なのではないのかと思います。
要するにイマジネーションの概念自体がなくなってしまうわけです。

思考は妄想と区別がつかない非現実的な発想やカルトのような世界観を想像してしまう一方で現実との葛藤も生じることで相互が干渉し、自然に向上して憧れの誕生と死が繰り返されていくものなのですが、すべてを何かのきっかけに捨て去ってしまうとその隙間を埋めるかのようにカルトなどの危険思想が入り込んでしまいます。

統一協会が暗躍する「皇統男系絶対」などの愛国カルトはその典型例でしょうし、反日左翼、サヨク、オウムなどのカルト教団に放ってしまう人々、そしてグローバルスタンダードもまさに、この自分の心から湧き上がってくる憧れの生と死が絶え間なく繰り返される思考という心の生命を捨て去った人々の成れの果てではないのではないでしょうか?


まだ自分には全く想像もつかないよしりんの世界観を「愛子天皇論」を通してこれからもますます、楽しみにしています。

「愛子天皇論」に限らずよしりんの世界観が自分の心を突くことで魂に躍動が生じ、自分の心に人間としての強い生命力を宿し続けていくことでよしりんの作品を今後も楽しく読ませていただきます。

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