愛子天皇論第15回感想:21.歪んだ国際感覚に鉄槌を!(magomeさん)

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「愛子天皇論」第15回目の感想です。

新キャラ一つとっても全く予想が付かない愛子天皇論で、今回も自分の「天皇論」と出会う前の天皇および皇室に対する見解を振り返る内容がてんこ盛りでした。

実は「天皇論」に出会う前は天皇をはじめとする皇室の方々に自由が制限されている事に全く気が付かなかったのです。
当然「忖度」という言葉も聞いたことも無ければ目にした事すらありませんでした。
天皇陛下は国旗、国歌と同じ存在であり、人格についても考えが及ばず、皇室も「犬神家の一族」と同じ、別世界の閉鎖された村落の人々という認識に近い存在だったのです。
要するに人の姿をした重要文化財であり、城や寺社などと同じなのです。
故に愛子様が誕生しても悠仁様が皇位を継ぐ「男系男子」が伝統である事に何ら違和感も覚えなかったわけです。
むしろ、人としては能力が一般人に劣る世間知らずな人々であり、昭和天皇の「人間宣言」に違和感を抱いていたのも天皇及び皇族方は世間知らずであり、世間を熟知して常識を持っている我々一般人と一緒にしないでほしいという反発から違和感を抱いていたのだと思います。

天皇陛下はもちろん、皇族方にも人格があり、それは我々と大差ないものであると同時に人としての能力は一般人から見てもずば抜けていると認識できたのは「天皇論」に出会ってからでした。

そして、最後の新キャラの活躍は楽しみが湧くという意味で所謂「悪い予感」がどんどん出てきています。
なぜなら、この新キャラが言った台詞こそ、自分の体験上、海外の人々に当時の私たち日本人が伝えた天皇観なのです。
海外の人々と話し合う事は祖国を客観視できる良い機会ではありますが、自分の国の事について知識としても熟知しておかないとその機会も逸してしまうことが少なくありませんし、日本に対する誤解を与えてしまう事も少なくありません。
ましてや、自分の国について何一つ知らず、健全な自国に対する自信、即ち「『個』と『公』」を持ち合わせていないと今回の新キャラのように自国も外国も知らずに質の悪い「海外かぶれ」になって終わってしまうわけです。
これで終われば良いのですが、かつて日本の世間では「海外帰り」というと必ずこのキャラのような人が重宝されてました。

企業など、海外の人々ととの取引は主に仲介業者が行う事であり、海外帰りの人々は基本、これら海外企業の取引先を接待する時の一次的な「ネタ」で、それ以外に使い道がない人々とされていました。
故に一時的に好奇な仕草で楽しませてくれるだけの存在以外に価値はなかったわけです。
今回の新キャラもまた、皇統断絶の危機を招いた国民の不手際を表す存在として期待しています。

世間の歪んだ国際感覚に鉄槌が下りますよう、心より願っています。

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