愛子天皇論第17回感想:25. 「皇統男系絶対論者」と「天皇制廃止論者」、根は同じか!?(magomeさん)

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「愛子天皇論」第17回感想です。

今回は男系派の主要的立場のキャラが「男野系子」から「漢乃益荒子」に移ったという印象を持ちました。名前に「漢」「荒」という字があることから、只の「男」「系」という表面的な理屈から荒々しい煩悩とも言える本音が出てきたという事なんですね。「漢乃益荒子」は、実は私が待ちに待った理想の「男系」キャラだという事に今回は気づかされました。それは「漢乃益荒子」を紹介された時の「女系乃夜叉吾」の反応からして明らかで、竹田〇泰の名言ともいえる「よしりんと私では血統が違う!」と言い放ったことでも明らかです。

「血統が違う」という台詞を聞くたびに「皇統男系絶対」な人は追い詰められてるなーとつくづく実感しますし、実際に追い詰められているからこそありもしない「血統」に縋りつくのだと思います。自分の実力や生まれ持った才能とは無関係の「血統」「家柄」「性別」に縋りつく人って決まって自分の自信を完全に損失して内心追い詰められている、極限までに弱い人でこれは小学生あたりでも一般的に女の子より口げんかで弱い男の子が言い負かされて最後に言い放つの言葉でよく聞いたのが「女のくせに」かそれと同じ意味の捨て台詞です。おそらく、周囲の大人が同じことをよく言っていたので小学生だったその子供も大人のこの捨て台詞を無意識のうちに真似していたのだと思います。ゴー宣でも第56章の「家系図じまん」で「家永系太郎」というキャラの親や親戚の職業自慢、自分家の系図自慢でより詳細にこの自信なきものの追い詰められた時の行動を表現しています。「血統」自慢であり「家柄」自慢であり、自分の実力や才能を認められないその弱い心はすっごく哀れですね。自分はもちろん、世の中を直視できずに世の楽しさを自ら捨てているゆえに、自分の人生を生かしきれずに殺しちゃってるって事なんですから。「家柄」や「血統」は自分の生かすための道具であって縋りつくものじゃないのですが、このような醜態を表してる事からやはり如何なる道具も「諸刃の剣」になるという事なんですね。

最後のページで「男野系子」が「漢乃益荒子」に対して「門地による差別が益荒子の人生を変えてしまった。(中略)皇室を恨んでる」と言ったことで思い当たることがあります。日本国外で暮らす日本人の中には日本でひどい目にあって居場所をなくしてしまい国外へ飛び出して永住する人がいますが、外国へ永住していくにつれて自国を含む自分の立場に対する劣等感が強まり、その劣等感を自分のせいではなく自国のせいにする人が結構いたりします。かつて、大江健三郎が欧州などで日本の悪口を講演などで公言していた自虐的行為がわかりやすい例と言えます。

今回の章で、「皇統男系絶対」を唱える人も「天皇制廃止」を唱える人も、同じ自虐史観の持ち主で滞在先の海外を含む周囲の浅はかな情報に振り回されてばかりの哀れな人々なのだと思いました。次号はどのような展開になるのか予想がつかない事から楽しみにしています。自身を見つめる勇気すらなくした人が行き着く先は大衆に振り回されて自分の人生を虐待するという自虐に陥るって事なんですね。

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