皇族の生きづらさ。
これまでも矢部万紀子さんの著書などを読みながら想像していたけれど、
今回出てくる証言は、そんな想像が軽く消し飛ぶくらい、生々しく、辛い。
小林先生のブログの表現を借りれば、
皇室の方々だけは、生きづらさを国家のせいにしても良いと思いました。
国策で聖域に閉じ込められているのだから。
平成24(2012)年、野田政権下での女性宮家創設の動きに際して、
秋篠宮さまは「今さら言われても遅いよね」と不満を漏らされたとか。
二人の内親王方の父親として、当然のご感想です。
当時ですらそう思われていたのに、
そこから10年経って尚、女性宮家すら一向に実現できない現状に対し、
皇室の方々の落胆、怒り、失望はいかほどのものでしょうか。
いるいる詐欺で議論を妨害した宮さま詐欺師・竹田恒泰を始めとする
男系カルト一派の罪は、万死を以ても償えない程に重い。
男系カルトに忖度して皇室のご意向を蔑ろにする政治家達もまた、同罪です。
一方で、皇室は人権真理教の標的にもなりかねない、とも思いました。
たとえ女性・女系天皇が認められて、男児出産圧力からは解放されても、
お立場上外しようのない人権上の制約はどうしても残るだろうからです。
皇室の存続を望むということは、皇室の方々にそうした負担を求める
ということでもあるのだと、改めて思い知らされました。
人権真理教が、皇室制度は皇室の方々に対する人権侵害だといって「解放」を求めたら、
それでも皇室の存続を主張し続ける覚悟が持てるだろうか。
私は、天皇と日本人の関係について考えるとき、『昭和天皇論』の次の言葉をいつも思い出します。
「天皇という無私の主君がおり、臣下は天皇を仰ぐからこそ、時として個を超えた能力を発揮できる。
日本人は、もともとそんなふうに出来ているのかもしれない。」(160ページ)
国家規模の危機が迫るたびに、天皇を精神的支柱として難局を乗り越えてきた歴史を鑑みると、
天皇なしに日本という国が永らえていくことは難しいと考えざるを得ません。
だから私は、皇室に対する甘えと恥を承知の上で、皇室の存続を願います。
天皇陛下を初めとする皇室の方々が、主体的にそのお務めに臨んでくださる限りは。
そしてそうであるからには、せめて時代に即した制度や環境を整備して、
可能な限りご負担を軽減して差し上げなければならないと考えています。
最後に、西村宮内庁長官。
賀陽家子息との交際報道がデマだと確認したなら、デマ雑誌にしっかり厳重抗議してその事実を周知してほしい。