蜀漢の臣を観て君臣の心を思う

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昨今、皇室の安泰の為に各地で心ある方々が活躍されている中、三国志の蜀漢の臣に共通する事があると思いました。それは豪傑や識者が各々義憤があり、何とかしようと動き、1つの大義の下に集まって力を出し合うと言う姿です。演義の印象も強いですが、劉備を筆頭に関羽、張飛、趙雲、諸葛亮達の価値観は義に重んじて己の保身は二の次と言う感じでしょうか。例え浪人になっても何とかして身を立て、義に馳せ参ずる姿が心ある方々の姿に重なると思います。
 三国志には他に魏や呉がありますが、こちらはイメージとしては1つの大義の下より、立身出世でスキルアップの為に仕え、各々力を出すと言うイメージです。
あえて申し上げますが、漢(帝)を想い大義に掲げた蜀漢の君臣は義心ピカ一ですが、蜀漢の君臣達は忠義ピカ一、癖もピカ一な人達が多く、束ねた劉備や諸葛亮は大変だったと思います。

 例えば武将と文官を別け隔てなく扱うのが理想ですが、蜀漢で言えば叩き上げの関羽・張飛は、最初はインテリの諸葛亮とは上手くいかない話が挙げられます。

何か戦やトラブルが外からやってくる際は、
彼らは一致団結して奮闘しますが、
平時で何もないと内紛または派閥争いをして
手が焼き、双方を立てるのは難しい、と劉備・諸葛亮がこちらに訴えてる気がします。

一君子万民の天皇陛下も色々な民を束ねていらっしゃるので、その苦労は計り知れず、各々で保身の為に争うのではなく、陛下の苦労を軽くするように動くのが民であり、臣の心得と思う次第です。


最後に、保身の化身で現代の袁術もとい、偽皇帝のケケ田とか、一万人の大奥を立てようとする悪い侍女のハシ本とかは陛下達を煩わせるなら、奸臣佞臣は引っ込んでろ!と申し上げます。

文責 神奈川県 神奈川のY

1 件のコメント

    基礎医学研究者

    2023年9月13日

    (編集者からの割り込みコメント)興味深く読ませていただきました。なるほど、確かに、魏や呉の場合は少なくとも漢王朝に忠誠を誓っているわけでは明らかになく、どちらかというと、自分を引き上げてくれる君主の元で、己の能力を試す人が多かったですね(特に、呉の魯粛は演義などでは孔明や周瑜の引き立て役みたいな役割でしたが、実際には漢の再建は無理(すなわち、天下統一など無意味)とはっきりした思想の持主で、今でいうリアリズム派のバランス・オブ・パワーの考え方で、呉を盛り立てようとしていたようですしね(そのあたり、実は孔明の「天下三分の計」よりも1歩先をいっていたのでは?と、私見では思います)。閑話休題。
     で、蜀漢の君臣については、私たちが教訓にしなければいけないことが、結構ありますね(「公論サポーター」としても)。私自身としでは、志が高いということと、「公論を形成する」という実践的な行動を近づける努力は必要、と改めて思った次第でございます。

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