倉山満に問う!「血統」と「伝承」、どっちが大事だ!?(中編)

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前回ブログでは、天皇の正当性を「血統原理」に求めた場合の、根拠の薄さについてまず、指摘しました。

ナルホド確かに、倉山は記事中で、神話の全てが史実ではない事には言及した上で、「なぜ、そのような伝わり方をしたのかという事実」の方を重視するような書きっぷりを、取ってはいます。

実在が疑われる欠史八代についても、「なぜ、こんな話を残した?」という疑問に目を向ける事を、読者に促しています(最も、その疑問に回答する為の、踏み込んだ考察は一切なされていないが)。

そこまで言うなら何故倉山は、

「なぜ、現代の天皇・皇族は【天照大神】を、皇祖神として最も大切に祀っておられるのか」という点に、疑問を抱かないのでしょうか?

確かに、倉山が記事中で指摘した通り、ニニギノミコトが天照から命を受けて地上に下ったとする天孫降臨の記述は、日本書紀においては「一書に曰く」の範疇ではあります。

しかし、三種の神器が今上陛下の代に至るまで、実際にレガリアとして受け継がれている事の根拠は、貴方が「異説の一つ」と呼んだ、天壌無窮の神勅に求めるしかありません。

異説の一つに過ぎない筈の神勅が根拠となって、令和の現在まで天照大神だけが、特別な神として祀られているという「信仰上の事実」こそが重要なのではないでしょうか?

宮中三殿の賢所において、その他の神々とは別格扱いで天照大神が単独で祀られている事実を見ても、それは明らかでしょう。

また、天皇陛下の最も大切なお祭りとして今日まで奉祀されてきた

「新嘗祭」も、主祭神は天照大神

です。

その事実を踏まえてもまだ、

倉山は皇祖神が誰なのか「わからない」などと、スッとぼけるのでしょうか?

ダメ押しで、ちょっとあり得ない想定をしてみましょうか?

もし将来的に、記紀神話の記述に関する研究が飛躍的に進み、「真の皇祖神は高皇産霊尊(タカミムスヒのミコト)だ!」という学説が信憑性を持つようになったとしましょうか。

だからといって、実際に受け継がれている皇位継承の為のレガリアまでわざわざ、三種の神器をやめて「丸太」とかに変更しなきゃ、ダメなのかい?(タカミムスヒは巨木の化身だからw)

繰り返しになりますが、皇室においては

あくまで「天照大神」こそが、皇祖神として祀られているという事実

が重要です。

高森明勅氏も主張されているように、神話に対して、この事実に沿わない解釈をいくらやっても、全く意味はありません。

文責 北海道 突撃一番

3 件のコメント

    SSKA

    2023年11月5日

    倉山と言う人は古事記の日本書紀の性質の違いに気付いてないのではないですか?
    古事記は日本国内向け、それに対し書記は海外(主にシナ体制)に向けての文書でもあると言う点が頭にあれば、現代で言う所のある種の忖度と言うか対外文書の中で我が国独自の文化事情を記すに際し配慮があったと見るのが妥当だと思うのですが。
    天皇制とシナ皇帝制の違いと言う重要な論点の中で特に意識すべき日本神話との繋がりに男系派の様に目を瞑ってしまうとむしろ両者の差異を認められず(過去の時代に幾度も滅びた)皇帝制とどんどん近似的な存在になって行く矛盾に彼等は永遠に気付かないのでしょうか。
    高森先生の著書で度々触れられて来た事ですが神話の頂点である最高神が女性でありそれが君主の家系の祖先(皇祖)として位置付けられてるいのが日本神話とそれを継承する皇室の特殊な点で他の文明には無いオリジナリティーであるにも拘らず日本人は意識しなさすぎるとの事、倉山に代表される男系派の多くもその代表例でしょう。
    彼等の中には史書の中で武威や権力を誇る存在(シナ皇帝や中華文明)を心の理想像として描き、それと長い期間切り離された日本皇室に対し後ろめたく見すぼらしいと感じ貶める意識が見え隠れします。
    天皇に対してもシナ皇帝制の代替の役割を果たしている程度の理解や意識しかないからこの様な歪んだ歴史の見方しか出来ないのだと考えます。

    サトル

    2023年11月5日

    いつも興味深く読んでおります。
    倉山には、
    「じゃあ靖国神社は?英霊たちは『靖国で会おう!』と、戦友と語り合ってたのでは?」と聞きたいですね。

    本当に「(頭の)オカシイ連中」だと思います。
    論理的ですらないし。

    基礎医学研究者

    2023年11月5日

    (編集者からの割り込みコメント)興味深く、読ませていただきました。「神話に対して、”「天照大神」こそが、皇祖神として祀られている”という事実に沿わない解釈をいくらやっても、全く意味はありません」、突撃さんのこの意見が本質で、すべてだと思いました(冷静な視点です)。自分、倉山のご指摘の部分をみると、9月の珍説大賞で話題になったケケ田の、「もはや理屈など、どうでもいい!」とかぶってしまいました。都合が悪くなったら、このような開き直りをするのだったら、何でも自分に引き付けて言えてしまいますよね。しかし、こんな”為にする議論”につきあっている時間も、もはやないですよね。レクチャーを受けている長島議員には、是非このあたりの内容を国会で披露してもらい、玉砕してもらいたい!これが、唯一の希望です。

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