10年近く前のことです。
大学生だった私は当時の友人と家で飲んでいました。
その頃から「ゴー宣道場」に参加し始めて、皇統問題にも興味を持っていました。
私は友人に「愛子さまが天皇になれるようにしないといけない」という話をしました。
すると友人は「ネットでは愛子さまが発達障害って言われてるから駄目じゃない?」と言いました。
そもそもがデマだし障害に対する差別もあるし、それを平然と口にする人間性も信じられないし、とにかく何重にも狂った発言に私はブチキレました。
他者を無自覚に侮辱することへの怒りとか、こんな人間と友達付き合いをしてしまった自分への腹立たしさとかで、よく分からない涙が込み上げてしまいました。
どんな時代、どんな場面でも「本物」を貶めようとする無責任な有象無象が蠢いています。
そういう輩はいずれ本物に蹴散らされます。
非常に畏れ多いですが、愛子さまは間違いなく「本物」です。
それはIQが東大を余裕で合格できるレベルだとか、スキーがバツグンに上手いとか、達筆だとか、作文が感動的だとか、もちろんこれらは凄いことです。
しかし最も本質的な理由は、愛子さまが皇室という「聖域」でお育ちになっていることです。
他者を自分と同レベルまで引きずり落したい、そういう私欲のヘドロと化した俗人は「聖なるもの」を一生理解できません。
私たち日本人は皇室を通して自身の「聖域」を試されているのです。
天皇陛下のお子様である愛子さまが皇太子になり、やがて天皇となられたとき、
その輝くオーラが先の見えない閉塞感に満ちた現代日本に夜明けをもたらすでしょう。
文責 福岡県 ゾウムシ村長