「正直なウソつき」の、『嘘だらけ』古代史語録⑥

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【第3章】

●飯豊皇女(イヒトヨのヒメミコ)や手白香皇女(タシラカのヒメミコ)が天皇に即位せず、顕宗天皇や継体天皇という男系男子を地方からわざわざ探し出してきたのは、この時代から男系継承の原則が存在した証拠だ (p142)
●継体天皇はショボイ (p139)
~倉山満『嘘だらけの日本古代史』第3章より~

継体天皇の場合は、当時はまだ冊封体制の影響が色濃く残っていたので(南宋の王朝から官位を与えられるのが、男性だけだった)、天皇を推挙する側である群臣達の間にも、「男王へのこだわり」が存在した事は、貴方に何回も説明した覚えがありますよ?

タシラカが即位出来なかったのは、その為です。
(義江p70~71)

顕宗天皇に関しても、同じ事が言えます。

オケヲケ兄弟が皇位をお互いに譲り合う間、政務を行ったとされる飯豊皇女の即位がいまだに真偽不明である事も、冊封体制の影響を無視できないでしょう(ちなみにイヒトヨさんは神功皇后同様、大正15年までは「女帝」扱いでしたよ)。

シナの影響がまだ根強かった、歴史の中ではほんの一時期でしかない話を、「古来から男系継承の原則があった証拠だ!」ってか? 

まさに「木を見て森を見ず」な意見だね。

また貴方は、継体天皇が当初、即位を前にして様子見を決め込んだ事や、即位後20年も大和の地に入れなかった事を指して、「全く英雄らしくない」などと揶揄していますが、それも記紀神話しか読まないで言ってるだけの勝手なイメージでしょ?

そもそも血縁世襲という前提すらなく、群臣推戴が当たり前だった倭国の王位継承と、シナの「血みどろ徳治主義」を、一緒にしなさんなよ。

「王位の簒奪」といえば、必ずシナみたいに、徳のある英雄が前王朝を武力で倒す事、みたいなイメージしか持ってないから、日本みたいな穏やかな王朝交代が信じられなくて、「ショボイ」と見えてしまうんでしょ?

和歌山県にある須田八幡神社に伝来する人物画像鏡の研究史を紐解けば、鏡の銘文にある「孚弟王(ホドオウ)」(≒継体天皇?)が、仁賢天皇治世の時代から大和の忍坂に拠点を構え、和邇(わに)氏などの周辺豪族とも連携しながら、百済との交易を担当していた可能性すら、浮上しますよ(大橋p34、p168)。

まあ、即位後20年も大和に入れなかったという神話の記述と、鏡の銘文との整合性に疑問が残るので、本当に「孚弟=オホド」を意味するかどうか確信は持てないし、「王」の名を冠していたとしても、まだ世襲王権自体が確立していなかった時代なので、必ずしも「天皇の血を引く王族」を意味するとは断定出来ませんけどね。

百済交易で頭角を現した近江の豪族が、その実力を買われて「王」と呼ばれるようになり、さらに手白香皇女の女系血縁に助けられて、やっとの事で天皇になれた、という見方だって可能ですから。

どちらにしろ、一次資料ですらない日本書紀の記述と、シナの虐殺の歴史のみを基準にして、「オホドさんがショボイ」などと、さも大した実績もなく即位したかのように揶揄するのは、勉強不足にも程があると思います。

・・・ところで、最近『Hanadaプラス』で同じようなテーマで主張していた、自民党の和田政宗さん?? これはアナタにも当てはまる批判なんですよ!!

文章から察するに、「王朝交代 = 戦いで権力を奪う事」みたいな固定観念を、アナタも捨てきれてないでしょ??

世襲継承自体が前提となっておらず、群臣推戴が通常の社会であれば、出自の違う近江の豪族が王になったところで、当時の人がそれを「王朝交代」だと認識する事もありませんから。

そのように考えれば、戦に発展しないのも当然と言えます。

文責 北海道 突撃一番

参考文献

・義江明子『女帝の古代王権史』ちくま新書2021年3月10日
「第3章 推古-王族長老女性の即位」

・大橋信也『継体天皇と即位の謎』吉川弘文館2007年12月20日
p34、p168

・和田政宗「『継体天皇で王朝交代』説への反論」
『Hanadaプラス』 2023年12月28日
https://hanada-plus.jp/articles/1452

3 件のコメント

    サトル

    2024年1月16日

    今回も非常に勉強になります。
    私なんぞ「皇室」の歴史は全くの無知にございます。
    ただ、「知れば知るほどに」、しっくりくるんですよね。
    歴史物は、あちこちかじる……舐める程度ですし(しかも、ローマやら、三國志……蒼天航路は好き……途中原作者が亡くなってアカンなあれは。あとモンゴル帝国とか))、で、「へー」とか、「おお!」と思うけど、なんか「しっくり」こない。
    なんでしょうかね、これは。
    縦糸なんですかね。

    基礎医学研究者

    2024年1月13日

    (編集者からの割り込みコメント)今回も、勉強になりました。自分、「皇室」の歴史よりも先に、三国志から歴史モノに入りはじめたので(しかも、吉川英治を底本んした横山光輝の「三国志」)、「皇位は男系で継承される」とか「優れたものが王位を簒奪する」みたいな感覚が歴史の法則として身についた時期がありました。しかし、その後、現実の中国を見て、「ゴーマニズム宣言」を読みながら日本と照らし合わせると、この感覚に疑問を持つようになりましたね(劉備玄徳は中山靖王(ちゅうざんせいおう)・劉勝の末孫というのも、昔はスゲーとか思っていましたが、今はそれこそ(旧宮家系の方々が、600年前に遡らないと「皇統」につながらない、と同じですよね(;^_^A)。きちんと識ることはやはり大切、と思った次第です。

    SSKA

    2024年1月12日

    憲法第1条にも記されている現代の天皇の役割(特に国民統合について)を正しく理解しようとしないから、古代の統治の経緯についてもずれた見解しか出ないのだと思います。
    ①対外的な代表者としての顔と②国内統一の精神・中心的な柱と見なされる存在、歴史的にも両面から見なければ古代日本がオリジナリティーを堅持しつつ、軍事的にも文化的にも圧倒され脅威となり得る他国と折衝を重ね続けなければならない恐れや葛藤を理解する事は出来ないはずです。
    国名が出来る前から日本国は集団や国内の和議を導ける人物であれば男女を問わず尊ばれ首長に選ばれた、それが歴史的事実ですが、男尊女卑絶対かつ辺境の他文化を見下しているシナ王朝が対等性を認めない為に外交関係を結ぶのにも相当に苦労したであろう痕跡を過去の事績から多く読み取る事が出来ます。
    日本人の古来からの平和を尊ぶ精神性は十七条憲法や明治維新を例にして最近は知られつつありますが、古代の王権成立期においては媒介として女性の存在が相当に大きかったのでしょうし、あくまでもifの話ですが女系皇統による連続性が保てなければ、内乱が勃発し分断が長引いた可能性さえ考えられます。
    上皇陛下の仰られた女性の役割についても、現代のジェンダーの世相以外に伝統と言う言葉の中に争いを防いだ過去の歴史も含まれると見るのが自然で皇室の平和を祈念する方針とも合致します。
    政治家や言論人にとっては日々の政局や闘争が生業みたいなもので優位性を説く男系主義に安易に迎合してしまうんでしょうけど、その本性は徒に乱を招き、分派、派閥、差別や闘争を好む大陸由来の過激な闘争原理であり、平和を願う皇室とはかけ離れているといい加減気付いて頂きたいです。

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