尊皇・義をとるか、私をとるか、三国志の英雄を観て思ったこと

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愛子さまを皇太子に!日本を護りたい!

と強く思う中、私はある三国志の英雄の姿を自分の頭の隅に入れて自問自答している事があります。

その英雄とは、三国志演義(以下、演義)において、志同じく劉備に味方するも、家族を人質にとられ、敵の曹操についた徐庶という諸葛亮孔明の立ち位置(※軍師)にいた人物です。

徐庶は、小さい城に立ち籠もる劉備軍を曹操の大軍から守りきり、曹操にその才を見出されました。曹操は計略で徐庶の母を人質にし、徐庶は泣く泣く曹操軍に入るも、演義では、息子が自分の為に信念や正義を捻じ曲げたのを恥じ、そして憤った後、徐庶の母は亡くなりました。

演義では「徐庶はそれを機に曹操に策を出さなくなった」となっていますが、それは言論や活動の際に、自分の信念、自分の正義を通すか、家族の平穏の為に義心を殺すかという問題にもなり、正直、今も活動のさいに悩むところであります。ただ、徐庶のように自分の心を殺して家族に自分を捧げるも、結局は不幸なのではないかと思い、演義の徐庶の寂しい悲しい背中を想うと、徐庶と同じ選択はしないで、公私両立する策を考えて活動するべきだと思った次第です。

無理せず、抜け目なく、しぶとく、したたかに、楽しく活動するのが一番です。

文責 神奈川県 神奈川のY

4 件のコメント

    神奈川のY

    2024年1月18日

    コメントありがとうございます、この思いは何度でも考える事ですが、徐庶も母をとるか、仕えたい君主をとるかで、相当悩んだのではないかと思います。泣く泣く母をとったら、その母を失い、仕えたい君主と信念を失う事になり、同情してしまいます。大陸の1994年版の三国志演義の徐庶を観ると考えさせられます。
    また、義に厚く関羽と戦って散ってしまった龐徳は曹操の恩義に一直線な生き方され、敵ながらあっぱれな名将です。
    逆に公私をスパッと分けて親友でも戦場であったら戦える魏の徐晃など、英雄達の振る舞いは勉強になります。

    基礎医学研究者

    2024年1月18日

    (編集者からの割り込みコメント)まず、徐庶。「三国志」の中でもなかなか好きなタイプの人物ですね。当時の劉備軍最大の欠点であった、戦争を戦略的に指揮できる軍師だったと思います(しかも情に厚い人物)。しかし、曹操という方は(これは劉備もですが)、人物を見分ける目はさすがで、しかも過去の勝敗とかにこだわらないですよね(ここが、「三国志」前半における曹操の最大のライバル、「袁紹」との決定的な違い。でも、ちょっと手段を選ばないところがあるのが、怖い)。だから、徐庶も運命に翻弄されてしまいましたが、自分はどっちかというよりもバランスなのだと思いましたね。そして、そのバランスの指標をどこにおくのかは難しいところですが、徐庶のような情のある人物は尊敬に値する人物か(書いてて思いましたが、三国志の場合、龐徳なども同じような運命に翻弄されましたが、やはり尊敬できる人物か)。

    かずず

    2024年1月18日

     すごい納得する論考でした!バランスが大事だなと思いました。

    京都のS

    2024年1月18日

     Y様、非常に考えさせられる論考でした。正義を取るか家族を取るかは難しいです。自身だけの安泰や出世となら正義を取れる人でも、家族を天秤の逆側に載せた場合ぐらつく人は多いはずです。優先順位と時処位を考慮して非情な決断も下せるのが保守で飽くまでも第三の道を探り続けるのがリベラルなのでしょう。しかしながらリベラル的行き方の限界点に来た時の覚悟は決めておく必要があるのかもしれないと思った次第です。

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