ふぇいでございます。くりんぐさんより、森暢平氏第2弾の感想です
東久邇稔彦氏が生まれたのは、側室を何人持っても構わない時代から側室はご法度な時代へ変わろうとしていた頃。
側室の生まれである稔彦氏は、皇統に属する皇族になるか、ご落胤になるかの瀬戸際。
その父親である久邇宮朝彦氏が皇位継承順位を上げるために父親を訂正することが出来たという当時の皇統管理のいい加減ぶりに、「旧宮家系の人って、父方の血筋だけを辿っても神武天皇に繋がるとは思えない」のが正直な感想です。
本来なら稔彦氏は皇籍離脱の対象になっていたのに、明治天皇の皇女である聡子さんの結婚相手に選ばれたから皇族として留まることが出来ました。
一方で稔彦氏は他にも複数の女性と関係を持ち、子を何人も産ませています。
稔彦氏と聡子さんとのお子さんは聡子さんを通じて、明治天皇の血筋を受け継いでいますが、聡子さん以外の女性との間にもうけた子たちは聡子さんの子ではないので、明治天皇の血筋を受け継いでいません。
男系派が「皇族に」と望むのは、聡子さん、そして昭和天皇の皇女である成子さんのご子孫。
結局女系の血筋頼み。
女系での格上げが無ければ、旧宮家はただの出自の怪しい人たち扱いです。
旧11宮家の祖である旧伏見宮家の13代目の貞致氏は鍛冶屋の徒弟として働いていたところを、
ご落胤と認められ、宮家を継ぎました。
その息子である邦永氏には霊元天皇の皇女である福子内親王が嫁ぎ、その間に生まれた貞建氏が15代目として伏見宮家を継いでいます。
DNA鑑定の無い時代に出自の怪しいご落胤が宮家を継げたのは、後で皇女を嫁がせ、その間に生まれた子を後継者にすればいいという考えがあったからでしょう。
皇女の産んだ子は、父親が誰であろうと、間違いなく皇統を受け継いでいるのですから。
そうして皇女の結婚相手として出自があやふやな男性皇族が「特別に」皇族の身分に留まることを許されましたが、血筋の遠さゆえの皇族としての自覚の薄さは変わらず、皇室の品格を貶める行動が控えられることはありませんでした。
これが特別扱いの結果なのですから、また「特別扱い」を繰り返すなどもってのほかです。
女性皇族には、心から愛される方と一緒になって宮家を創設していただき、配偶者の方には皇位継承権の無い皇族となって宮家の当主となる女性皇族を支えていただきたいと思います。
2 件のコメント
サトル
2024年1月31日
お疲れさまです。
倉山満は自著「皇室論」にて、「愛子さまの伴侶は、東久邇家のご子息が、申し上げにくいですが他の旧宮家と比べて、家格が上なので、相応しい。政府も「進めたら」どうだ?」と、書いていましたね。
ダンマリを決め込んでますが……。
SSKA
2024年1月31日
仮に男系遺伝子を継いでいたとしても、わざわざ天皇の御息女を嫁がせる配慮があったにも拘らず、本人が全く分を弁えず放埓な生き方も変えず品格も身に着かないのならば、皇族としての資質に疑問符が付けられるのも納得です。
寧ろ「男系男子」であるだけで地位が得られる事から、努力もせずに他より上だと驕りを生むだけで、皇籍離脱後も含めて生き方を変えよう等と切実に考える事も無くなるのでしょう。
どう見ても血統主義は弊害しか生まず男尊女卑の時代故に断れない内親王も気の毒であり、現代では到底受け入れらない価値観の下で愛子様や他の女性皇族と旧宮家系男子とで関係を結ぶのも全くあり得ない事が改めて良く分かります。
真剣に国民と向き合って下さる皇室の方々に前時代的な自己満足感を身勝手に押し付けて傷つけるのはいい加減止めてもらいたいです。