大河ドラマ「光る君へ」から皇族女子の生き辛さを思う

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 令和6年の大河ドラマ「光る君へ」の主人公は”まひろ”(後の紫式部:吉高由里子)で、三郎(藤原道長:柄本佑)とは特別な絆で結ばれていくようです。藤原道長と言えば、3人の娘を3方の男帝に嫁がせ、それにより天皇の外戚として権力を振るう摂関政治が最高潮に達した頃の最高権力者であり、「この世は我が世だぜ♪」というゴーマンな歌(笑)を詠んだことでも知られています。このように権力を握るために女性を手駒のように扱かう時代にあって学問や芸術の才覚で身を立てたキャリアウーマン:紫式部・清少納言(ファーストサマー・ウイカ)・赤染衛門(凰稀かなめ)・和泉式部(?)…の活躍を描き、それとは対照的な天皇の女御たち:銓子(吉田羊)・忯子(井上咲良)・定子(高畑充希)・彰子(見上愛)…の生き辛さを逆照射しようという試みだと思われます。

 ところで、平安期の婚姻形態は通い婚と婿入り婚が混在しており、それゆえ我が子の身分を高くしたい貴族たちは男も女も格上との婚姻を望みましたが、天皇の婚姻では貴族の娘が内裏の後宮に入内する形(嫁入り婚に近い)でした。入内しない姫は小野小町のように言い寄って来た相手を100回でも振ることが出来ましたが、入内候補の娘には拒否権など無く、要するに藤氏長者(藤原宗家の長)は天皇を政治利用するために幼帝を擁立して娘を入内させ、そうして帝の主体性も娘の主体性も奪ったわけです。

 また、当時の皇室は「女帝の子も亦同じ」(女系継承OK)という本注の付いた『継嗣令』が有効だったにも拘らず、まるで男系継承がスタンダードかのように錯覚されていますが、その理由も藤氏長者の権力を支える摂関政治の弊害だったと言えるため、成り立ちからして伝統とは呼べない代物でした。この体制は、庶民にも嫁入り婚が根付く江戸期を経たことで、明治期に設計された皇室典範にも移入され、それが維持されたまま現在に至っています。そして令和の皇族女子が平安の女御と同様に生き辛さを抱えている理由は、皇族女子から主体性を奪うイチ法律(皇室典範)を維持したまま、権力者が皇室を政治利用したり大衆が不満の捌け口にしたりしているからです。

 おそらく劇中における紫式部の『源氏物語』の執筆動機は”まひろ”が目撃した女性を虐げる権力者への反発だろうと思われます。女性から光を奪う似非デントーを消すべき時は今ですから、今作は誠に時宜を得た大河だと言えましょう。     

文責:京都のS

16 件のコメント

    京都のS

    2024年2月3日

     本日の11:30に、再び「光る君へ」が題材の「男の嫉妬が英雄を冷遇するなら、トップは女子で良くないか?」を載せてもらえるようです。今回のは武張ってます(笑)。

    京都のS(サタンのSでも飼い慣らすし)

    2024年2月3日

     突撃様、ようやく私も『女帝の古代王権史』(義江明子著・ちくま新書)を買いました。女帝が活躍できた飛鳥・奈良期から、男帝を政治利用する摂関(折檻)期への移行を、これでもっと勉強しますわ。

    京都のS(サタンのSでも飼い慣らすし)

    2024年2月3日

     ねこみみ様、若い公卿(藤原公任:町田啓太、藤原斉信:はんにゃ金田、藤原行成:渡辺大地、藤原道長:柄本佑)が集まる勉強会ですね。それっぽいセリフを確かに道長が斉信(妹が花山帝に入内した)に言ってました。「何気なさ」の理由は、その時代の空気です。本作での道長は慣習や空気に違和感を表明するタイプに描かれていますが、それでも空気のように吸い込んできた慣習ですから、違和感なく言ってしまう場合もあるのでしょう。
     で、藤原チョビ髭(笑)。まだ朝ですが、私の今日一の笑いになりそうな気が…(笑)。

    京都のS

    2024年2月3日

     なるほど、さおりん様。でも「愛子の診療所」を書いたような関心(弱者を癒したい)から「Dr.コトー」をご覧になる愛子様なら、「女性の生き辛さ」を描く「光る君へ」をご覧になる可能性は高い気もします。そして今上陛下も雅子様を重ね合わせながらご覧になるかもしれませんね。

    突撃一番

    2024年2月2日

    授かった皇子が男児であれば、また娘を入内させて自分達が権勢を振るえる。

    たったこれだけなんだよね。摂関時代の「男帝へのこだわり」の理由は。
    仮に女帝への「婿入り」だと、生まれた子供が藤原氏側にとって本当に「自分の孫」かどうか疑義が生じるから、娘を入内させる方が都合がいい。

    「皇室が乗っ取られる」ってのはこういう時代を言うんだなと、ドラマを見ながら痛感している。
    こんな男尊女卑が当たり前のようにはびこっていた時代を理想像として崇めてるんだから、倉山満のバランス感覚もどうやら明治以前の人のようだ。

    ねこみみ

    2024年2月2日

     京都のS様 ご返信ありがとうございます。本作は「女性の生き辛さ」がテーマなんですね。なるほど。吉高さんはそういったものを明るく跳ね除けるイメージがあるんでしょうか。
     あと、自分が言葉足りなすぎなことに気づきました。
     件のセリフは、公達たちが大学(?)で勉強している時の何気ないセリフだったので、その「何気なさ」が逆に気になったんだと思います。自覚せぬ差別と言うか。だから余計にグロテスクさを感じたのかもしれません。人間、同じようなことを誰しもやってしまう可能性があると思います。
     あ、京都のS様がご指摘の藤原チョビヒゲ(段田さんファンの方、すみません)は、もう論外ですよね。あまりにあからさま過ぎて、逆に意識に上りませんでした(←おい)。完全に自分以外の人間を自分のために利用する道具としか思ってませんし、サイコパスなんでしょうか。ああいう人がいると、男も女も生きづらそうです。

    さおりん

    2024年2月2日

    天皇陛下が鑑賞された岡田准一主演の映画は、「エヴェレスト 神々の山嶺」でした💧 勘違いです。すみません。

    京都のS

    2024年2月2日

     さぁさぁ、ドラマ・マイスターのurikani様、出番ですよ~(笑)。
     こんなに「女性の地位向上」に役立つ作品は無いって感じですね。

    京都のS

    2024年2月2日

     さおりん様、愛子様も今上陛下も大河をご覧になっている可能性が高いのですね。それなら本作は皇族方にとって励みになる内容になっていく気がします。
     まひろ(吉高由里子)と三郎(柄本佑)が特別な絆を結んでソウルメイトになりますが、『源氏物語』執筆の動機が女性の地位向上にあるのなら、まひろの思いを無視して娘(彰子:見上愛)や帝(一条帝:塩野瑛久)をモノ扱いすれば、道長には天罰が下るでしょうね。てか、兼家にヘーコラする安倍晴明(ユースケ)も呪われろって感じですね(笑)。

    京都のS

    2024年2月2日

     ねこみみ様、※ありがとうございます。藤氏長者としての兼家(段田安則)のセリフは帝を種馬扱いし、女御(自分の娘)も借り腹扱いしていますね。そのグロテスクさは、銓子(吉田羊)の苦悩や道長(柄本佑)の嫌悪感、まひろの「権力には屈しない」という意思表明によって炙り出されている気がします。
     本作は「女性の生き辛さ」がテーマだそうですが、当時だけでなく現代女性も抱える普遍的なものに感じられます。また脚本家の大石静さんは同じく吉高主演で「風よ あらしよ」という映画(先行ドラマがNHKで放送済)もつくりました。これは女性の権利のために戦った伊藤野絵が主人公です。
     赤面疱瘡de男女逆転の「大奥」と共に女性の地位向上に向けたNHKからの後押しのように感じられます。愛子天皇誕生に結びつくなら、NHKは公共放送の名に恥じない仕事をしているってことになります。

    さおりん

    2024年2月2日

    「光る君へ」毎回ワクワクしながら観ております。京都のSさんが仰るように、脚本は大石静。源氏物語のエピソードを彷彿とさせる演出も素敵です。
    以前、天皇陛下が映画「関ヶ原」をご鑑賞された際、主演を務めた俳優の岡田准一に、大河ドラマ「軍師官兵衛」を観てると話されたそうです。だとすると、愛子さまも「光る君へ」を陛下と一緒にご覧になっているかもしれないですね!

    ねこみみ

    2024年2月2日

     普段大河ドラマは熱心にはみないんですが、今回は平安時代で紫式部が主人公と言うことで見ています。戦国が舞台のわかりやすい合戦では無く(実際は駆け引き満載なんでしょうけど)、権謀術数が跳梁跋扈な感じが怖いです。でも、極彩色の平安絵巻はやはり美しいですね。始まりの「まひろ」のしぐさや表情も頽廃的と言うか、危うい魅力を感じます。
     ま、それはいいんですが。作中で「(主上と女御に)御子を産んでもらって」と言うようなセリフが出てきたのが気になりまして。単に「後継者が欲しいよね」と言う感覚での発言なんだろうなとは思うんですが、主上と女御を繁殖馬扱いしているようでグロテスクなセリフだなあと。皇位継承問題があるので敏感になっているのかもしれませんが、制作者の意図として、「自分たちの都合で、命を授かることを求めることの異様さ」を描く意図があるのかもしれません。そうではないとしても、見た人に少しでもひっかかりが生じることを願っています。

    京都のS(サタンのSでも飼い慣らすし)

    2024年2月2日

     くりんぐ様、解説ありがとうございます。後に道長の嫡妻となる源倫子の父は宇多源氏に連なる雅信ですが、源雅信は藤原穆子に婿入りしています。つまり、雅信は左大臣まで昇進しましたが、それは宇多天皇から男系で繋がっていることよりも、藤原宗家に近い家に入り込めたことの方が大きかったかもしれませんね。
     で、仰る通り名家の嫡子とてDNAを調べれば、そのY染色体が間男のY(笑)に入れ替わった可能性は絶対に排除できません。

    京都のS

    2024年2月2日

     だふね様、大河視聴が初めてなのですか?「光る君へ」の脚本は大石静なので期待していますが、既に幾つかのマジックが炸裂しています。きっと「おんな城主・直虎」「麒麟がくる」「鎌倉殿の13人」に匹敵する傑作になる予感があります。実は明日も「光る君へ」絡みのブログを載せてもらえるみたいです。今回は「手弱女ぶり」でしたが、明日のは「益荒男ぶり」です。ご期待ください。いつも通り自分でハードル上げてる(笑)。

    くりんぐ

    2024年2月2日

    「光る君へ」の時代は、母親が時の権力者の娘であるかどうかによって、皇位継承が左右された時代でした。
    皇位継承の切り札は、男系男子であることではなく、母親の身分だったことがよく分かります。

    権力を握るには、天皇の外戚になる必要がありました。
    そのために娘を天皇に嫁がせて子を産んでもらう。その子の母親は間違いなく自分の娘なのですから、娘の父親である自分はその子の祖父。
    その子を天皇にすれば、自分は天皇の祖父として晴れて権力を握れる。

    その子が男子である必要があったのは、女子を天皇にして息子を婿入りさせて子が生まれても、その子の父親が息子であることを証明する手段が無かったからでしょう。

    だふね

    2024年2月2日

    私も『光る君へ』見ています。大河ドラマを最初から見るのは、実は生まれて初めての経験なのですが、『源氏物語』好きなので、俄然興味が湧きました。
    引き続き注目してまいります(*´ω`)

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