わが国歴史上最大の「キャンセル・カルチャー」(Noriさん)

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ふぇいでございます。
自民党の「安定的な皇位継承の確保に関する懇談会」の報道を受け

DOJOサポーターメーリスから、京都のNoriさんが自民党に送った意見をご紹介します。

皆さんは、2001年、旧タリバン政権が国際社会の非難をよそに、アフガン中部バーミヤン渓谷の仏教遺跡をダイナマイトで吹き飛ばした映像を覚えておられる方も多いと思います。
わが国でもそれ以上のことが明治維新にあったこと・・・今でこそ ここ京都は外国人観光客で賑わっていますが・・・・一時、祇園祭も五山の送り火もキャセンルされかかったという歴史が明治初期にあったことをご存じですか。

1868年(慶応4年、明治元年)、明治政府は神仏分離令を出します。 これにより、神道国教化が表明されるとともに、推古天皇以来約1200年以上続いてきた神仏習合が禁止されました。 その結果、神道が保護される一方で、廃仏毀釈(発端は、新政権が出した太政官布告「神仏分離令」と1870年(明治3年)に出された「大教宣布」にあるとされています)という政府に忖度した一部国民に仏教弾圧の風潮が生まれ、各地で寺院や仏像が破壊されるなどしました(地域により差はあったそうですが、一時 鹿子島県では寺院がゼロになったそうです)。

すなわち、江戸以前の時代は、明治近代政権によって「全否定、キャンセル」されたといえます。1000年以上にわたって仏教及びその影響を受けた文化的、精神的諸要素、宗教観(神仏習合というかたちの穏やかな宗教秩序)、皇室対する思い などは、既に日本という国の主たる要素といってもいいほど当時の人びとの心に浸み込んでいて、この時点で男系継承が伝統などと考える国民はいなかったはずです。

その意味では、この明治維新政府の政策は、歴史上例をみない醜い日本文化の破壊活動であった(保守思想とは程遠い一種の革命)といえますね。神社本庁の「皇統に属する男系の男子による皇位継承」という公式見解や女性宮司を認めない男尊女卑の姿勢はこの明治新政府の愚行に始まっているのだと思います。「男系・男子による皇位継承」は、伝統でもなんでもなく明治政府が「大和的でおおらかで自然な姿であった日本のアジア的多元主義を具現してきた習俗・文化」をキャンセルし「西欧的な一元主義」に舵を切ったいわゆるわが国歴史上最大の「キャンセル・カルチャー」に起因しているのではないでしょうか。

ありがとうございました。

Noriさんからは
ちなみに かつての大嘗祭には「即位灌頂」という仏教色の儀式もありましたが、これは明治になって廃されてます。京都にはかつて天皇家の菩提寺といえる泉涌寺があります。中世以来歴代天皇御陵の地であり、御火葬、葬送が泉涌寺執り行われました。京都にお越しの際は、ぜひお参りください
とのお言葉も頂いています。

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