そういうことは自分が吊るされる覚悟を固めてから言え!

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 クリストファー・ノーラン監督の映画「オッペンハイマー」は日本の各方面にハレーションを起こしており、その理由は「広島・長崎への原爆投下が明示的に描かれなかったから」です。

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 本作は第2次大戦中に米国政府のマンハッタン計画で原爆開発を主導したロバート・オッペンハイマーの栄光と没落を描く物語です。そして「世界を変えるほどの科学的発見」と「世界を破壊するかもしれない道徳的責任」という一個人が背負うには重すぎる葛藤がテーマであり、ノーラン監督は「批判せず、称揚せず、擁護もしない」というスタンスを貫きました。また、ロスアラモスでの実験で破壊力を目の当たりにし、現実に使用されたとの報道に触れ、そして当時の日本が降伏の瀬戸際であった事実も知り、にも拘らず世界覇権のために水爆開発へ突き進む米国政府に疑問を抱いたオッピーは、トルーマン大統領やバーンズ国務長官と同席した機会に水爆開発の中止を訴えましたが、やがて赤狩り旋風が吹き荒れる頃オッピーはソ連のスパイを疑われ、聴聞会で吊るし上げられた末に公職追放されました。

 ところで上記ハレーションの件ですが、「原爆投下や被害者のシーンが無かったこと」を残念がる意見に対し、最も左側からは「最高権力者(=昭和天皇)が駄々を捏ねて降伏が遅れたから落とされたんだんだろ!?」(超訳)という声が聞こえます。つまり「被害を訴えるなら天皇を絞首刑にしてから言え」(超意訳)と言いたいわけです。

 これに反論するなら「天皇は軍部に権威を政治利用された被害者であって権力者ではない」「軍部を対米開戦へと動かしたのはシナ事変で味を占めた好戦的な民意である」「民意=世論を煽ったのは政商(軍需産業)と結びついたマスコミである」などが思い付きます。つまり軍部と天皇に全責任を押し付けて自己を免責した戦後の国民一人ひとりが「戦犯」として「Death by haging」を受け入れなければ極左様方の要求は通りません(※戦勝国に裁かれる謂れが無いという論点は一旦於く)。従って自分が吊るされる覚悟を固めてから発言していただきたいです。戦後生まれで想像しにくいと言うならコロナ風邪を過剰に怖がったせいで若者や女性に犠牲を強いた件でプチ追体験できましょう。

 やはり、男系派と極左の二正面作戦が続きそうです。    

文責:京都のS

2 件のコメント

    京都のS

    2024年4月20日

     れいにゃん様、この極めてコメントしにくい記事に※をいただき感謝します。私は経済敗戦が第二だと思っているので、コロナは第三だという認識です。
     ところで、本稿タイトルは「光る君へ」に出てくるオリジナルキャラ直秀(散楽パフォーマーで義賊一味:毎熊克哉)に対して藤原道長(柄本佑)が言った一言「そういうことは散楽の中だけで言え!」を一部流用しています。

    れいにゃん

    2024年4月20日

    あらためて、コロナは第二の敗戦でしたね。

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